2011/05/21

クロアチアの辞書

クロアチアに滞在してすぐに買えば、それなりにいろいろな使い道ができるだろうとおもったのに、買うまで全く買わなければならないという欲求をすっかり忘れていた。しかし、クロアチア語と日本語の辞書があるとは思っていなかったので、それであればクロアチア語と英語の辞書でもいいかなとおもった。

たまたま立ち寄ったザグレブの本屋で、辞書あるかなーと探してみると、だいたい辞書がどこにあるのかわからない。そこで思い切って本屋のおばさんに聞いてみた。そしたら日本ではほとんど見たことがないが、日本語とクロアチア語の辞書があった!それも199HRK。日本でもクロアチア語の辞書は売られているが、それもめちゃくちゃ高い。セルビア語とクロアチア語は、文字が違うだけでほとんど同じなので、一緒になっているときが多いのだが、それが1万円くらいの値段である。語彙も少ないので、全く役に立たない。今回買った辞書は、辞書としてはまぁまぁ使えるが、例文がほとんどないので、辞書としての魅力はとても少ないタイプ。単語のみが紹介されているタイプであり、通常ならクロアチア語⇒日本語、日本語⇒クロアチア語の2冊が必要なところを1冊で収めてしまったというタイプだ。だから、ある程度文法も知っているひとで、単語の参考に使いたいというひとであれば、この辞書は有益だと思う。辞書で勉強をしたいという人には不適だ。クロアチア語の辞書という超ニッチな世界の辞書なので、ほとんど使うことは無いだろう。なにかの拍子でクロアチア語のことが出てきたときに、奥からこの辞書を引っ張り出してきて調べたいと思う。

トンプソン(クロアチア)

クロアチアはサッカーがとても強いところである。サッカーのワールドカップフランス大会だったかで、日本はクロアチアと対戦したこともある。そして、名古屋グランパスエイトで活躍したストイコビッチの故郷でもある。いまストイコビッチは名古屋の監督をしているから、意外と日本とクロアチアはサッカーを通じてよく知った仲だといったほうがいい。

クロアチアが欧州選手権で試合をするとき、その応援のすごさは、イングランドのフーリガンとは異なるのだが、なかなか定評があるものと言えよう。なにかの拍子で Youtube でクロアチアの応援団のハーフタイムでの様子を撮影した映像を観たのだが、スタジアム全体が揺れるような応援をして、そして決して打楽器でうるさくするのではなく、声だけで、歌だけでその応援をやろうとして盛り上がっている様子だった。クロアチアは人口が少ないとはいえ、サッカーにかける熱はどこの国よりも熱いという印象はあった。

その歌によるクロアチアチームへのエールを意味する応援というので、絶対使われる音楽というのがクロアチアにはある。それはクロアチアのロックバンド・トンプソン(Thompson)の「Lijepa li si」である。この歌を歌うことが慣わしといつのころかわからないが成り立っているようである。それは、テレ朝でワールドカップサッカーへの途中経過を報告する際に、サラ・ブライトマンの「A question of Honor」の曲がかかるくらい現地では御馴染みとなっている。つまり、トンプソンの曲は誰もが知っている曲であり、誰もが歌える曲なのである。

でも、この曲がトンプソンという人たちの曲だというのは全くしなかったのだが、クロアチアの情報を渡航前に調べているうちに、クロアチアで一番良く知られているバンドというのがトンプソンであるというのを知って、トンプソンというのはどういう曲を奏でる人たちなのだろうというのが全く想像できなかった。なぜならトンプソンという名前が、アメリカ人にでもありそうなありふれた名前なので、ガイドあたりに書いているトンプソンと、検索して出てきたトンプソンが同一のものなのかは全然わからなかったのである。だから、クロアチアに着いたら、まずはトンプソンのベスト版でも買って、どういう曲なのか聴いてみたいなと思った。

さらに事前に調べてみると、トンプソンはその曲が過激すぎるために、いろいろなところで反対にあったり、自粛にあったりしているという話も見たことがあった。どこまで本当の話なのかは定かじゃないから、きっとロックバンドというキーワードはわかっていたので、今は亡き聖鬼魔Ⅱみたいな曲調だったり、「ぶっ殺せー」みたいな歌詞をばんばん使っているバンドなのかと、勝手な妄想は広がった。

