2012/01/11

笑う中国人

中国語学習者だったら、誰もが知っている相原先生の著書「笑う中国人ー毒入り中国ジョーク集」は、中国語を知らなくても、中国人の笑いのセンスや中国人の性格というのはこういうものかというのをよく知ることができる本だと思う。

ここで書かれているのは中国人が普段の生活で、自分たちを自虐的に表現するためのジョークを集めたものであり、決して他国の人が中国人のことを表現したものではない。更に言うと、中国語話者と言っても、この本の中の出来事は全部中国大陸の人たちのことであり、台湾や香港、そして華僑としてマレーシアやシンガポールなどに渡ったひとたちが表現しているものは一切入って居ない。むしろ、中国大陸の人たちから見て、外中国に住んでいるひとたちのことについて皮肉を言っているものは結構あったりする。

中国人が自分たちのことを表現しているジョークであるため、日本人の感覚からすると、いまいちよくわかんないというところもあるし、なぜそう考えちゃうのかなーというところもあるのだが、多くのところは日本人がもっている中国人のイメージは、中国人自身も実は理解していて、単に他国の人たちから言われることには腹をたつのだが、身内に対象者が居た場合には笑って済ませるしかないという、なにかちょっと半分諦めた感じのするジョークも混ざっていたりする。こういう、他国の人が考えている自国民の性格や普段の生活のやりとりを大げさに笑えるように脚色して、それをみんなが認めるようなものにしているというところもおもしろい。

本の中身は、政治に関すること、職に関すること、生活一般、そして性に関することに分かれる。職に関することはとてもわかりやすい。なんといっても、あの国は賄賂の国だ。撲滅しようとしても、数千年の文化が生活の中に組み込まれているひとたちに賄賂なしで何かをスムーズにやっていこうというのは無理だということ。賄賂かコネしかあの国では這い上がれない。それはもう他国に居る人でもわかること。こういうのが自国民の眼から観たときにはどう見えているのかというのもおもしろい。「あはは、やっぱりね!」と手を叩いてしまうような納得感があるのはわかりやすいジョークだからなのかもしれない。
それとやっぱり面白いのは、下ネタだろう。どこの国でもやっぱり下ネタには共通の笑いがある。しかし、中国らしいなとおもったのは、中国が文字の文化だからということもあるのだが、文字を使ってうまく韻を踏んだ表現を作っているところだろうと思う。個人的に秀逸だと思ったのは次の句。

【男人】
 男人二十歳叫奔騰
 男人三十歳叫日立
 男人四十歳叫正大
 男人五十歳叫松下
 男人六十歳叫微軟
 男人七十歳叫聯想

ここで各句の最後の2文字はメーカの名前になっている。「奔騰」は Pentium。「日立」「松下」は日本のメーカー。「正大」は中国の企業名で「正大集団」という企業。「微軟」は Microsoftで、「聯想」は IBM から ThinkPad を買収したレノボのことだ。ただ、この文章、メーカの名前をそのままの意味だとおもってもらったら、全く意味がわからないし、面白みも無い。そこで今度は漢字の世界になる。「奔」は「勢いよく走る」で日本語でも奔走するという言葉で使うあの意味だ。「騰」は「高く昇る」という意味で、価格が高騰するというときに使う。つまりこの二字をあわせると「勢いがあり、高くそそり立つ」である。さぁ、もう何を意味しているのか解ったことだろう。要はアレである。そう、チンポのことだ。

「日立」も会社名と考えるからいけないのであって、漢字の元の意味で考えてみると笑える。「毎日、立つ」である。だから、日立の社員が自己紹介するときに「我是日立的(私は日立のものです)」というと、大抵の中国人は笑うはずだ。ここで「我已経六十歳(もう60歳なんですけどー)」という言葉を付け加えたら、すぐに中国人と仲良しになれると思う。そのほかの言葉も調べてみるとこうだ。「正大」は文字通り「正に、大きい」である。「松下」はちょっと難しい。「松」は元の漢字は「鬆」である。これは「ゆるい、すかすかしている」」という意味である。つまり「松下」は「ふにゃふにゃして垂れ下がっている」という意味なる。「微軟」は英語の会社名からもわかるように、「小さくて柔らかい」だ。「聯想」は日本語の「連想する」である。だから「過去のことを思い起こす」という意味にとればいいだろう。ここまで男の変遷を巧く会社名で並べるというところが中国語らしい文化だと思った。

