今年は異常気象だと言われているが、東京を襲った2012/3/31(土)と2012/4/3(火)の両日の嵐のような暴風雨については、もう、春一番だというような悠長な感覚は通り越して、泣きっ面に蜂のようなダメージを与えたと思う。
3/31の嵐は休日だからということもあるので、単に遊びに行けないという悲しさがあったのだが、4/3の嵐は通勤というものに大きく影響することになったので、この嵐への対応が結構大きく人によって異なっているのではないだろうか?天気予報が前から「酷いことになります」という注意勧告を出していたこともあり、東京の場合には朝の出発時から「早めに帰ったほうがいい」というような心の準備と、あとは勤務状況との駆け引きが出来たと思う。これは2011/3/11に襲った東日本大震災のときとは大違いの災害に対する事前予防だと思う。
従って、地震のようないつ災害が来るのかよくわかんないという、予告なしボディーブローよりも、事前に災害が起こることがわかっていたという対応は、会社を休む・早く帰る・残業がなくてもその辺で飲んで災害時を切り抜ける・帰らないというような各種の選択をいくつかプライオリティをつけて準備ができたことは非常に大きい。個人的には最初から「早く帰れるんであれば早く帰る」ということを念頭において出勤していた。
天気予報によると、午後6時から9時が一番暴風雨のピークですと言っていたので、これは帰宅時の通勤にモロにヒットしてしまう。不幸にもうちは勤務地から遠いところにあるので、早めに勤務先から帰らないと、このピーク時にぶち当たってしまうことが心配だ。単に雨が強く降るだけだったら別にいいのだが、困ったことに、通勤は電車を利用しているため、あまりにも風が強いと途中で通る川が渡れず、そのまま電車が「運転見合わせ」になってしまい、結果会社を早く出ても、帰れなくなるという一番悲惨な結果に陥る可能性があるのだ。だから、なんとしても、電車が動いている間にはせめて家の近くにまではたどり着いていたいという希望はあるのだ。震災の時には、東京周辺の電車を含めて全面運休してしまったので、何キロも歩いて帰ったという人が多かったことだろう。しかし、今回は暴風雨である。風は強いし、雨は横殴りで降っているようなところを何キロも歩いて変えるスーパーMっ子のひとがどこにいるのだろうか?絶対そんな悪い環境で歩いて帰りたいとは思わない。
天気予報の通りの時間に嵐がやってくるというのであれば、午後年休にしてしまうくらいの余裕の休み方をしなくてもいいだろうと思っていた。しかし、どの時点で帰宅の準備をしなければいけないのかというのは、全然天気予報で見ても分からない。こういうときには災害時に十分な威力を発揮するツイッターで情報を得ようと思っていた。
自社では個人携帯のオフィスへの持込が全面禁止になっているため、携帯でツイッターを見るのはできない。しかし、社内ネットワークからアクセスしていると、ログを取られるので、誰が遊んでいるのかというのは一目瞭然になる。しかし、こういう天候が怪しいときには、誰も彼もが天気サイトや交通情報のサイトへアクセスして、社外へのネットワークトラフィックが格段にあがることが予想できるので、そこの状態でツイッターを使っても全然平気だろうと思ったし、情報取得と言う意味で使っているのであれば、特に何も言われないだろうというと、半ば確信犯的にアクセスしてみた。閲覧は出来ても、社内セキュリティポリシーによって書き込みは不可なのである。
昼ごろまでは西日本のほうで、強風のために転んだとか死んだとかのニュースは入っていたし、関東では風がちょっとずつは強くなってきたとはいえ、雨は全く降っておらず、電車もまだまだ全然通常運行をしていたのは確認した。それと同時に、いろいろな会社が、早期退社指令が出ていたようなので、そのために、2時ごろから帰るとか3時ごろに帰るというような呟きがツイッター上に流れるようになる。そして、一緒に「こんな災害が起こる予定なのにそれでも早期退社指令が出ない会社はクズだ」というようなことも多々見られるようになった。わが社はどういう命令が出るのだろうか?とこのときには思っていたが、最終的には全く出ることはなかった。管理者だけは残るべきだと思うが、一般社員はさっさと安全を考えて家に帰すべきなのが当然だったのに、それを怠っていたわけである。