しかし、帰国して、現地で買ったベスト版のCDアルバム「Sve najbolje」を実際に聞いてみた。アルバムの曲は下記の通り。このアルバムはトンプソンが活躍した過去の曲の中で、1991年から2003年までに発表したなかから選ばれている。CDはクロアチア語の題名しかないので、括弧書きで英語に訳したものも追記してみた。
「Sve najbolje」: Thompson
Released in 2003

1. "Ivane Pavle II" (John Paul II)...............................4:28
2. "Radost s visina" (Joy from Above)............................4:58
3. "Lijepa li si [s gostima]" (You are Beautiful)................4:18
4. "Prijatelji" (Friends)........................................3:56
5. "E, moj narode" (Oh, my people)...............................4:56
6. "Reci, brate moj" (Tell me, my brother).......................4:25
7. "Neću izdat ja" (I will not betray)...........................4:08
8. "Rosa" (Dew)..................................................3:02
9. "Ljutu travu na ljutu ranu" (Sour grass on the sour wound)....4:18
10. "Ne varaj me" (Don't deceive me)..............................4:15
11. "Geni kameni [uživo]" (Genes of stone)........................6:02
12. "Iza devet sela" (Behind nine towns)..........................4:00
13. "Moj Ivane" (My Ivan).........................................3:33
14. "Zaustavi se vjetre" (Stop, wind).............................4:19
15. "Pukni puško" (Gun, shoot)....................................3:36
16. "Bojna Čavoglave" (Čavoglave Battalion) ......................3:23
17. "Anica - kninska kraljica" (Anica - the queen of Knin)........3:52
18. "Stari se" (Getting older)....................................3:45

このアルバムの中には、クロアチアのサッカーチームの応援歌にも該当する「Lijepa li si」が入っているので、是非聞いて欲しい。

さて、曲調なのだが、決して「あぁあああ」と叫ぶようなヘビメタ系でもなければ、過激な歌詞をばんばん出しているようなバンドでは全然ない。バンドが持っている基本的なコンセプトとしては、「祖国、神、家族」。もともとクロアチアは歴史的に、大国に常に侵略されていたので、独立心というのは常に持っている。そしてどこかに支配されているため、クロアチア人であることを一番の重要の誇りだとしているのである。つまりアイデンティティを常に保持しているからということだろう。だから、クロアチアの内戦だったり大セルビア主義勢力に対する反抗というのが、反抗された勢力からすると「過激」というのに見える。自分たち日本人から見たら、遠い国での事象は、一方からの情報が正しく、それ以外の情報は嘘だと勝手に思ってしまうところがある。実際に曲を聞いたら、全く過激でもない。祖国が好きだー!祖国が素晴らしい!祖国が一番美しい!と言っているだけ。どの曲も実はニュアンスは同じ。だから、愛国心バンバンに入った歌詞を歌っている人たちなのである。それが過激だと言われてもしかたないが、クロアチア人の愛国心は半端無いので、彼らの曲が好きになり、いろいろな場面で使われるのは当然といえば当然なのだろう。

いい曲をたくさん歌っているので、是非クロアチアの音楽にも日本はフォーカスを当てて欲しいと思う。

ヴィノドール(ザグレブ)

クロアタで数本のネクタイを買ったあとに、そのまま夕御飯に出かけたが、あんまりクロアタから離れたところにいくのも面倒くさいので、事前にクロアタの店から近いところで選んだのが、「レストラン・ヴィノドール(Restoran Vinodol)」である。入口は店らしい窓口ではなく、どこか中庭に行くんですか?というようなところが入口。その入口の看板も、これまた目立たない薄めの色のネオンサインになっているので、客が来て欲しくないのか、それとも、一元さんお断りとでも言わんばかりの構え。どこかの観光地だったら、「いらっしゃい、いらっしゃい」と呼び込みでもするんだろうが、この店は奥まったところにあるのに、まったく呼び込みなんかするつもりもないらしい。さて、他人を拒むような中庭に続くような入口を入っていくと、すぐその通路にソファ類が用意されていて、何の人たちだろう?と一瞬怯む。実はレストラン・ヴィノドールはカフェも併設されていて、通路のひとたちは、そのカフェでお茶やアルコールを飲んでいる人たちなのである。非常に紛らわしい。