こういうような洒落の聞いた言葉がたくさん載っているので、中国語に興味があるひとはもちろんだとおもうが、中国語学習者ではなく、中国人の脳みその思考ってどうなっているんだろう?というのをちょっと見てみたいというようなひとにはお勧めだとおもう。

ただ、これはこの本に限ったことじゃないのだが、すべて大陸式の簡体字で中国語は表現されているので、簡体字の漢字が知らない場合にはちょっといやだろうなーとおもう。まぁ、日本人にあわせて無理やり日本語の漢字にあわせる必要は無いだろうとはおもうが。

笑う中国人―毒入り中国ジョーク集
著者:相原 茂
出版社: 文藝春秋
発売日: 2008/01

ニコライ二世の日記

以前、オーストリア皇太子の日本日記を読んだときに、サラエボ事件で暗殺されるフランツ=フェルディナンドが日本にやってきたときの渡航日記の内容があまりにも素晴らしく、そして将来、オーストリア=ハンガリー二重帝国の皇帝になることが約束されたことは当然だったし、そういう人が生で書いた文章がとても繊細だし、詳細な視点を持っているし、感性が豊かだし、興味があるところはとことん掘り下げて追求しているし、どちらかというと興味が無いものは知るかボケーという感じのものがストレートに伝わってきたからだ。これこそ猫人間的視点で書かれた最高傑作の日記だとおもう。それも1冊の本になったときに、1つも追記や補足説明のようなものがなく、すべて日記をそのまま転記されているもの。フランツ・フェルディナンドが日本にやってきたときに、何を感じ、何を見て、日本をどう思ったかというのが本当に率直に書かれている。そして、なんといっても、当時の日本から見ると、オーストリアは超一級の先進国であり、オーストリアと比較してどうみても目下の日本に対して、まったく蔑視を持ったり、偏見な眼で観察していたというところが全く無いのがとてもいい印象だった。

皇帝になる素養が有る人は、もともと他国に対して尊敬の念を持って接するべきであるということを教育され、そしてすべての事象に対していい面として観察するように教わっているんだなということをここで知った。ということは、他の王家に属しているひとの日記というのも、似たような視点でモノを見ているんだろうと考えたのは言うまでも無い。一般的なヨーロッパのことを書かれたのでは、現代日本に住んでいる自分にとっては理解しにくい。やっぱり、フランツ・フェルディナンドのように、日本にやってきて、日本をどう見たかというのを比較したほうが理解しやすいかなと思った。

日本にやってきた王家のひとといえば、フランツ・フェルディナンドのほかに有名なひととして、ニコライ二世が皇太子だったときにやってきたという事実がある。彼は、日本滞在中に大津事件というものに巻き込まれてしまうのだが、きっとそのときにも日記を書いていたのだろうと勝手に想像した。

調べてみると、やっぱりニコライ二世も日本滞在中に日記を書いていたおり、それを1冊の本にして出版されていることがわかった。それが「最後のロシア皇帝・ニコライ二世の日記」である。書物への期待はフランツ・フェルディナンドの書いた内容に近いものが書かれているものというのだったが、それは見事に打ち砕かれた。

上記の本は、日本人学者がモスクワの古文書管理をしているところに足しげく通って、ニコライが書いた日記を書き写してきたものを、ダイジェストで紹介しているというものである。つまり、ニコライが書いた日記を原文そのままを書物に掲載しているというものではない。更に言うと、この学者もどきの人が、たくさんの注釈や個人の考えを、勝手な補足説明として記載しているものだから、テレビを見ている最中に、途中でCMをバンバン入れられているような感覚と似ていて、余計な説明要らないから、ニコライの生の声だけを聞かせてくれーと思うような本だった。

