2011/05/15

総督邸(ドブロブニク)

ルジャ広場よりも更に奥のほうで、被聖母昇天大聖堂の前に、見事なまでに豪華なつくりの建物が存在するが、ここがドブロブニクを統治する総督が仕事場兼住居とした「総督邸(Knezev Dvor)」である。統治するというような言い方をしたが、決してこの総督がドブロブニクを支配したかというとそういう意味は全く無い。通常、総督というと、母国の命令に対して遠方で支配している土地の最高責任者がその命令を遂行するために設置された人間になるのだが、このドブロブニクの総督にはこの支配という言葉は全く存在しない。むしろ、総督は存在せざるを得ないために無理やり作られた役職であるのだ。というのも、もともとドブロブニクは独立国ラグーザとして君臨していたものの所詮都市国家として、巨大な国家の包囲網からは抜けられない。結局同じ海洋国家であったヴェネチアに支配される。しかしそのヴェネチアは海上貿易を全部支配するために、同じドブロブニクのような地域を全部支配するだけで、特にドブロブニクに対して何かを課したわけは無い。そのあと、ハンガリーがルーマニアを含む地域を勢力拡大するとともに、徐々にヴェネチアの支配地域についても進出。南からはトルコがその勢力拡大され、イスラム勢力の進出。そんなドブロブニクは海上貿易のことだけを考えるために、トルコにもハンガリーにも自由に貿易ができるように金でその自由を買い独立の立場を貫いた。そのうちヴェネチアとハンガリーの戦争でハンガリーが勝った上では、もともと自由のためには金で買う精神に基づき、ここでもハンガリーの支配に落ちるが特にハンガリーに何かを課せられるというわけではなかった。しかし、ハンガリーとしても自由気ままにドブロブニクをさせるわけにはいかず、ドブロブニクにも本国ハンガリーから提督を送ることをし始めようとする。そこをまたドブロブニクとしては、自分たちがその総督の役割をするということを交渉の場に出し認めさせる。ここでドブロブニクの提督という役職が生まれることになる。

でも、提督という役職を1人1ヶ月しか任期として、常に代わる代わる提督が任務することにした。任期を短くした理由は、権力が集中し権力者による独裁を防ぐためにある。また、提督の任期に連続任期になることは禁止であり、任期中は無給で任務しなければならないという制約もついた。さらに、任期中は提督邸から外出することは許されなかった。これは任期中に外部者との不要な接触を避けることで、情報の漏洩や汚職を防ごうとしたためである。実に賢い制度の活用だと思う。これほどガチガチに縛られた制度であれば、誰も好き好んで提督になろうとは思わない。だから、持ち回りでその提督の役割を演じたという。

6つあるアーチの美しい柱廊を潜ると、中は中庭のようなところに出てくる。まずは内部の博物館のほうを見てもらったほうがいい。提督邸内部は博物館として公開されており、執務室や会議用のサロンも見学することができる。鐘楼の金を突いている2体の銅像のほかに、門の鍵もこの提督が管理する役割であり、その鍵もこの展示されている執務室に飾られている。とくかくゴツい。しかし、内部は写真撮影禁止。定期的に係員が見回りにくるので、それを避けて写真を撮るという面倒くさいことをしないとだめなのだが、結構写真はとるチャンスはある。しかし、なんで写真撮影は禁止なんだろう?謎だ。この提督邸であまり注目されないが絶対行くべき場所がある。それはクロアチアの独立戦争のときのドブロブニクの様子を撮影した作品が展示されているところだ。写真家 Bozidar Gjukicが戦時中に撮影した作品の展示だ。いまのドブロブニクの平和な様子は1991年に起こった独立戦争を経過しない限りにおいては、その幸せを得られなかった。今回宿泊したインペリアルホテルももちろん砲撃のターゲットにされ、やはりホテル上部をやられた。その写真も残っている。兵士たちがつかの間の急速を軍服を着ながら談笑している様子も印象的だ。噴水のところには土嚢が積み、とても小さい子が水を汲むために危険な外に出かけている様子も痛々しい。思わず、写真を眺めているだけで涙が出てきそうになった。自分たちがいかに幸せな生活をしているかということと、独立のためには命を人間はかけることができるという素晴らしさだ。そのほか、ドブロブニクで発掘された昔の坪類も展示されているのだが、ここに展示されているのはそれほど古いものではない。ギリシャ時代やローマ時代の坪であれば見るに値するのだが。

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