そんなソファ族の人たちを横目にさらにどんどん奥に進んでいくと、本当に中庭みたいなのが広がる。そこがヴィノドールの食事をするところであり、いちおう「アウトドア」の部分に該当する。寒い場合にはインドアのほうもある。いつもこのようにインドア/アウトドアの2種類があった場合には、迷わずインドアのほうを選ぶのだが、このときにはなにを血迷ったのか、アウトドアのほうを選んだ。特にこの日は気温が低い日というわけでもなく、暑くもなく、日差しが強いわけでもないという、「ないない」尽くしだったので、なぜか頭の中でアウトドアを選んでしまったのだろう。今思い出しても「???」である。店内を見回すと、ほとんどの客がインドアのほうではなく、アウトドアのほうばかりを選んでいる。そんなにアウトドアのほうがすきなのだろうか!?後から後から入ってくる客がみんな室内に入らないで、外の席に座る。一番印象深かったのは、ザグレブの大学に留学している学生らしいひとと、日本の大学で世話になった先生を招待して食事に来ていた2人組。先生のほうがビール等をいっぱい飲んでしまったみたいで、さっさと酔っ払ってメインの御飯が来る前にテーブルで居眠りが始ってしまったという光景を見てしまったところ。たまたま、目に入ったのが日本人だったので、へー、日本人だーと見ていたので機になったのである。

さて、実はあんまりがっつり頼みたくなかったので、軽い物ばかりにしてみた。この店で頼んだ料理は下記の通り。

・パン(Kruh Mala Kosara) : 10HRK
・クリームソースのラビオリ(Domaci Siroki Rezanci s pr) : 52KRH
・ザゴルイェ地方風のスープ(Zagorska Juha): 26HRK
・肉の盛り合わせ(Mijesano Meso) : 73HRK
・子羊のカツレツ・ザグレブ風(Zagrebacki Teleci Odrezak) : 78HRK

まずはメインに行く前に腹に入れようと思ったのが、軽いパスタとスープ。ザグレブの北部にある地方のザゴルイェ地方でよく食されているスープを頼んでみた。パスタのほうはクリームソースたっぷりで、中に肉が入っているラビオリとうまく絡めてある。スープは牛肉のスープに近い味がする。色はトマトスープのような色をしているのだが、たぶんこれはパプリカだろう。ハンガリーのグヤーシュに似たようなスープだ。パンが勝手にくっついて来るのは良いとしても、これ、別途料金を取られるものなので、要らないのであれば「要らない」というべきだが、それでもやっぱりパンは必要だと思う。パンに余ったソースをつけて食べたりすると、別の食べ物に感じたりするからだ。

メインのうち、子羊のカツレツについては、皿が運ばれてきたとき、すごい細長いコロッケか?と思ってしまった。しかし、実際にナイフとフォークで中身を切ってみると、実にジューシーな肉が衣をつけて揚がっている様子がよくわかる。マトン肉ではなくラム肉なので、肉自体が柔らかいし、肉臭い味は全くしない。そうなると、肉料理は美味しく感じる。肉自体に味がついているのか特にこれにソースをつけて食べる必要がないというのもなんだか不思議だ。付け合せのポテトをすりつぶしたモノが邪魔くさいとおもうのだが、これもあり合わせとしては良いアクセントになるとおもう。肉の盛り合わせは、料理として素材が複雑だ。ポークチップ、ケバブ、伝統的なソーセージのフライ、ハンバーガー、ミンチの肉、それぞれがごっちゃまぜになったような料理。でも、調理されてテーブルに運ばれてきたときの皿の上は、そのミックスされた肉の乱交状態は、まったく異質のものではなく、あたかもどれも同じ肉でできたもののように見えるから不思議だ。味は想像の通り。肉らしい肉料理。日本の肉料理のように脂身を多く使ったわけじゃなく、むしろ、肉の重要なほうばかりを選んで使われているようなものなので、肉臭いと言ったほうがいいだろう。これがまた美味い。この店でデザートでも食べようかと思ったのだが、もう肉ばかりの料理で結構おなかがいっぱいだったので、この晩はこれで終了した。でも、コーヒーくらい飲んで帰ってもよかったかなーという気がする。

Restaurant Vinodol
URL : http://www.vinodol-zg.hr/
Address : Tesla, Zagreb 10000, Croatia
Phone : +385 1 48-11-427

クロアタ(クロアチア)

ドイツ語でネクタイのことをKrawatte、フランス語でもcravate、イタリア語でもcravattaという。英語以外のヨーロッパ言語では、全部共通した言葉からネクタイを意味する言葉ができている。その大もとになったのは、「クロアチア人」を意味する「クロアタ(Croata)」という言葉なのである。