フランツ・フェルディナンドの日記の場合は、一字一句、毎日の日本滞在期間中のすべての日記を途中省くことなく記載しており、毎日書いた日記にしては、1日あたりの日記として書いている量はすごい量で、この文章を書くのに一体どのくらい時間を費やして書いているんだろう?と不思議になってくるものだった。だいたい、毎日宴会をしているような貴族の遊びみたいな日の終わりに記載しているんだろうけど、今の時代のように電子テキストで記載しているわけじゃないから結構時間がかったことだろうろ感心する。

ところが、ニコライの日記もおそらく本物の記載については、内容が濃いものだったと思われる。しかし、この著者が勝手にダイジェスト化して、著者が伝えたいことだけを書いていることなので、文章に勢いやリズムが途中で崩れるのである。おまえの感想や補足は要らないのだ。

更に言うと、日記というからには、滞在期間中を古い日付から順番に記載していくものかとおもうではないか。ところが、この著者が編集したニコライの日記集は、日付があちこちとぶっ飛ぶ。ある日記の中で記載した内容は、実はこの日にこういうことを書いていることから発生した思考なのだというような書き方をしている。そういうのは要らないのである。だったら、日本滞在中の日記だけではなく、数年前からの日記をずらずらと記載すればいいじゃないのか。せっかく講談社学術文庫から本を出版しているのだから、それなりにバカがこの本を読もうとしているわけじゃないんで、もっと読者に考えさせるような書き方にすればいいのにと思った。読者を馬鹿にしすぎている。

確かに、ロシア皇帝の情報というのは、ソ連が徹底的に破壊してしまったので、実はそれなりに残していないような気もするのだが、それでも自称「足しげく通って資料をまとめていた」のであれば、要らぬ情報を追加せずに掲載されてほしかったものだ。

ただ、この著者を通して知ったことは、ニコライが皇太子のときに日本にやってきて、日本のことを本当に楽しんでいたということもそうだが、結構遊び人で長崎では芸者といいこともしているし、部下のひとたちにも「ヤレヤレ」とお咎めなしにやっていたということは、たぶん日本に興味があったということもあったのだが、所詮東国の原始人的な扱いをしていたんだろうと思う。ただし、中国や韓国と違って民衆レベルで繊細でかつ文化高いものを持っていた民族性には驚いていたことに、日本に対する考えが変わったということらしい。

さらに、ニコライは大津事件という暗殺未遂事件を経験するのだが、これはモスクワに帰国してから死ぬまでずっと記憶とトラウマとして残ったようで、大津事件があった日付になると、毎年「今日まで生かせて戴いてありがとう」と神に祈っていたというのには驚いた。大津事件できりつけようとした日本人警官のことを恨んでいるようなことはせず、むしろ、自分を助けた部下とその警護をしていた日本人に対して感謝を常に持っていたことも驚く。それが毎年の日記に載っているというのがすごい。

そして、ニコライが皇帝として在任中、日露戦争が勃発する。日露戦争に関しては日本は総力をかけて戦争に望んでいたが、ロシア側は足並みが揃っておらず、だいたい軍のトップだったニコライ自体が戦争に乗る気がなかったというから笑える。これも軍部からの圧力でしぶしぶニコライが日露戦争に突入したということがわかった。もっと吃驚していたのは、戦争中だというのに、彼はいとこがいるギリシャやクリミアのほうによく旅行をしていたということ。皇族は戦争には関わらないということなのだろうか?この悠長さがロシアに死に物狂いの戦争をさせなかったガンだったのではないかと思われる。

日記というものを通してニコライの人間性を説明するにはおもしろい本だとおもうのだが、フランツ・フェルディナンドのような日記ではないというのだけは再三付け加えておく。両者の本を比較して読むととても面白いと思う。

