2011/05/21

ニコラ・テスラ

ニコラ・テスラ(Nikola Tesla)はエジソンと並んで偉大なる科学者であり、ちょっとでも物理をかじったことがあるひとであれば、磁束密度のT(テスラ)の単位に使われている元になった人である。

しかし、エジソンよりもどうも知名度が低いのはなぜだろう?世渡りがへたくそだったというのが原因だということだろうとおもわれる。しかし、彼の実績としては、すばらしいものだらけだ。一番有名なのは交流発電の発明だろう。エジソンは直流で電気を突くことを発明したとして有名なのだが、直流は安定的な電力として作り出すのは実は難しい。それをテスラは交流にすることでより安定的な電力供給ができるとしてエジソンと喧嘩している。それに、今では誰でも携帯電話の享受を受けているのだが、その大元の無線技術を提唱したのもこのテスラである。

このテスラ、科学者としては素晴らしい脳みその持ち主なのだが、パトロンとなる人としょっちゅう対立して、資金源を失うことになる。最初は、エジソン、そのあとはJ.P.モルガンだ。自分の意見や考えのほうが断然正しいとしており、相手を認めず、相手が悪い、馬鹿だというほうをおもいっきり相手にぶつけたからだろうとおもう。金のためなら人殺しもいとわない中国人のように、発明や実験のために必要な資金源を得るためにパトロンと上手にやっていくことも1つのテクニックだとおもわれるが、彼にはそれが欠如していたことなのだろう。

さて、そんなテスラだが、ずっとアメリカ人だとおもっていた。正確には、彼はオーストリア=ハンガリー二重帝国時代のハンガリー領にあったクロアチアの人で、民族的にはセルビア人である。ザグレブとはなんの関係も無いのだが、ザグレブには彼の財団が実は存在する。特にマサリコヴァ通りとPreradoviceva通りとの交差点にあたるところ、ギリシャ正教会の傍のところに、なぜかテスラの銅像が普通にごろんと転がっているのである。更に言うと、聖マルコ教会のそばの官庁街にも、実はなにげにテスラに関する建物があったりするのだが、実際にその場所に入らなかったのでここでは詳細には述べないことにした。

晩年はあの世と電波通信ができると本気で研究していたので、現在でもカルトなひとたちには教祖とあがめられているテスラだが、このオカルトへの関心はエジソンも晩年は同じように考えていたのに、なぜかエジソンにはその噂があまり声が高く聞こえてこない。これは不公平だとはおもうのだが、後世の人間が故人をどう評価するかというのは、人それぞれのことだとおもう。

という自分も実はテスラについてあまりよく知らない。もっと事前にテスラのことを知っていたら、テスラ像を見たときに「おぉ!こんなところにテスラ像が!なぜなぜ!?」ともっと興味を持っていたことだろうとおもう。友達が像を見つけて、駆け足で傍まで近寄っていたからどこかの有名人なんだろうとおもっていただけだった当時の自分が情けない。

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