クロアチア人とネクタイってどういう関係?というと、いろいろな本に書かれているので、いまさら書くのもおこがましいことなのだが、17世紀に起こった30年戦争に話としては歴史がさかのぼる。クロアチアの地方では、兵士が戦場に出るときに、妻や恋人が愛する人の無事を祈るために、首にスカーフを巻いて送り出したという習慣があった。スカーフを巻くといっても、ぐるぐる巻きにするのではなく、首に巻いて垂らすと言う形式だったのだ。当時の30年戦争でフランス側は、クロアチア人を傭兵として雇っていた。貧乏な地域のところは、金のなる国家で傭兵として金を稼ぐという習慣もこのころにはある。一番有名なのはスイス人の傭兵なのだが、あらゆるところで傭兵として働いていたために、各国の情報を得ることになり、その延長として世界に名だたるスイス銀行というのができあがったというのは有名な話。クロアチア人も傭兵として働いていたところ、ルイ14世の目にクロアチア人のスカーフ姿が目に付いた。そこからルイ14世はは現在のネクタイに繋がるものを作らせたというのが事の起こりだ。

現在クロアチアには、ポトマック社が「Croata」という名前でクロアチアを代表するネクタイやスカーフを中心とした繊維・革製品を展開している。ロゴもネクタイの形を文字に織り込んだものを使っているのでとてもわかりやすい。店舗としてはクロアチア国内に店舗展開しており、ドブロブニクなら旧市街の被聖母昇天大聖堂の傍に、ザグレブならギャラリアの中に存在する。クロアタ名義のネクタイも、世界各地のデパートあたりでも手に入るんじゃないのかなとおもうのだが、これはまだ未確認である。
店内はネクタイだけじゃなく、紳士服に必要なシャツや革製品も用意されているので、本来ならネクタイだけ買いに行ったつもりなのに、あれも買っちゃおう、これも買っちゃおうと思わず手当たり次第買ってしまいたくなるようなものだ。ネクタイ自体もいろいろな種類のものがあり、本当にどれを選んだらいいのか困る。デザインもクロアチアに関したデザインのものがあったりするので面白い。旗をモチーフにしたものだったり、グラゴール文字をモチーフにしたものだったりと、なかなかそのバラエティの豊富さはかなり目を見張るものがある。

今回この店で3本のネクタイを買った。もともと赤系統の色のネクタイが欲しかったのだが、いい機会だったので今回クロアタで全部買ってみることにした。ネクタイ自体はかなりしっかりした記事になっているので、ちょっとやそっとでは伸びたりしない。またネクタイ自体の生地がしっかりしていることで、ネクタイを結んだときにとても格好が良いようにみえるのも頼もしい。クロアタのネクタイが日本でも手に入ればいいんだが、どこか輸入代理店になってくれないだろうか?お願いします。

ギリシャ正教会(ザグレブ)

クロアチアにもギリシャ正教の教会が実は存在する。Preradovica 広場の目の前に、実は教会が立派に立っている。が、あまりこの教会人気が無いのか、観光客としてこの教会に入る人は少ない。ザグレブの教会としては、被聖母昇天大聖堂のほうがめちゃくちゃ有名だし、他に小さい教会に行こうと思っている人はあまり観光客ではいないからだろうと思われる。

個人的にはこのギリシャ正教会はとても好きなところだという印象が残っている。それはカトリックの教会ばかり見てきたからと言うこともあるのだろうが、教会内部がとても綺麗だったからでもあるが、教会がある場所は、周りがめちゃくちゃ喧騒地帯なのに、この教会に入ったとたんに、外のうるささは全く聞こえなくなるからである。
さて、教会の中に入ってみよう。

ギリシャ正教はあまり偶像を用意しないようで、正面にはセルビア正教会と同じように祭壇に該当する正面のところに、大きなイコンの塊みたいなのが用意されているのが普通だ。ここでもやはり形式どおりの大きなイコンの塊が用意されており、特に正面の祭壇にあたりところが、カトリック教会みたいに舞台になっているわけではない。司教に相当する人が祭壇という舞台で演じるようなシステムになっているカトリックとは違い、昔ながらのキリスト教の教えと信仰の仕方を残しているビザンチン教会に属するギリシャ正教会のほうが個人的にはすっきりしていて好きである。カトリック教会のようなミサをみたことがないのだが、実際にこの教会で行われるミサはどのように行われているのかというのをちょっと垣間見たい気がする。だが、大体の場合は信者以外はミサに参加することができないのが通例。だからといって、一瞬だけギリシャ正教徒になるのも嫌だしなー。