しかし、そんな会社のぐーたらな態度を待っていても仕方ないので、ここはまず1時半のタイミングで帰るか帰らないかというステップを踏み、次に1時間後の2時半に帰るかどうかの再考をすることにした。昼ごはんのころぐらいから、オフィスがあるあたりに雨が降り出しており、外も風が徐々に強くなってきた。帰るときに電車が動いていないというのが一番の最悪状態だが、駅まで行く間に雨でぐしょぐしょになるのもイヤである。
13時過ぎくらいから流れる情報もだんだん深刻化してきた。それまでは西日本から東海地方に関する情報しか流れてこなかったのに、一番最初に運休っぽいっという情報が出てきたのは、常に弱い路線である京葉線である。そうなると、次に武蔵野線や埼京線が止まって行くだろうと思っていたのだが、13:30の段階では他のJR線および私鉄各線とも平常運転をしているようだった。ただ、嘘か本当か分からないが、山手線の池袋~大崎間で運転見合わせだというのが出ていたときには、こりゃちょっとヤバイかもしれない、早めに切り上げたほうがいいかもと思うようになった。
意を決して14:30には会社を離脱しようと考える。このときに悠長にも他の人は結構会社に残ろうとしている人が多かったようだ。しかし、電車が止まることを懸念として早めに帰る人もちらほら見えたのだが、会社として社員にどうするかというのを全く何の通達もしなかった会社の対応が悪すぎる。だいたい客商売をしているのだから、確かに担当者がいなくなったときの取次ぎや対応の先端者がいなくなるのはマズいとおもうのだが、担当者としてはお客様から連絡を受けられるように会社携帯を持ち歩いているので、現地に駆けつけないといけないと言う状態以外は仕事が全くできなくなるというわけじゃないとおもうのだが、そういう決心を会社側ができないのは、なにが悪いんだろうか?たぶん上の人たちが無能すぎて、さらに言うと責任の回避をしたいがためなんだろうと思う。
会社から出たときには風は相当強かったが、まだ雨も小雨の状態だった。傘を差してもよかったのだが、傘を開いたらお猪口の状態になるかもしれないと思ったので、駅までの道のりは傘を指さずに突風の中を歩いていった。駅についてみると、電車は定刻どおりに動いており、特に遅延も間引きもないように思われた。しかし、油断は禁物である。途中で大きな川を越えないといけないので、この川を越えるときに、風速がある程度高くなってしまったら、川越えができなくなるからである。その前には川を通過しておきたいところであるが、乗った電車は特に何もなくすんなりと乗り換え駅まで運行した。車内アナウンスでいつ「止まります」という話が出てもいいように、ボーっとしないで乗っていたのだが、要らぬ心配だったようだ。
ところが、乗換駅についてびっくりしたのは、その駅は朝晩の通勤ラッシュのときに、ホームにあふれんばかりの人がわんさか電車待ちでいることでも有名なのだが、その光景が15時の段階で見られたわけである。つまり、早く帰ろうとしている人たちが結構たくさん居たということなのだろう。そう考えたら、ホームに入ってきた電車もいつも以上に、そしてこの時間にしてはめちゃくちゃ人が乗っていたのでビックリしてしまった。しかし、後で聞いた情報だと、なんと東京都が「早めの帰宅者の要請は厳禁」というお触書が出たらしく、そのお触書を忠告どおり従った会社と、反対に、従わなかった会社にきれいに分かれたんだなという思いもある。
ちょうど家に着いたときに、突風と共に大雨が降り始めてきた。もうこれ以上遅い帰宅だった場合には、家につくまでにびしょびしょになることだったろうし、電車もまともに動かないので、腸弱人にとっては天敵が体を蝕んでくることだったろう。家に帰ってツイッターを眺めていたら、徐々に都内の電車も止まり始めていた。帰れなくなる人は、やっぱり1晩どこかで野宿するのだろうか?翌朝に対応状況について聞いてみたいところである。
2012/04/03
中国なんて二度と行くか!ボケ!!(書籍)
さくら剛さんの「インドなんて二度と行くか!ボケ!!」に引き続いて、「中国なんて二度と行くか!ボケ!!」を読んでみた。タイトルに惹かれたというわけじゃなく、「インド・・・」と「感じる科学」の2冊を通して、どういう書風の文章を書くかというのが分かったので、きっと「中国なんて・・・」の本も面白いのだろうと期待してみたのがきっかけだ。