最後のロシア皇帝ニコライ二世の日記
出版社:講談社学術文庫
著者:保田孝一
発売日: 2009/10/13

2012/01/10

平の高房へ(2012年)

すっかり年始恒例行事になってしまった、新春最初の3連休は、またしても今年も湯西川温泉にある旅館「平の高房」に行くことにした。今年でなんと5年連続の訪問であり、そのうち4年間は毎年この3連休にあわせた訪問である。だから、すっかり行き方については解っていたのだが、ひとつだけ事前確認しておいて「良かった」ことがある。

湯西川温泉は、鬼怒川温泉よりもさらに山奥にある、すごい辺鄙なところであり、車で移動するには、道中、かなり蛇行する山道を走っていかねばならない。さらに、冬季は雪は降るし、道路は凍るし、運転を誤ったらそのまま崖から落下して、湖の藻屑と消えるという場所であるので、これまでそんなに人がめちゃくちゃたくさん行くような場所ではなかったのだが、昨年の7月2日に、なんと湯西川温泉に続く道が大幅に整備され、湯西川温泉駅からほぼ直線の道が出来た。数年かけてその工事が行われていたことは、バスに乗るたびに見ており、「この道ができたら、湯西川温泉にいくひと増えるだろうな」とちょっとがっかりな気持ちを持っていた。そのおかげで、鬼怒川温泉と湯西川温泉を結ぶ路線バスの時刻が変わったことである。

鬼怒川温泉から湯西川温泉に向けた時刻はあんまり変わっていないように思われる。しかし、湯西川温泉からのバスの時刻は大幅に変わったようだ。それだけ湯西川温泉駅から湯西川温泉までの時間が短縮されたということだろう。詳細は、こちらで事前にチェックしていただきたい。

なお、今回の湯西川温泉までの行程としては、いつものように同じ電車・同じルートでいくことにした。ただし、帰りはいつもよりちょっと早い帰京になる。湯西川温泉から鬼怒川に行くバスが、いつもより早い時間になってしまったことがその原因だ。

■行き

・東武特急スペーシア きぬ115号
  浅草 12:00 発 ⇒ 鬼怒川温泉 13:58 着
・日光交通バス
  鬼怒川温泉駅 14:10 発 ⇒ 湯西川温泉着 15:05 着

■帰り

・日光交通バス
  湯西川温泉発 10:00 発 ⇒ 鬼怒川温泉駅 10:55 着
・東武特急スペーシア きぬ118号
  鬼怒川温泉 11:15 発 ⇒ 浅草 13:15 着

東武特急は全席指定席であるため、ラッキーならば、当日駅に行って、その場で購入することはできるのだろうが、3連休のような誰もが出かける期間で有る場合には、事前に予約はしておいたほうがいいだろうと思う。東武鉄道のサイトでも予約サイトが存在するので、そこでネット予約はできることはできる。前もそうだったのだが、うちの近くには実は東武鉄道の駅もなければ、東武トラベルの店も存在しない。なので、本当ならネット予約をすればいいのだが、それでは値段を安く出来ない。値段を安くしたいという意味では、東武鉄道が発行しているお得なパスも一緒に買うべきだ。

東武鉄道が発行しているお得なパスは「まるごと鬼怒川・東武フリーパス」である。これを使うと、東武鉄道の下今市までの往復運賃と、下今市から湯西川温泉間は乗り降り自由区間であり、さらに鬼怒川温泉から特定区間のバス区間は乗り降り自由というすばらしいパスである。これを使えば、単純に電車+バスを別々に払うよりは全然安い。それにバスでいちいちお金を出す必要が全く無い。そして使える期間が、初日から4日間というすばらしいものだ。これを買うには東武関係の店や駅にいくしかないのだが、うちには近くにないのでJTBで購入。冬季期間は通常より安いので、4240円/人でOKだ。あとは、特急料金片道1400円を払えばいいわけである。