それよりも、なぜギリシャ正教会に誰も気にしないのだろうか?名が知られていない特に変わったものが置いているものがないからなのだろうか?または、ギリシャ正教会に飾られている人たちは、キリスト、マリア、ヨゼフなど知っている人たちだけじゃなくて、他にもたくさんの良く知らない聖者がイコンとして描かれているから、それをじっくり見て廻るのに相当の知識が必要だからだろうか?いずれにしろ、ザグレブに来た人にはお勧めしたいところである。

ザグレブの街角風景

ザグレブを歩いていたときに、ちょっと変なものを見つけたので、いくつか紹介したい。

まずは、ゲームのスーパーマリオに出てくるマリオそっくりの服装を着た人を発見した。頭に、スーパーマリオのテーマ曲が掛かったのは言うまでもない。
それと、変なものというのとは違うのだが、ザグレブという海にも近くなく、川にも近くもような場所なのに、寿司屋があることを発見した。こんなところでも日本料理の1つで有る寿司が流行っているのかと思うととても不思議な気分だ。値段を見ると、めちゃくちゃ高い。高いくせにどうせ不味いんだろうというのは想像しやすいのだが、こういうところの寿司を食べる人というのは、一体どういう人たちなんだろう?と本当に疑問だらけだ。たまたま通りかかったすし屋の前で、ちょっと客層を見ようかと思っていたのだが、店に入っていく人がいないので参考にならなかった。夜に歩いていると、たぶんどこかの美術館か博物館での展覧会の宣伝だとは思うのだが、ちょっと可愛らしい宣伝のポスターが柱に巻きつけられていたのがあったので、これを写真に撮ってみた。かわいいなー。

Bistro Amfora (ザグレブ)

青果市場がある場所は、付近も含めて、実はたくさんレストランがある。たぶんトカルチチェヴァ通りに近いからということもあるのだろうが、ちょうどザグレブの胃袋と言われる屋外市場とレストラン街に挟まれたところだから、それに派生してできたレストランや、ちょっと食べるところなんていうのが結構たくさんできたんじゃないのだろうかと想像している。

青果市場に面したところで、いつ行ってもたくさんの人がいるので、どのタイミングで入店すればいいのかちっともわからない。もちろん、店の前にいても誰も席に案内してくれる人はいるわけがない。自分で席の確保をして、店のひとにアピールするしかないのである。そんな地元のおっさんばっかりが集まってくるような店にちょっとチャレンジしてみようと思って入ってみたのが、ロンリープラネットに記載されていた店「Bistro Amfora」である。

しかし、本当にぽかーんとしていても誰も相手にしてくれないので、立っていれば、誰か対応してくれるだろうなんていう期待をしていたら、「邪魔だなー、このトーテンポールは」と地元のおっさんたちや店を切り盛りしているおばさんたちに怒られるだけだと思う。でも、そんな無愛想なところに旅行者が行くということは、実は地元の人からもかなり一目置かれる存在として扱われるのを後で知る。

オープンテラスと言えるほどでもないが、店の前にも実は椅子は用意されていたので、底でもいいかなと思ったが、店の前は人ごみが激しい青果市場である。だから、そんな埃だらけのところでご飯を食べるのは絶対嫌だ。だから、どうしても店内で食べたいと思ったので、強引に店内に入ってみた。ところが、店の1階は立ち食いをするひとと、持ち帰りをするひとのための場所であって、そこには椅子というものは全くない。地元のおっさんたちが談笑しながら立ち食いおよび飲みが始っているのである。さて、どこで食べるのかなと探してみると、店のおねえちゃんが「上よ、上」と親指を立ててそちらにいくように促す。階段といっても、すごい狭い階段でそこを上って行くと、実は意外に広いスペースが広がっており、テーブルも椅子もちゃんと用意されている。が、空いているスペースは自分で探して勝手に座れという形式である。

たまたま、6人がけのテーブルのところにおっさんが一人で座っていたので、合い席いいですか?と言おうとしたのだが、全くこのおっさんはクロアチア語しか解さない人だったので、何を言っているのか会話にならなかった。が、おっさんは、風貌が想像するこじきみたいな格好をしている割には、ここの常連ぽい人のようで、店の人とも仲良くしているし、店に来ているほかの常連たちとも顔なじみのような態度をしていたし、なんといっても、騒ぐことも無く、体臭が臭いというわけでもなく、淡々と食事をしているひとだったというのがとても印象的だった。こちらともコンタクトを撮ろうとして「tourist?」とだけ聞いてきた。もちろんそうなので「yes」と答えたが、そこでクロアチア語で「Da」と答えておけばよかっただろうか?とっさに聞かれたので答えられなかった自分が悔しい。でも、おっさんがこちらが「yes」と言ったあとに、ニコニコして受け入れてくれたことだけは確かに感じることができた。なんとなくこのニコニコする意味がわかるぞ、おやじ。