期待通り、この本も一気に読めるスタイルになっているし、内容が腹を抱えて笑える!というものばっかりである。そして、臨場感と嫌悪感が文章を通して本当に漂ってきそうなものだった。インドのほうは、観光客に擦り寄ってくるインド人は全員悪人であるというのが主張の柱になっているのだが、中国の場合は初めから終わりまで「中国のトイレは絶対変である」を中心に物語が書かれており、スカトロマニアだったらよだれモノの文章だろう。不幸にも自分はスカトロマニアではないので、実際の体験記で書かれている中国のトイレなんか、絶対行きたいとは思わないと断言したいと思った。
一度も中国に行った事がない人だったら、想像にもできないのだが、中国は、これだけ経済的に発展したというのに、なぜかトイレ文化だけは全く発展しない不思議な国である。いわゆる「ニーハオトイレ」というのが存在することで有名だが、北京オリンピックを期に、北京市内のあらゆるトイレ(公衆トイレや共同トイレを含む)は、ニーハオトイレではなく、個室トイレもしくは西洋式便座タイプのトイレに一新された。さすがに中国政府もニーハオトイレが世界で馬鹿にされることには我慢ならなかったのだろう。見栄だけで生きている中国人および中国にとっては、「中国っていつまで経っても汚いところだよね」と世界中に言われること自体を非常に嫌う結果である。面子をつぶされることが、死よりも恐れている民族ゆえんなのだ。
とは言いつつも、まだまだ大量の観光客がやってこないような場所では、このニーハオトイレが存在する。本書は北京オリンピック前のことなので、北京や上海のような大きな都市でもいまだにこのニーハオトイレのことが通用するとは思えないが、地方都市のようなところに行った時には、おそらくさくら剛さんと同じようなビックリドッキリ体験をすることが出来るだろう。
だいたい、人の脱糞行為が丸見え状態になっているのをよくも数千年の中国の歴史の中でOKにしていた中国人の感覚は本当に理解できない。脱糞行為を持って、どこのどいつがどんな良いものを食っていたかというのを実は相互監視していたんじゃないのか?という気もするし、脱糞行為は特に恥ずかしいこととは思わず、誰もがすることだから、別に平気とおもっていた民族性なのかもしれないが、その辺はよくわからない。さくら剛さんも、旅行を通してこの中国人のトイレに関する習慣だけはどうしても理解できず、帰国後でもポッドキャストを通して毎回「トイレだけは絶対イヤだ」とおっしゃっているくらいのものだ。1つの個室に隣のひとの脱糞行為が丸見え状態でもOKという感覚なんて、清潔第一の日本人には到底考えられないものだろう。
あと、やっぱり中国では公共の場はゴミ捨て場と同じだと認識しているようで、道路での痰や唾をペッ、ペッ!と捨てる行為だけはどうやらいまだに治っていないようだ。あれは習慣というより習性なのだろう。さくらさんもこの行為にはほとほと困っているようで、床に荷物を置くこと自体がもうばい菌の塊に荷物を置いているようなものだから、絶対やりたくないと思っていたようだ。金にならないものは全く金をかけるつもりがないというのが中国の政府や金持ちのやりかたなので仕方ないのだが、いつまで経っても公共的なところに金をかけて整備をすると言うこと自体をしない中国の根底はここにあるのだろうと思う。
旅行先で偶然一緒に渡航することになる外国人の遭遇は旅の醍醐味だとは思うのだが、さくらさんが出会ったイスラエル人の話はすごい面白い。どこに行っても現地の人が生活しているようなスタイルを体験したり食べるのが鉄則だと思うのだが、それをまるっきり無視して、今までの生活スタイルを保有しながら旅行するという愚かさ。こういう面倒くさいひとがよくもまぁ中国の奥地へ行こうと思ったことが感心するのだが、だいたいこういう馬鹿は帰国後「俺って、こういう凄いところを旅行したちょっとした旅人における常連なんだ」と自慢しているひとに違いない。中国に行ってまでピザとコーラしか飲まないような人って、ホント死ねばいいのにとおもう。まぁ、これは人のことが笑えず、どこに行っても現地のご飯を食べずにマックで済ませているようなバックパッカーがたまにいるようなのだが、こういう連中も死んじゃえば良いのにと思う。
まだ制度として存在しているのか分からないが、さくらさんも中国の宿探しには苦労したようだ。外国人が泊まれない宿というのは前には存在していたという話を聞いたことがあるが、本の中でもそれは紹介されている。中国語のカタカナ発音のままで記載しているので、現場でのやりとりの怒号については、この文脈からかなり想像できるのだが、やっぱり中国語はカタカナ標記しちゃうと、全く訳のわからない言語になってしまうようだ。おばさんとさくらさんのやりとりが、互いに理解不能のまま会話をしているところなんか面白くて仕方ないが、中国語を知らない人にとっては意味不明な文章が連続して記載されている様に見えるだろう。
