以前、オーストリア皇太子の日本日記を読んだときに、サラエボ事件で暗殺されるフランツ=フェルディナンドが日本にやってきたときの渡航日記の内容があまりにも素晴らしく、そして将来、オーストリア=ハンガリー二重帝国の皇帝になることが約束されたことは当然だったし、そういう人が生で書いた文章がとても繊細だし、詳細な視点を持っているし、感性が豊かだし、興味があるところはとことん掘り下げて追求しているし、どちらかというと興味が無いものは知るかボケーという感じのものがストレートに伝わってきたからだ。これこそ猫人間的視点で書かれた最高傑作の日記だとおもう。それも1冊の本になったときに、1つも追記や補足説明のようなものがなく、すべて日記をそのまま転記されているもの。フランツ・フェルディナンドが日本にやってきたときに、何を感じ、何を見て、日本をどう思ったかというのが本当に率直に書かれている。そして、なんといっても、当時の日本から見ると、オーストリアは超一級の先進国であり、オーストリアと比較してどうみても目下の日本に対して、まったく蔑視を持ったり、偏見な眼で観察していたというところが全く無いのがとてもいい印象だった。
皇帝になる素養が有る人は、もともと他国に対して尊敬の念を持って接するべきであるということを教育され、そしてすべての事象に対していい面として観察するように教わっているんだなということをここで知った。ということは、他の王家に属しているひとの日記というのも、似たような視点でモノを見ているんだろうと考えたのは言うまでも無い。一般的なヨーロッパのことを書かれたのでは、現代日本に住んでいる自分にとっては理解しにくい。やっぱり、フランツ・フェルディナンドのように、日本にやってきて、日本をどう見たかというのを比較したほうが理解しやすいかなと思った。
日本にやってきた王家のひとといえば、フランツ・フェルディナンドのほかに有名なひととして、ニコライ二世が皇太子だったときにやってきたという事実がある。彼は、日本滞在中に大津事件というものに巻き込まれてしまうのだが、きっとそのときにも日記を書いていたのだろうと勝手に想像した。
調べてみると、やっぱりニコライ二世も日本滞在中に日記を書いていたおり、それを1冊の本にして出版されていることがわかった。それが「最後のロシア皇帝・ニコライ二世の日記」である。書物への期待はフランツ・フェルディナンドの書いた内容に近いものが書かれているものというのだったが、それは見事に打ち砕かれた。
上記の本は、日本人学者がモスクワの古文書管理をしているところに足しげく通って、ニコライが書いた日記を書き写してきたものを、ダイジェストで紹介しているというものである。つまり、ニコライが書いた日記を原文そのままを書物に掲載しているというものではない。更に言うと、この学者もどきの人が、たくさんの注釈や個人の考えを、勝手な補足説明として記載しているものだから、テレビを見ている最中に、途中でCMをバンバン入れられているような感覚と似ていて、余計な説明要らないから、ニコライの生の声だけを聞かせてくれーと思うような本だった。
フランツ・フェルディナンドの日記の場合は、一字一句、毎日の日本滞在期間中のすべての日記を途中省くことなく記載しており、毎日書いた日記にしては、1日あたりの日記として書いている量はすごい量で、この文章を書くのに一体どのくらい時間を費やして書いているんだろう?と不思議になってくるものだった。だいたい、毎日宴会をしているような貴族の遊びみたいな日の終わりに記載しているんだろうけど、今の時代のように電子テキストで記載しているわけじゃないから結構時間がかったことだろうろ感心する。
ところが、ニコライの日記もおそらく本物の記載については、内容が濃いものだったと思われる。しかし、この著者が勝手にダイジェスト化して、著者が伝えたいことだけを書いていることなので、文章に勢いやリズムが途中で崩れるのである。おまえの感想や補足は要らないのだ。
更に言うと、日記というからには、滞在期間中を古い日付から順番に記載していくものかとおもうではないか。ところが、この著者が編集したニコライの日記集は、日付があちこちとぶっ飛ぶ。ある日記の中で記載した内容は、実はこの日にこういうことを書いていることから発生した思考なのだというような書き方をしている。そういうのは要らないのである。だったら、日本滞在中の日記だけではなく、数年前からの日記をずらずらと記載すればいいじゃないのか。せっかく講談社学術文庫から本を出版しているのだから、それなりにバカがこの本を読もうとしているわけじゃないんで、もっと読者に考えさせるような書き方にすればいいのにと思った。読者を馬鹿にしすぎている。
確かに、ロシア皇帝の情報というのは、ソ連が徹底的に破壊してしまったので、実はそれなりに残していないような気もするのだが、それでも自称「足しげく通って資料をまとめていた」のであれば、要らぬ情報を追加せずに掲載されてほしかったものだ。
ただ、この著者を通して知ったことは、ニコライが皇太子のときに日本にやってきて、日本のことを本当に楽しんでいたということもそうだが、結構遊び人で長崎では芸者といいこともしているし、部下のひとたちにも「ヤレヤレ」とお咎めなしにやっていたということは、たぶん日本に興味があったということもあったのだが、所詮東国の原始人的な扱いをしていたんだろうと思う。ただし、中国や韓国と違って民衆レベルで繊細でかつ文化高いものを持っていた民族性には驚いていたことに、日本に対する考えが変わったということらしい。
さらに、ニコライは大津事件という暗殺未遂事件を経験するのだが、これはモスクワに帰国してから死ぬまでずっと記憶とトラウマとして残ったようで、大津事件があった日付になると、毎年「今日まで生かせて戴いてありがとう」と神に祈っていたというのには驚いた。大津事件できりつけようとした日本人警官のことを恨んでいるようなことはせず、むしろ、自分を助けた部下とその警護をしていた日本人に対して感謝を常に持っていたことも驚く。それが毎年の日記に載っているというのがすごい。
そして、ニコライが皇帝として在任中、日露戦争が勃発する。日露戦争に関しては日本は総力をかけて戦争に望んでいたが、ロシア側は足並みが揃っておらず、だいたい軍のトップだったニコライ自体が戦争に乗る気がなかったというから笑える。これも軍部からの圧力でしぶしぶニコライが日露戦争に突入したということがわかった。もっと吃驚していたのは、戦争中だというのに、彼はいとこがいるギリシャやクリミアのほうによく旅行をしていたということ。皇族は戦争には関わらないということなのだろうか?この悠長さがロシアに死に物狂いの戦争をさせなかったガンだったのではないかと思われる。
日記というものを通してニコライの人間性を説明するにはおもしろい本だとおもうのだが、フランツ・フェルディナンドのような日記ではないというのだけは再三付け加えておく。両者の本を比較して読むととても面白いと思う。
最後のロシア皇帝ニコライ二世の日記
出版社:講談社学術文庫
著者:保田孝一
発売日: 2009/10/13
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