さて、このガストロミーで御飯を食べた料理は下記の通りである。

・鰯のフライ(Srdela) : 26HRK
・イカリング(Lignje Przene) : 38HRK
・Kruh (pan) : 1HRK ×4
・白のハウスワイン(Bijelo vino) 200ml : 12 HRK
・ミネラルウォーター(Negazirana voda) : 6HRK

鰯のフライは、ここでは定番中の定番の料理であり、3枚に卸した鰯を数枚皿に乗ったもので、それに黒パンが乗せられた、ちょっとした定食といった感じだった。間に挟んで食べるのも良し、そのまま食べるのもよしで、食べる人が勝手に皿のなかの品物を使って喰えといわんばかりのことである。イカリングも同じようにここでは定番の料理であるのだが、こちらのほうがいかにもフライという感じがするものだった。
どちらもパンが勝手についてきているのだが、それにも増して追加で勝手にパンが事前に用意されていたし、それがあとで加算されていたことだけは納得行かない。だいたいこの店のシステムを全くわかっていなかったから、入った自分たちが悪いと言うこともあるだろう。

ちなみに、注文は下からおばさんがやってきて取ってくれる。しかし、どうみても細いところを注文をとったり、料理を運んだり、皿をさげたりと、かなり重労働で上り下りが激しい。1日ここで働いていたらきっと足腰が痛くなって、次の日には歩けなくなるんじゃないだろうか?と思われる。しかし、おばさん、がんばった。偉いぞ、すごいぞ。料金は料理と一緒にレシートを持ってくるので、そのレシートと一緒に1階のレジで支払う仕組みになっている。他のレストランみたいに、呼べばテーブルで支払いをしてくれるというような立派なシステムになっていない。だから、料金にはチップ代やサービス料というのは含まれていないのである。そして払う必要も無い。

こういう地元の人たちしかこないような立ち飲み屋みたいなところでご飯を食べるというのもたまにはいいだろう。面白いし、安いし。でも、個人的には疲れるので、もういいや。

Bistro Amfora (ザグレブ)
Address : Dolac 2, 10000 Zagreb
Phone : (01) 4816455
Email : amfora@zg.t-com.hr

マリヤ・ユリチ・ザゴルカ

特になにも囲われていないのだが、傘を持った女性の銅像が突然出てくる。この人の名前はマリア・ユリッチ・ザゴルカ(Marija Jurić Zagorka)。クロアチアの新聞記者であり文学者である貴族出身の彼女は、クロアチア初の女性新聞記者として、女性の地位向上のために戦った人物。ラ ブストーリーとクロアチア史を融合したような小説は、庶民に大変愛されたようだ。ザグレブの魔女迫害について書いた「グリチカ・ヴィイェシュティツァ (Grička vještica)」はクロアチアえも有名な小説のひとつ。この彫刻の銅像は、1991年に彫刻家のスティパン・グラチャンが彼女のために記念碑として立 てたものだ。

ザスタバ

聖マルコ広場あたりをふらふらしていると、結構いろいろと面白いものが見つかるときがある。その中でも気になったのが車だ。別に車に対して興味があるというわけじゃないのだが、見たことがある良くありがちなヨーロッパ車ではなく、見たことも無いようなへんてこりんな車種をみたときには、「おぉ?」とおもって思わず見入ってしまうことがある。

今回見つけてしまったのは、オレンジ色の車で、最初はミニクーパーか、それとも古いタイプのフィアットかとおもっていたのだが、どうも形が違う。後ろに廻って、車のボディの車種を確認してみると「ZASTAVA」と書いてある?はて・・・。聞いたこともない。聞いたことも無いとおもったのも言うまでもない。この車のザスタバというのは、セルビアのちょうど中心地にあたりクラグイェヴァツ(Kragujevac)に本社を置く重工業会社が製造した車だからである。もともとが大砲製造工場として作られた工場なのだが、これが実は結構古い会社。それも1853年に設立というのだから、ハウスブルグ帝国の全盛期で、ウィーン革命が起こった後のことだというのがよくわかる。