本書では随所で中国人のいい加減さを知ることが出来る。これは今も変わらないと思う。たぶんこのいい加減さのまま、世界各地に今度は旅行者として旅行し始めた中国人が多く増えてきたので、さらに世界中から中国人は嫌われることになるだろう。間違いやダメだと指摘されないと、自分の思ったとおりのことが正しいと思っている民族が中国人である。サービス提供者も享受者も考えは同じだ。これが本当に面倒くさい。そして、中国人同士でもその注意や文句の言い合いについては、大声で怒鳴りあっているので、他民族からみるとやつらはいつも喧嘩しているように見えるのは当然だろう。そういう細かい描写についても筆者の体験を通して垣間見ることが出来る。
中国国内を旅行する人、または中国旅行をしたことがある人は是非一読を。納得することばかりだと思う。
中国なんて二度と行くかボケ!! ・・でもまた行きたいかも。
著者:さくら剛
出版社: 幻冬舎
発売日: 2011/7/7
期待通り、この本も一気に読めるスタイルになっているし、内容が腹を抱えて笑える!というものばっかりである。そして、臨場感と嫌悪感が文章を通して本当に漂ってきそうなものだった。インドのほうは、観光客に擦り寄ってくるインド人は全員悪人であるというのが主張の柱になっているのだが、中国の場合は初めから終わりまで「中国のトイレは絶対変である」を中心に物語が書かれており、スカトロマニアだったらよだれモノの文章だろう。不幸にも自分はスカトロマニアではないので、実際の体験記で書かれている中国のトイレなんか、絶対行きたいとは思わないと断言したいと思った。
一度も中国に行った事がない人だったら、想像にもできないのだが、中国は、これだけ経済的に発展したというのに、なぜかトイレ文化だけは全く発展しない不思議な国である。いわゆる「ニーハオトイレ」というのが存在することで有名だが、北京オリンピックを期に、北京市内のあらゆるトイレ(公衆トイレや共同トイレを含む)は、ニーハオトイレではなく、個室トイレもしくは西洋式便座タイプのトイレに一新された。さすがに中国政府もニーハオトイレが世界で馬鹿にされることには我慢ならなかったのだろう。見栄だけで生きている中国人および中国にとっては、「中国っていつまで経っても汚いところだよね」と世界中に言われること自体を非常に嫌う結果である。面子をつぶされることが、死よりも恐れている民族ゆえんなのだ。
とは言いつつも、まだまだ大量の観光客がやってこないような場所では、このニーハオトイレが存在する。本書は北京オリンピック前のことなので、北京や上海のような大きな都市でもいまだにこのニーハオトイレのことが通用するとは思えないが、地方都市のようなところに行った時には、おそらくさくら剛さんと同じようなビックリドッキリ体験をすることが出来るだろう。
だいたい、人の脱糞行為が丸見え状態になっているのをよくも数千年の中国の歴史の中でOKにしていた中国人の感覚は本当に理解できない。脱糞行為を持って、どこのどいつがどんな良いものを食っていたかというのを実は相互監視していたんじゃないのか?という気もするし、脱糞行為は特に恥ずかしいこととは思わず、誰もがすることだから、別に平気とおもっていた民族性なのかもしれないが、その辺はよくわからない。さくら剛さんも、旅行を通してこの中国人のトイレに関する習慣だけはどうしても理解できず、帰国後でもポッドキャストを通して毎回「トイレだけは絶対イヤだ」とおっしゃっているくらいのものだ。1つの個室に隣のひとの脱糞行為が丸見え状態でもOKという感覚なんて、清潔第一の日本人には到底考えられないものだろう。
あと、やっぱり中国では公共の場はゴミ捨て場と同じだと認識しているようで、道路での痰や唾をペッ、ペッ!と捨てる行為だけはどうやらいまだに治っていないようだ。あれは習慣というより習性なのだろう。さくらさんもこの行為にはほとほと困っているようで、床に荷物を置くこと自体がもうばい菌の塊に荷物を置いているようなものだから、絶対やりたくないと思っていたようだ。金にならないものは全く金をかけるつもりがないというのが中国の政府や金持ちのやりかたなので仕方ないのだが、いつまで経っても公共的なところに金をかけて整備をすると言うこと自体をしない中国の根底はここにあるのだろうと思う。
