2011/05/21

ミロゴイ墓地(ザグレブ)

せっかくザグレブまできたのであれば、ヨーロッパで一番綺麗だといわれている墓地にいくのもいいだろう。墓地?他人の墓なんか見て、なにが楽しい?と言われたら、ぐうの音も出ないのだが、それでも青山墓地や多摩墓地に有名人の墓をお参りするひとなんかいるようなものと同じで、別に他人の亡骸がむき出しになっているわけじゃないんだから、見に行ってもいいんじゃないだろうか?

名前はミロゴイ墓地(Groblje Mirogoj)。もともとは、中世の領主ミロゴイスキ家の領土だったところで、かつてはブドウ畑があったところ。19世紀になって言語学者であったリュデヴィット・ガイ(Ljudevit Gaj)の別荘だったところを、彼の死後にザグレブ市が買い取って、1876年に墓地として作ったところである。墓地にある建物や回廊は建築家へルマン・ボレー(Herann Bolie)が設計し、1879年から建設し、1929年までかかって作られている。

この墓地に行くには、聖被聖母昇天大聖堂の前の広場から106番のバスに乗って10分でいける。バスは始発であり、頻繁に出発するからそれに乗ればいい。バスに乗る際には事前に切符を買っておく必要がある。車内で買うと1回券は10HRK。しかし、キオスクあたりで買うと8HRK。バス停前に暇そうなババアが経営している雑誌が多く売られているキオスクがあるので、そこで買うといい。しかし、このババア、英語が全く通じない。「バス」と枚数を指で伝えることじゃないと買えないのが難点だが、切符無しで買うと、罰金を取られるので注意である。このときは出発間際のバスに慌てて乗ったために、切符はババァから買ったが、バスの中で切符を検札機に入れるのを忘れた。そのままバスは降りるべきバス停に着いてしまったので降りたが、検札機に入れていない切符はそのまま帰りのバス用として使うことにした。ちなみに、明日はバス停「Mirogoj」で降りるのだが、全くアナウンスが無いのでどこで降りればいいのかよくわからないとおもう。でも、あまり心配する必要は無い。バスが右手に蔦の葉がたくさん垂れ下がっている壁みたいなところが見えてきたら、そこがミロゴイ墓地であるので、そうしたらブザーを押せば良い。または、ミロゴイ墓地に行く人は結構実は観光客として多いので、降りる人たちに付いていけばなんら問題なし。他力本願である。さて、ここでは絶対観て欲しいのが回廊だろう。すごい贅沢な回廊になっており、それもただの回廊になっているわけじゃない。この回廊自体も墓になっているのである。墓自体は回廊の床に埋め込んでいるのだろうが、埋め込まれている墓のちょうど壁側のところに、立派なレリーフで作られた墓碑が掲げられている。ここに収められているひとはたちは、クロアチア人なのだろうが、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、セルビア正教と、まったく宗教に関係なくいろいろな人たちが眠っている。各家の独自の装飾が施された墓碑を見ているだけで結構楽しくなるものだ。3次元の彫刻を見ているようなものであるため、彫刻が嫌いな人にとってはなんの楽しみも無いものだろう。回廊自体は、どこかの教会の中庭にいるんじゃないの?とおもうような感じに最初はおもっていたのだが、この回廊の長さがめちゃくちゃ長い。端から端まで歩いていると、たぶん2kmくらいはあるんじゃないだろうか?というくらい長い。それも各家が工夫を凝らした墓碑を見ながらなんか歩いていると、もう時間の経過があっという間になってしまう。宗教の違いによって墓碑の装飾が全然違うのに驚かされる。ドーム型の東屋になっているところには小さい教会もあるのだが、ここは観る価値は無し。しかし、ドーム型になっているところと回廊とそのたくさんの蔦の緑の葉を見ていると、ここが一体墓地ではなく本当は何なんだろうか?と結構驚いてしまう。それほど建築的にはなかなか面白いものである。回廊の中の墓碑だけじゃなく、実際に日本の墓地と同じように墓石を作って収められている墓碑のほうも各家で工夫が凝らされている。日本のように似たような墓石がずらーっと並んでいるわけじゃないので、遠めで観ても、慣れている人であればどこに自分の家の墓碑があるのかというのは見つけることができるだろう。日本と同じように、家ごとに墓碑を作っている場合と、個人でのみ建てている人もいるので、是非いろいろ観て回るのも面白いだろう。そして、墓地中央あたりにいくと、ひときわ目立つ建物が眼に入る。それはクロアチア初代大統領のトゥジマンの墓だ。トゥジマンは、最後の最後までクロアチアの独立のために戦ったクロアチア独立の父と呼ばれる人である。この人がクロアチアの独立のために戦ったのは、主にセルビア人との対抗である。ユーゴスラビア連邦の構成国だったクロアチアは、チトーが生きている間は、どこの民族もおとなしくしていたのだが、チトーが死んだあとは、またもや大セルビア主義がバルカン半島で大展開。クロアチア地域にもセルビア人こそが一番偉い民族であって、クロアチア人は二流民族であるといわんばかりの勢いがやってくる。これに対して、トゥジマンは持ち前の政治力でクロアチア民族を率いてクロアチアの独立のためにドイツ・アメリカなどの西側勢力への協力を求めながらも、ユーゴスラビア連邦からの脱退を試みる。しかしながら、クロアチア領土内にいるセルビア人たちが黙っているわけが無い。ユーゴスラビア連邦軍と、ユーゴスラビアから援軍と武器を支援してもらったセルビア人がクロアチア内で大暴走。これがクロアチア内戦に繋がる。(この辺の近代史については、記憶がとても曖昧なので、あとでウィキペディアあたりで確認しておきます)このときにはクロアチアには正式な軍隊はなく警察隊しかなかった。まるで日本の自衛隊と似たようなものである。国内が疲弊した状態でも国内のクロアチア人の一心の求心力を作り上げたとして、彼の死後は国葬が行われることになり、それがあの墓地に残る偉大な墓として作られたわけである。人に歴史有り。というより、こういう歴史を知らずして街を歩くことに意味は無い。買い物しかしないバカ女と同じ立場になってしまうのである。そういえば、たまたまこの墓地にいたときに、これから墓地に埋葬されるところの行列に出会うことになった。映画でみるようなシーンになんだかドッキリした。

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