実際にバスに乗ると、バスは距離別料金になっているので、降りる場所によっては値段が異なってくる。それを毎回、運転席横にある料金表示で確認して、両替したりして支払うというのは、面倒くさい。ここはスマートにパスを提示して、そのまま降りてしまえばいい。このパスを利用しているひとはほとんど見られなかったのはなぜだろう?たぶんほとんどのひとがパスの存在を知らないのではないのかな?という気がした。無知はダメだ。

それにしても、毎回思うのは、便数が少ない湯西川温泉駅まで行って、そこから結構人が乗っているバスに乗ろうとする人が多いことか。鬼怒川温泉まで電車で、鬼怒川温泉始発のバスに乗っていけばいいじゃないかという気がする。時期によっては、湯西川温泉駅から乗ろうとしても、バスで座れないというときが結構あるだろう。今回もやっぱり湯西川温泉駅から乗ってくるひとが多かったために、座れることが出来ない人が結構いた。湯西川温泉駅から30分の間、立ちっぱなしになっているのは結構辛いことだろうとおもう。宿泊先の「平の高房」には、湯西川温泉駅にバスが到着して、乗客がたくさん乗っている間に電話をかけて、この時間のバスに乗っているので、迎えに来てくれというのを伝えれば、バス到着にあわせてお迎えをしてくれる。そうしないと、バスの最終バス停から旅館までは、かなりの坂道を1.2kmくらい歩かないといけなくなるから、これは雪道に慣れていない人は辛いものだろう。

さて、宿泊先に到着すると、仲居さんが丁重にお出迎えをしてくれた。そして、宿泊手続きをしている間に、心づくしのお茶とお菓子の提供を受けるのは嬉しい。最近泊まる部屋は、3階隅部屋の「宗盛」。逆側の隅部屋は「清盛」であり、そちらの部屋にはいまだかつて泊まったことが無い。今回の湯西川温泉への温泉旅行でびっくりしたことが2点ある。

1点目は、湯量の問題。平の高房は、源泉かけ流しの場所であり、「日本秘湯を守る会」の会員になっているところである。さらにこの旅館の湯量は、以前の表示では、220立方リットル/時が可能であり、日光市の規定の180立方リットル/時にするために、160立方リットル/時に抑えているというのであるが、今回どこのお風呂も湯がたっぷりあるものかとおもっていたところ、表にある露天風呂のうち、大きな露天風呂のところは入浴時間に時間制限を設けていたことである。女将いわく「外気温が低いために、お湯が冷めてしまうため、お湯を集中的に暖めた状態にしたいために、時間制限を設けた」と言っていた。不思議な話だ。もともとの湯量を多くすればいいだけのことなのに、それを変えないでいるという。さらに、今年が特別に冷え込んだ年というわけではなく、毎年この時期の湯西川温泉は寒い。去年はやっぱり寒かったのに、入浴制限をしているようなことはなかった。何か特別なことがあったのだろうか?

もう1点は、7月2日に新しい道路が出来たことによって、湯西川温泉の認知度があがって、もっとたくさんの人が来ているんだろうと思ったのだが、意外に満室じゃなかったようだ。一番客が来る時期だとおもうのに、そうじゃない。理由はなんとなくわかった。福島原発の事故のせいである。福島原発の事故によって放出された放射能は、原発地域から西側にかけて広範囲にわたって高濃度を放出中である。政府はメンツのために、昨年度中に収束に向かったなんてふざけた宣言をしたのだが、世界のどこの国もこんな情報を信用していないし、逆に「アホ」と思われているのを日本国民はマスコミも報道しないので知られていない。しかし、風の向きにの関係で高濃度の放射能が湯西川などの日光地域にも当然ずっと来ていたもので、そのために栃木以北の地域に行こうとするひとが激減しているのが現状であり、これはいまだに続いている。政府がウソ+超遅延の情報開示をするために、誰もいまでは政府と東京電力の情報を信用しなくなったためだ。狼少年のような状態になった政府+東京電力+マスコミの情報なんか、一般市民は誰も見向きもしない。それをこの3者はまだわかっていないし、黙っていれば、時間だけが解決してくれると本気で思っているらしい。