旅行先で偶然一緒に渡航することになる外国人の遭遇は旅の醍醐味だとは思うのだが、さくらさんが出会ったイスラエル人の話はすごい面白い。どこに行っても現地の人が生活しているようなスタイルを体験したり食べるのが鉄則だと思うのだが、それをまるっきり無視して、今までの生活スタイルを保有しながら旅行するという愚かさ。こういう面倒くさいひとがよくもまぁ中国の奥地へ行こうと思ったことが感心するのだが、だいたいこういう馬鹿は帰国後「俺って、こういう凄いところを旅行したちょっとした旅人における常連なんだ」と自慢しているひとに違いない。中国に行ってまでピザとコーラしか飲まないような人って、ホント死ねばいいのにとおもう。まぁ、これは人のことが笑えず、どこに行っても現地のご飯を食べずにマックで済ませているようなバックパッカーがたまにいるようなのだが、こういう連中も死んじゃえば良いのにと思う。
まだ制度として存在しているのか分からないが、さくらさんも中国の宿探しには苦労したようだ。外国人が泊まれない宿というのは前には存在していたという話を聞いたことがあるが、本の中でもそれは紹介されている。中国語のカタカナ発音のままで記載しているので、現場でのやりとりの怒号については、この文脈からかなり想像できるのだが、やっぱり中国語はカタカナ標記しちゃうと、全く訳のわからない言語になってしまうようだ。おばさんとさくらさんのやりとりが、互いに理解不能のまま会話をしているところなんか面白くて仕方ないが、中国語を知らない人にとっては意味不明な文章が連続して記載されている様に見えるだろう。
本書では随所で中国人のいい加減さを知ることが出来る。これは今も変わらないと思う。たぶんこのいい加減さのまま、世界各地に今度は旅行者として旅行し始めた中国人が多く増えてきたので、さらに世界中から中国人は嫌われることになるだろう。間違いやダメだと指摘されないと、自分の思ったとおりのことが正しいと思っている民族が中国人である。サービス提供者も享受者も考えは同じだ。これが本当に面倒くさい。そして、中国人同士でもその注意や文句の言い合いについては、大声で怒鳴りあっているので、他民族からみるとやつらはいつも喧嘩しているように見えるのは当然だろう。そういう細かい描写についても筆者の体験を通して垣間見ることが出来る。
中国国内を旅行する人、または中国旅行をしたことがある人は是非一読を。納得することばかりだと思う。
中国なんて二度と行くかボケ!! ・・でもまた行きたいかも。
著者:さくら剛
出版社: 幻冬舎
発売日: 2011/7/7
2012/04/01
ANA株主優待券を売る(2012春版)
2011年12月に配布されてきた全日空の株主優待券もそろそろ売り時かと思ったので、3月下旬ごろまで各格安チケット屋での買い取り価格の様子を調べながら、売り時を待ってみた。大抵、3月の下旬ごろ、4月1日付けで転勤や入学・入社等で移動するひとがたくさん居るので、その時期に合わせてチケット買う人がいるようなので、一時期高くなるのは分かっていたのだが、2011年12月に配布された優待券から、優待券の有効期間が1年間に変更されることになった。これまでは冬に配布されたものは半年の5月31日までということになっていたのだが、いっきに6ヶ月も有効期間が増えたことになる。だから、5月31日までに使われる時期というと、ゴールデンウィークという大型イベントがあるので、これにも合わせて優待権利用が多いから3月下旬に売るのも有効的だったのだが、有効期限が1年になったことで、どこが売り時なのかというのがよくわからなくなってきた。とは言うものの、ポカーンとしていたら、売り時を逸してしまうと思ったので、これまで同様に3月下旬で一旦売り払ってしまおうと思ったのである。
大型の格安チケット屋である大黒屋をはじめ、いろいろなチケット屋をウェブと自分の足で実地調査をしたところ、昨年よりは全然低い価格で取引されていることが分かった。去年だったら、9000円から1万円くらいで売ることができたのに、どう考えても今年は6500円から7500円程度までしか上がらなかった。2月頃から動向を調査していたのに、この価格があんまり上がらないことに痺れを切らしてしまったため、とうとう3月30日には売ったのが今年の現実。