さて、車に関してだが、実はフィアットからライセンス供給されて、1960年代から精算している。そのときには、フィアット1300の派生車として製造開始したために、どうしても車体の形がフィアットに似てくるのは当然だろう。日本にはどの程度、この車が輸入されたのかわからないし、この車の性能について全然わからないのだが、外国車に精通しているひとたちに、このあたりのことは詳しく助けを借りたいところだ。しかし、1999年のコソボ内戦のときに一度は工場が爆破されたので、もう新車製造ができなくなったかとおもわれた。だが、復活。完全フィアットの子会社として再建を果たし、また東欧地区に車を販売し始めてというのが歴史である。

見たこともない車だったので、ちょっと写真に撮ってみた。

ニコラ・テスラ

ニコラ・テスラ(Nikola Tesla)はエジソンと並んで偉大なる科学者であり、ちょっとでも物理をかじったことがあるひとであれば、磁束密度のT(テスラ)の単位に使われている元になった人である。

しかし、エジソンよりもどうも知名度が低いのはなぜだろう?世渡りがへたくそだったというのが原因だということだろうとおもわれる。しかし、彼の実績としては、すばらしいものだらけだ。一番有名なのは交流発電の発明だろう。エジソンは直流で電気を突くことを発明したとして有名なのだが、直流は安定的な電力として作り出すのは実は難しい。それをテスラは交流にすることでより安定的な電力供給ができるとしてエジソンと喧嘩している。それに、今では誰でも携帯電話の享受を受けているのだが、その大元の無線技術を提唱したのもこのテスラである。

このテスラ、科学者としては素晴らしい脳みその持ち主なのだが、パトロンとなる人としょっちゅう対立して、資金源を失うことになる。最初は、エジソン、そのあとはJ.P.モルガンだ。自分の意見や考えのほうが断然正しいとしており、相手を認めず、相手が悪い、馬鹿だというほうをおもいっきり相手にぶつけたからだろうとおもう。金のためなら人殺しもいとわない中国人のように、発明や実験のために必要な資金源を得るためにパトロンと上手にやっていくことも1つのテクニックだとおもわれるが、彼にはそれが欠如していたことなのだろう。

さて、そんなテスラだが、ずっとアメリカ人だとおもっていた。正確には、彼はオーストリア=ハンガリー二重帝国時代のハンガリー領にあったクロアチアの人で、民族的にはセルビア人である。ザグレブとはなんの関係も無いのだが、ザグレブには彼の財団が実は存在する。特にマサリコヴァ通りとPreradoviceva通りとの交差点にあたるところ、ギリシャ正教会の傍のところに、なぜかテスラの銅像が普通にごろんと転がっているのである。更に言うと、聖マルコ教会のそばの官庁街にも、実はなにげにテスラに関する建物があったりするのだが、実際にその場所に入らなかったのでここでは詳細には述べないことにした。

晩年はあの世と電波通信ができると本気で研究していたので、現在でもカルトなひとたちには教祖とあがめられているテスラだが、このオカルトへの関心はエジソンも晩年は同じように考えていたのに、なぜかエジソンにはその噂があまり声が高く聞こえてこない。これは不公平だとはおもうのだが、後世の人間が故人をどう評価するかというのは、人それぞれのことだとおもう。

という自分も実はテスラについてあまりよく知らない。もっと事前にテスラのことを知っていたら、テスラ像を見たときに「おぉ!こんなところにテスラ像が!なぜなぜ!?」ともっと興味を持っていたことだろうとおもう。友達が像を見つけて、駆け足で傍まで近寄っていたからどこかの有名人なんだろうとおもっていただけだった当時の自分が情けない。

クロアチアの緑茶

クロアチアの飲み物文化としては、一体どういうものだろうというのかは、渡航するまであまりよくわかっていなかった。地中海沿岸なので、アルコールとしては、ワインは必ずと言っていいほど作られているのはわかる。それと、ドブロブニクにおいても、意外とビール文化がここにあるんだなというのはわかっていたので、クロアチア国内で見つけたビールについては、前にここに記載したとおりである。

アルコールの文化はわかっていたのだが、喫茶の文化としては一体この国はコーヒー文化なのか、それとも紅茶文化なのかというのが全くわからなかった。ハプスブルグ帝国内の国家だったからか、きっとコーヒー文化だろうと勝手におもっていた。ウィーンにコーヒーが伝わってから、ヨーロッパ全土にコーヒーが広がっていったからというのと、紅茶類は、どうしてもイギリスが中国との交易をほぼ独占的に行っていたので、そんなものはクロアチアの辺境地には入ってきていないだろうと勝手におもっていた。