実は不思議だとおもった最初の点についても、実は、東日本大震災の影響で、湯量が激減したんじゃないのだろうか?と思っている。最新の温泉調査を旅館側に掲示していないのでなんとも憶測でしか言えないのだが、旅館が宿泊施設を拡張したわけじゃないのに、入浴制限をしたということは、地震の影響で出るものが出ないで、そのために仕方なく、やりくりする必要があるのでは?という苦肉の策だったんじゃないのだろうか?

平の高房のいいところは、大女将と若女将の笑顔と、料理がとても美味しいこと、そして温泉施設が豊富であることだ。そのうちの1つ、温泉設備が100%完璧な状態で使えなかったのは少し残念だったと思う。しかしながら、それでも90%程度の状態で使えているので、まだいいと思う。もっと川下のほうにある大きなホテルで、どの程度の湯量が得られているのかどうかは不明である。

今回の平の高房での御飯は以下の通りである(写真は後日アップロード予定)

■初日夕御飯

■2日目の朝食

■2日目の夕御飯

■3日目の朝食

今回泊まった部屋では、嬉しいことに、加湿器が置いてあった。暖房が部屋にはあるのだが、これをマックスで使っていると、部屋の中がすごい乾燥する。そこを加湿器で補うのだが、それでもまだまだ湿度としては足らないと思う。これ以上、大きな加湿器が必要とは思わないが、いっそうのこと提供してくれるバスタオルをほとんど絞らずに、そのまま部屋のハンガーにかけておいたほうがいいと思われる。

そのほかテレビはいまだにブラウン管のものなのだが、地デジ対応になっていた。おそらくこれはケーブルテレビを引き込んでいるために、テレビ施設を替えずにそのまま利用しているのだろうと思われる。だから、iPod を外部接続して、iPod に入れていた動画をテレビに映すことは可能だった。

そういえば、初日の晩に、隣後ろに座っていた2人組の人たちは、絶対ゲイだったとおもう。見た目がそうだったし、食べ方が小指立てていたし、座り方が胡坐をかいているというよりも、女すわりをしていたし、こちらをチラチラ気にしていたし。だったら、仲間に入ってきますか!?と声をかけようとしたが、面倒くさいから止めたw。残念ながら彼らとはお風呂場で一緒になることはなかったし、1泊でチェックアウトをしてしまったようである。

いつもなら、湯西川温泉で「平家最中」をおみやげとして買うのだが、今年は荷物になると思ったし、家に帰ってもまだ食べなければならないお菓子類がたくさんあったので、買う必要ないなとおもって止めた。ちなみに、平家最中は、ホテル・旅館で事前予約しないと買うことはできない。実際に製造元にいくのであれば、いつでも購入は可能だ。

それにしても、今回の温泉旅行も、温泉に入る⇒食べるor飲む⇒寝る⇒温泉に入る⇒食べるor飲む.....の繰り返しだった。こんなにのんびりをしていていると、下界に戻って、まともに仕事をしなければならなくなったときに、元に戻れるのかどうかという不安はある。しかし、たまにはこういうのんびりした過ごし方もいいとおもう。移動だけで終わってしまう1泊2日よりも、最低でも2泊3日で同じところで泊まってのんびりするのがいいんじゃないだろうか?スローライフ、万歳!


東武特急の時刻表
URL : http://www.tobu.co.jp/special_express/timetable/special_ex.html

日光交通バス時刻表(鬼怒川温泉駅⇒湯西川温泉 平成23年7月2日改定)
URL : http://yunishikawa-kawamata-okukinu.jp/105.html

平の高房
URL : http://www.takafusa.jp/
Address : 〒321-2601 栃木県日光市湯西川1483
Phone : 0288-98-0336