結果的には1枚7300円で売ることができたので、この時点ではまぁまぁ良かったと思うのだが、実はもうちょっと前に売っておけば7500円で売ることが出来た点では、売る時期を今年は逸してしまっていると言って良い。ただ、この時点でちょっと不満と思っていても、これからあと半年以上、同じ優待券でどの程度で売ることができるかという価格動向の調査については引き続きウォッチしていきたいところである。
ただ、自分が売った日での相場についてだが、一番高くて7300円だったのに、安いところだったら6500円くらいしか売れないという状態だったみたいなので、この価格ではちょっとイヤだ。毎年ゴールデンウィークを過ぎてしまったときには、1500円くらいのゴミ価格になっていたりするので、それに比べればまぁマシだろう。
ということで、2011年度における株主優待券による利益は、
・夏:1枚10,700円×7枚=74,900円
・冬:1枚7,300円×7枚=51,100円
・年計:126,000円
という結果になった。ちょっとした小遣いという意味では、株価もあまりあがらないし、売るつもりもない保有株なので、この程度でいいと思っている。台湾旅行2回分くらいの費用は稼げたかなと思う。
それにしても、もうあまり全国規模の出張がなくなってしまったし、国内旅行もほとんど行かないので、航空会社の優待券を保有している意味は全くないのだが、優待券売りというものがある限りは保有しているようなものである。別に格安チケット屋に売るよりも高価で買ってくれる個人の方がいるんだったら、その人に売るのは全然問題ないと思う。チケット屋で買うよりも安い値段で購入者は買えると思うし。ただ、そういうニーズを持っている人はおそらく北海道か九州に行く予定がある人くらいのようなもので、そんなニーズを持っている人がどこにいるのか探すのが面倒くさい。身近に居ないかなー。
大型の格安チケット屋である大黒屋をはじめ、いろいろなチケット屋をウェブと自分の足で実地調査をしたところ、昨年よりは全然低い価格で取引されていることが分かった。去年だったら、9000円から1万円くらいで売ることができたのに、どう考えても今年は6500円から7500円程度までしか上がらなかった。2月頃から動向を調査していたのに、この価格があんまり上がらないことに痺れを切らしてしまったため、とうとう3月30日には売ったのが今年の現実。
結果的には1枚7300円で売ることができたので、この時点ではまぁまぁ良かったと思うのだが、実はもうちょっと前に売っておけば7500円で売ることが出来た点では、売る時期を今年は逸してしまっていると言って良い。ただ、この時点でちょっと不満と思っていても、これからあと半年以上、同じ優待券でどの程度で売ることができるかという価格動向の調査については引き続きウォッチしていきたいところである。
ただ、自分が売った日での相場についてだが、一番高くて7300円だったのに、安いところだったら6500円くらいしか売れないという状態だったみたいなので、この価格ではちょっとイヤだ。毎年ゴールデンウィークを過ぎてしまったときには、1500円くらいのゴミ価格になっていたりするので、それに比べればまぁマシだろう。
ということで、2011年度における株主優待券による利益は、
・夏:1枚10,700円×7枚=74,900円
・冬:1枚7,300円×7枚=51,100円
・年計:126,000円
という結果になった。ちょっとした小遣いという意味では、株価もあまりあがらないし、売るつもりもない保有株なので、この程度でいいと思っている。台湾旅行2回分くらいの費用は稼げたかなと思う。
それにしても、もうあまり全国規模の出張がなくなってしまったし、国内旅行もほとんど行かないので、航空会社の優待券を保有している意味は全くないのだが、優待券売りというものがある限りは保有しているようなものである。別に格安チケット屋に売るよりも高価で買ってくれる個人の方がいるんだったら、その人に売るのは全然問題ないと思う。チケット屋で買うよりも安い値段で購入者は買えると思うし。ただ、そういうニーズを持っている人はおそらく北海道か九州に行く予定がある人くらいのようなもので、そんなニーズを持っている人がどこにいるのか探すのが面倒くさい。身近に居ないかなー。
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