ところが、スーパーマーケットに行ってみて驚いた。クロアチアには紅茶のほかに緑茶の文化がちゃんと残っているのである。それも数多くの緑茶が用意されていたので、このほうが驚かされた。いろいろと存在していたので、違うメーカのものをいろいろ買ってみた。しかし、驚いたことにどこのメーカーのものも、すべてティーバックになっているのだが、それもお湯の適用温度が日本茶みたいに60度となっている。100度で葉っぱを全開するような台湾茶のようなものとは全く違うのである。そして、どれもがお湯を入れてすぐにお茶が出るというわけじゃなく、最低でも5分以上そのまま寝かしておく必要があるというもの。薄い味の緑茶を飲みたい人にはとてもいい飲み物だとおもう。

Cedevita 社の Zaleni Cay
Podravka社の Zaleni Cay
・Frognak 社の Zaleni Cay

お濃い茶や番茶などのような濃いお茶を飲みたい人にとっては、薄すぎて物足らないとおもうのではないだろうか?しかし、お茶派のひとたちにとっては、なんでもかんでもコーヒーで終わらせてしまうようなつまらない喫茶ではなく、お茶文化がここにもちゃんとあるということを知ると、より一掃クロアチアに対して魅力的に感じるのではないだろうか?

ザグレブの夜景

ザグレブの夜景をお楽しみください。

特にコメントはありませんが、やっぱり都会で電灯がついているところは、昼の顔と夜の顔は全く異なるので、いろいろな顔をみたいひとは、夜のザグレブを散策するのもいいだろう。ただし、レストランやカフェ以外はどこも開いているわけが無い。

イヴィツァ・イ・マリツァ(ザグレブ)

トゥルカルチチェバ通りはグルメ通りと言われるくらい、レストランがたくさんある通りなので、どこに入ろうかかなり迷うところだ。その中で、まず夕御飯として選んだのが、イヴィツァ・イ・マリツァ(Ivica i Marica)という店。ドイツのグリム童話である「ヘンゼルとグレーテル」のクロアチア語版である。この店、とても綺麗な内装のクロアチア料理のレストランであり、料理のほかに注目するべきところがある。それは店員さんが民族衣装を着ているところだ。しかし、注目するのは服装だけにして欲しい。民族衣装を着ている店員の態度はとても悪いからだ。

内装は、物語に出てくるような木造の建物になっており、テーブルや椅子も全部木製。そこにクロアチアの田舎臭い料理が入ってくるという趣向なのだが、これがとてもマッチしている。そんな田舎臭い演出の中でも、このレストランではちゃんとテーブルクロスもナフキンも用意されているので、やっぱりこういうところはトゥルカルチチェバ通りに面しているレストランなんだなというのがよくわかる。以下はここで食べたものリスト

・前菜(勝手に持ってきた)
・ほうれん草のスープ
・かぼちゃのスープ
・ダルマチア風ビーフスペシャル(Dalmatian „Pašticada“ beef speciality) : 95HRK
・トリフ入りのイストリア風パスタ(Istrian «fuţi» (pasta) with truffles) : 95HRK

前菜で持ってきた料理は、フランスパンの上にペーストが塗られたもの。これはなかなか美味しくいただくことができた。
スープ二種はもっと小さいものかとおもっていたのだが、これが意外にも結構大きなカップに入れられたものだったので、これを食べているだけでおなかがいっぱいになってしまう状態になった。そして、なんといっても、温かいスープかとおもっていたのに、なぜかこのスープはどちらも冷たいスープだったというところがショックがでかかった。夜になるとちょっと涼しくなる場所なので、できれば温かいものを食べたかったという気がする。が、味は濃厚。ほうれん草もかぼちゃも、そのまま素の味をスープにしているので、こってり感満載だ。肉料理のほうはボリューム感たっぷりである。濃いデミグラスソース風のものに、牛肉の角切りが入ったもの。サイドメニュとしては、ジャガイモを卸したものが備えられているのだが、これがまた腹持ちが良すぎるくらいなものであったため、ジャガイモは全部食べるのは無理だった。
パスタ料理はこれまたこってりボリュームめちゃくちゃというもの。見た目にはたいしたことが無いとおもっていたのだが、クリームソースにトリフがまぶしてあるのが風味をよく涎モノ。


Croatian Restaurant "Ivica i Marica"
URL : http://www.ivicaimarica.com
住所 Tkalciceva 70
Tel: +3851/4828 999
Email : rezervacije@adriazdravahrana.hr