台北の故宮博物院に行くと、定期的に乾隆帝に関わる特別展示会を行われているときに良く出くわすのだが、この展示物を見ているだけでもため息がつくようなすばらしい作品をたくさん見ることができる。そのときの多くは、満州らしい作品ではなく中国エリアの文化を自分たちのものにして、独特の綺麗な作品に仕上げられているようなものがたくさんある。これを後ろからパトロンとして作らせたのが乾隆帝なのである。
満州民族の生まれながらにして漢民族よりも漢民族でありたいと思い続けた乾隆帝について述べられているのは、文藝春秋から出版されている中野美代子著の「乾隆帝」が詳しい。
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乾隆帝は歩く詩人とでも言われているくらい、膨大な詩を漢詩として作成している。満州文字ではない、漢字だ。生きている間の作品数は4万点とも5万点ともいわれており、それはすべてが「高宗純皇帝聖製詩」という5集に収められているのだが、ここに収められている詩の文学的価値は、その辺のおっさんが作った適当な詩と同じくらいの価値しかない。しかし、歴史書としてみた場合には、当時の正式な文書の中では見て取れない事実を詩を通して見出すことができるという意味では、貴重な個人による日記みたいなものだろうといえる。そう、漢詩は彼にとっては日記みたいなもの、今で言うところのツイッターみたいなものだったに違いない。
乾隆帝といえば、絶対外せないのは「十全武功」だ。十回の武力による成功というものを、彼は後世に自慢しておきたい事項として自らの詩の中にこれも記した。カザフスタンに居たジュンガルを平らげたこと2回、ウィグルを1回、金川(四川省北部の苗族の住んでいるエリア)を2回、台湾の平定を1回、ビルマとベトナムを降したことがそれぞれ1回、それとネパールを2回平定したということ。本人が勝手に「やったこと」になっているのだが、実際にはベトナムには侵攻したが負けているし、台湾の平定は、台湾に秘密結社ができて明を復興しようとする動きを封じ込めたということを意味するものだからだ。まぁ、本人が自分の手柄として後世に残したいのは良くわかる。そういえば、台湾では2代目総統の蒋経国の時代にも似たような政治的スローガン「十大建設」を行った。これはどちらかというと、台湾のインフラを整備するための政策なのだが、きっと乾隆帝の「十全武功」を参考に言葉を選んだのではないかと勝手に解釈している。
乾隆帝の時代に一番領土を広げた清の時代。いまの中国人の「中国」の概念はこのときの領土を基本知識として植えつけているため、現在の領土問題のときに、ウィグルやチベットのような、全然中国じゃない場所も「中国だ」と絶対的な主張をする。だけど、本気で「中国じゃないかもしれない」と思っているのか、内モンゴルも含めて、それらの地域は「自治区」になっている。だけど、一度手に入れて認めた領土を「返します」ということは、中国人にとって末代までの恥とおもうことと同意なので、なかなかこれらの自治区が独立国家になることはないだろう。
乾隆帝のときに構築された芸術や思想というのは現在の中国人にも深く植え付けられているという。一度植えつけられた思想を変えるには、相当強い衝撃がない限りに無理だ。しかし、良い思想であれば永久に持ち続けることは良いことだ。ひん曲がって、嘘で塗り固めた思想を持ち続けるのは危険だ。乾隆帝時代の良い部分だけを持っていてほしい。
乾隆帝ーその政治の図像学
著者:中野美代子
出版社:文藝春秋
新書: 260ページ
発売日: 2007/04
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