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両側にはオープンテラスで店を出しているようなところもあるので、ちょっと休憩して
この通り沿いのカフェでお茶をするというのもいいだろう。しかし値段はアホみたいに高いに決まっている。それだけここの通りは観光地としてなくてはならない場所なのである。
しかし、いまではすっかり綺麗なとおりになっているのには実は裏に歴史があるということはあまり知られていない。
プ ラツァ通りは、町ができた7世紀には小島と陸地の間にでいた細長い運河のような海峡だであった。もともとドブロブニクはその細い長い海峡を隔てた小島のほ うにきでた町が起こりである。その島に住んだ人たちというのはローマ人なのだが、最初からこの島に住んでいたわけではなく、もともとは、空港からドブロブ ニクに来る途中にあるツァヴタット(Cavtat)に住んでいた人たちである。古くからこのツァヴタットにはローマの植民地として発達していたのだが、ス ラヴ人の攻撃によって行き場を失い、この島に行き着いて住み始めたということ。廻りを水で囲まれているために敵からの攻撃に適していたという地の利であ る。ヴェネチアの起こりと似ている気がする。
ドブロブニクが中心となる王国が一時期存在したときに、その王国はイタリア語風の「ラグーザ王国」と名乗っていたのだが、これはイタリア語の潟を意味するラグーナから引用されているものである。
し かし島は基本的には岩場のような場所なので、地中海性気候と岩盤の固い土地であるために、生活するには常に食料の確保と水の確保に悩んでいた。対岸の陸地 にはスラヴ人が住みはじめていたのだが、その対岸のスラヴ人に対して、かつて自分たちを追い出した敵民族であるとはいえ、自分たちが死んでしまっては意味 が無いために、陸地にブドウを耕すための借用料をスラヴ人に払うことで食料を得ていた。その交流がだんだん緊密になってくると、海峡のようになっていた土 地もだんだん埋め立てられ、最初は橋でつながっていたところもとうとう埋められてしまって今のプラツァ通りになったということだ。
そんな 歴史がある通りであることは、もう現代の人たちにとってはどうでもいいことであり、ラテンだろうがスラヴだろうが、もうこの旧市街に住んでいるということ は、ひとつの共同体のなかに生活している同じ仲間だということはみなの意識にはあるようだ。だから、旧市街に住んでいる人たちはとても結束が固い。
昼 のプラツァ通りは先にも書いたとおりに、太陽の光と石で囲まれた風景のために白く眩しいのだが、夜は夜でまた幻想的な雰囲気を残してくれる。いろいろなと ころでライトアップがされているためであるのだが、どこからでもどちらの方向からでもこの通りを見るととても癒される。昼の風景も夜の風景もどちらも絵に なるという町、いや、通りというのはなかなか無いのだが、団体客だとこの夜の景色を見ないで次の都市に移動するみたいでとてももったいないと思う。是非ド ブロブニクにはぜひとも3泊は滞在して、いろいろな顔のドブロブニクを観て欲しいと思う。
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両側にはオープンテラスで店を出しているようなところもあるので、ちょっと休憩して
この通り沿いのカフェでお茶をするというのもいいだろう。しかし値段はアホみたいに高いに決まっている。それだけここの通りは観光地としてなくてはならない場所なのである。
しかし、いまではすっかり綺麗なとおりになっているのには実は裏に歴史があるということはあまり知られていない。
プラツァ通りは、町ができた7世紀には小島と陸地の間にでいた細長い運河のような海峡だであった。もともとドブロブニクはその細い長い海峡を隔てた小島のほうにきでた町が起こりである。その島に住んだ人たちというのはローマ人なのだが、最初からこの島に住んでいたわけではなく、もともとは、空港からドブロブニクに来る途中にあるツァヴタット(Cavtat)に住んでいた人たちである。古くからこのツァヴタットにはローマの植民地として発達していたのだが、スラヴ人の攻撃によって行き場を失い、この島に行き着いて住み始めたということ。廻りを水で囲まれているために敵からの攻撃に適していたという地の利である。ヴェネチアの起こりと似ている気がする。
ドブロブニクが中心となる王国が一時期存在したときに、その王国はイタリア語風の「ラグーザ王国」と名乗っていたのだが、これはイタリア語の潟を意味するラグーナから引用されているものである。
しかし島は基本的には岩場のような場所なので、地中海性気候と岩盤の固い土地であるために、生活するには常に食料の確保と水の確保に悩んでいた。対岸の陸地にはスラヴ人が住みはじめていたのだが、その対岸のスラヴ人に対して、かつて自分たちを追い出した敵民族であるとはいえ、自分たちが死んでしまっては意味が無いために、陸地にブドウを耕すための借用料をスラヴ人に払うことで食料を得ていた。その交流がだんだん緊密になってくると、海峡のようになっていた土地もだんだん埋め立てられ、最初は橋でつながっていたところもとうとう埋められてしまって今のプラツァ通りになったということだ。
そんな歴史がある通りであることは、もう現代の人たちにとってはどうでもいいことであり、ラテンだろうがスラヴだろうが、もうこの旧市街に住んでいるということは、ひとつの共同体のなかに生活している同じ仲間だということはみなの意識にはあるようだ。だから、旧市街に住んでいる人たちはとても結束が固い。
昼のプラツァ通りは先にも書いたとおりに、太陽の光と石で囲まれた風景のために白く眩しいのだが、夜は夜でまた幻想的な雰囲気を残してくれる。いろいろなところでライトアップがされているためであるのだが、どこからでもどちらの方向からでもこの通りを見るととても癒される。昼の風景も夜の風景もどちらも絵になるという町、いや、通りというのはなかなか無いのだが、団体客だとこの夜の景色を見ないで次の都市に移動するみたいでとてももったいないと思う。是非ドブロブニクにはぜひとも3泊は滞在して、いろいろな顔のドブロブニクを観て欲しいと思う。
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