2013/10/28

長崎への秋旅行

何を思ったのか、なんとなく長崎にまた行きたくなってきた。前に行ったのは、たまたま旧正月の時期と重なったので、中華街がめちゃくちゃ盛り上がっていた記憶があるので、それで長崎が華やかな街だと勝手に想像してしまっただけなのかわからない。しかし、長崎と言っても長崎市に行きたいというのではなく、実際には「カクレキリシタン」の島である、平戸沖にあり生月島に行ってみたかったのである。生月島に行きたいと口で簡単に行ったとしても、実は生月島に行くまでには、非常に時間がかかることがわかった。だいたい、長崎から平戸に行くまでさえもめちゃくちゃ時間がかかる。さらに、そこから船または橋が出来たから車で行くことになる場所が生月島なのだ。これだけ遠いところだから、めちゃくちゃ観光地化されるということはなく、カクレキリシタンの文化が現代でも残っていたのだろうというのは容易に想像できる。現代でも残る昔のねじまがった風習というのをちょっと知りたいと思ったから、渡航の気分が出てきたのだろうが、行くまでの時間を考えたら、滞在時間が本当に数時間しかないことがわかったので、諦めた。たぶん引退したあとで、時間があまりにもたくさんあるときにでも行ってみたいと思う。

でも、一度長崎に行きたいなとおもった熱がそう簡単に冷めるわけじゃなく、結局今回は長崎市内に行くことにした。前に行ったときには中華街の周辺でホテルをとっていたのだが、今回は大浦天主堂の近くにあるANAクラウンプラザホテル長崎グラバーヒルに泊まってみたいと思っていたので、そこに決めてみた。ここなら、どこに行くにも便利だし、最終的には路面電車に乗って帰ってくれば歩くのもすぐなので便利。

意外に長崎にいく飛行機は、JALとANAだけじゃなく、LCCに属する飛行機も飛んでいる。でも、この時は、株主優待券があまっていたので、これを使うという意味でもあって、ANAで行くことにした。

◆往路

11/2 ANA 661 羽田 8:15 発 → 長崎 10:20 着

◆復路

11/4 ANA 670 長崎 18:50 発 → 羽田 20:25 着

天気がだいたい良いと言われている11月初旬の三連休。さてさて、実際に現地ではどういうことが起こりますやら。。

さいたまクリテリウムbyツール・ド・フランス

世界的に有名な自転車ロードレースであるツール・ド・フランス(Le Tour de France)が、史上初、フランス国外でそのレースを開催するという話が出てきたときに、「うそでしょう?!」と思ったのだが、その大会開催場所の場所がなんとさいたま市で行うという話を聞いて、二重でビックリした。なんでまた中途半端はさいたま市で開催するのだ?!ということを。それも、さいたま市に決まるまでには実は紆余曲折があったようで、最初は台湾全土をコースとする自転車レースにしようという案があったのだが、それをねじ伏せるようにしてさいたま市になった模様だ。ツール・ド・フランスの主催者であるASO(アモリ・スポル・オルガニザシオン:Amaury Sport Organisation)のほうが、「海外で開催するのであれば、本国で行うツールとは全く違う趣向になったほうが面白い」という主張から、台湾案だと、山有り谷あり平坦有りのフランス全土コースと変わらないことになるが、さいたま市案だと都市部のなかを高速自転車レースを行うという趣向になるので、さいたま市案のほうがいいということになった。

それでも、さいたま市といってもさいたま市のどこをレースとするのかが問題だ。まさかさいたま市の市役所があるあたりを中心にということになると、市民レースみたいなショボさが出てくることになる。ASOからのリクエストとしては、高いビル群の中を颯爽と駆けるレースができれば良いという主張があったようで、そのためにさいたま新都心を中心とする場所が選ばれた模様だ。確かに浦和駅周辺だと、中途半端なビルばっかりしかないため、なかなか「カメラフレーム」でみたときの絵柄が悪い。本当なら丸の内のビル群のところでやれることをASOは望んでいたのだろうと思うのだが、さいたま市にそんな高層ビル群があるのは、さいたま新都心周辺にちょっとだけあるものだ。だから、場所はさいたま新都心になったようだ。

