ザグレブの被聖母昇天大聖堂には巨大な古代グラゴール文字が残っており、まるで宇宙人が教会に意味不明な文字を書き残して立ち去ったかのようなへんてこりんな文字が残されている。この文字こそが、現代のスラブ圏で使われているキリル文字の原型になった文字である。
それまでキリル文字は、ギリシャ文字から聖職者キュリロスが、文字を持っていないスラブ圏にキリスト教を布教するために作った文字だとおもっていたのだが、これが大間違い。実は聖職者キュリロスが作ったのが、この変な文字の古代グラゴール文字である。正確に言うと、キュリロスだけではなく、キュリロスとメトディウスの2人である。
古代グラゴール文字は、全部で40文字から成り立っているのだが、これがどうにもこうにも、どの説明書を見ても全然納得いかないのだが、基本的にはギリシャ文字から作られているようだ。ギリシャ文字の筆記体を基盤に文字が考案されたとあるのだが、正直、ギリシャ文字の筆記体が知らないからかもしれないが、全くあのへんてこりんな文字になるなんていうのは想像ができない。さらにいうと、このグラゴール文字はあまりにも複雑な文字だからかもしれないが、そのあと、あまり文字として普及することが無かったようだ。
しかし、なんでギリシャ文字からの新しい文字の発明なのか?その答えは簡単。聖職者キュリロスの出身がギリシャのテッサロニキだからである。ギリシャ文字バリバリの地域だから、自分が使い慣れている文字をそのまま適用したのだろう。
宗教会議によってグラゴール文字はその後禁止されるようになったようなのだが、その宗教会議でなぜこの文字が禁止になったのかは謎だ。クロアチアの海岸沿いの街・スプリットにいけばその理由はわかるとおもうのだが、このときにはスプリットには言っていないので、個別に調査しないとその理由はわからない。スプリットの宗教会議が行われたときには、すでに東西ローマ帝国は分裂しているし、東ローマ帝国として君臨していた地域であるために、正教が残っていた地域。主に東ヨーロッパ地域をカバーしていたエリアを取りまとめていたキリスト教での出来事だから、そのままその後普及することになったキリル文字にとって変わられることになる。
しかし、グラゴール文字はそのまま廃れることはなかった。クロアチアの海岸部分で密かに脈々と伝承されていたのである。時代は刻々と変わって正教からカトリックが中心になったクロアチアの中でも、ラテン文字ではなくグラゴール文字が使われていたのも面白い。クロアチア地域がカトリックになったのは、ベネチアの台頭と、ベネチアからの独立心を保つためにローマ教皇の協力を得たいがためにカトリックに改宗したという歴史がそこには残っているからである。
なお、グラゴール文字は被聖母昇天大聖堂だけに残っているわけではなく、聖マルコ教会のそばにあるクロアチア歴史博物館の入口にも、ミサに使われる聖書のなかに書かれている文字としても見ることができる。文字の歴史は権力の歴史と直結するだけあって、文字の変遷を調査するのは結構面白いとおもう。が、クロアチアのいいところは、廃れてなくなってしまったような文字もまだ大事に残しているところだろう。使っていないとはいえ、かつてそういう文字があったことを後世の人に残そうとする努力は立派だとおもう。ちなみに、グラゴール文字は、現在のキリル文字と1対1で対応できるのだが、現在のキリル文字は32文字。だから、8個の文字がもう対応する使われ方がないのである。残念なことだ。だが、19世紀の終わりまではロシア地域でも、相当する文字は使われていたようである。
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