そもそも、台湾もさいたま市もどちらのなんで自転車レースに力を入れることにしたのかという素朴な疑問がある。台湾の場合は、実際に台湾に行ったことがあるひとであればすぐわかると思うが、まず自転車を乗るという文化が無い。基本的に暑い場所だからということもあるのだろうが、子供も大人もみんなスクーターに乗っているのである。それでは運動不足になるのは当然であろう。そこで最近台湾全体として各所で自転車レースを開催して、国民総運動活動を目標にしたいところだったようで、そのきっかけとしてツール・ド・フランスを呼び寄せて、台湾人に自転車をスポーツ自転車の定着を目指そうとしたようだ。さいたま市の場合は、実は埼玉県が日本で一番自転車保有台数がある県であるという、あまり知られていないデータがあるのだが、それと、さいたま市はサッカーを中心に街全体をスポーツイベントシティにしたいという思惑があるようだ。ツール・ド・フランスのイベントはまさしくもう1つイベントとしてさいたま市に肩書きができるための物としたかったようなのである。

今回のツール・ド・フランスのさいたま版は「さいたまクリテリウム by ツール・ド・フランス」(通称:さいたまクリテリウム)というのが正式名称として決定した。クリテリウムというのは、ロードレースの中でも周回コースを取るようなレースの場合のときに使う言葉。観客としては、自分の前に何度も選手が通り過ぎるところを、道端から見ることができるという意味では、選手と観客が一体化できる最高のレースだといえよう。

今回のさいたまクリテリウムの開催までは、実は寸前までなかなか何も事が進まなく、本当に開催ができるのかということが一番心配だった。実は今回の大会に対して、自社でも裏方として活躍しなければいけなくなったので、まぁ、協力できるところは是非どんどん協力しましょうということになったのだが、一向にどういうレースにするのか、どこでどういう協力を求めているのかということが、さいたまクリテリウムのオーガナイザーになったJTBがどうして良いのか分からなくなっていたということもあるが、ASOとの意見をどのように実現化したらいいのかということを想像できなかったのが一番の原因だったようだ。JTBがこういう大会に慣れている会社なのかどうかはこれで不慣れだということは分かったのだが、だったら電通あたりにやらせておけばよかったんじゃないのかという思いが出てくる。結局最後まで手探りで調整をしていた模様だ。

本当のツール・ド・フランスを、全チームとその所属選手を呼んでくるということをした場合、今回のさいたまクリテリウムはそれを受け入れるほどのキャパシティも無いし、最初からそんなフルスペックの大会ができるとは思えなかったのは、ASOもさいたま市も同意していたようで、結局は本国ツール・ド・フランスで活躍している上位選手を何人か読んでくることと、ツールで活躍・活躍して無い日本選手を混ぜて開催するということで落ち着いたらしい。だから、フランスで行われているレースと全く同じようなスタイルのロードレースを期待していたのであれば、それは無理だ。だいたい選手をサポートする是チームの車を走らすことなんか無理なんだから。

ツール・ド・フランスというと、以前、フジテレビの深夜番組枠でツール・ド・フランスが毎晩中継されていたときには良く観ていたのだが、それはもう20年前の話。なにしろ、鉄人ミゲール・インデュラインが三連覇をしていたころの話なんだから、もうかなり昔だ。それ以降、全然ツール・ド・フランスを観たいとも思ったことが無いので、最近の選手に付いては、誰が活躍しているのかなんていうことは全く知らなかった。大会期間中一番総合得点として高い人が黄色のジャージであるマイヨ・ジョーヌを着ているというくらいの基礎情報は知っているが、チーム名も知らないし、選手も知らないので、大会開催中であっても、傍に選手が歩いていても、それが有名なひとなのかどうかさえも実は分かっていなかった。

実際に開催されたのは2013年10月26日(土)だったのだが、前日から季節外れの台風の来襲に悩まされていて、当日は本当に開催されるのかどうか2,3日前から気が気でならなかった。大会事務局からは「雨天決行」と言われていたが、まさか台風が来るとは思っても居なかったので、台風の場合はさすがに中止にしようということになったのだが、その見極めは前日の朝に決めるということにしたという。この決定がいいのか分かるのかわからないが、各種準備を進めていたひとたち、とくにスタンド建設や大型モニターを準備している人たちは雨が降っても関係なく作業を進めていたから、それはそれですごかった。

結局大会前日の9時に「決行する」と決断がされたことによって、最後の前準備をすることに全員が向かっていったのだが、このときは風はそれほどでもないが、雨がめちゃくちゃ降っていて、このまま準備をするのも嫌だが、次の日も雨のなかで大会運用が巧く行っているのか確認するために待機しなければならないから、それもそれで嫌だなと思っていた。最終的には、メインレースが行われる時間帯になったら、青天になっていて、大会としては大成功として終わったのは記憶に新しい。

そういえば、スタート付近のところには、クリテリウムパークと称して、スタンドが設けられていた。ただし、そのスタンドにいける人は招待客だけが入れるものであり、金で買うというものではない。もちろん大会費用を捻出するために、一般人から寄付という形で徴収して、それを払った大会とは全くかんけいの無い人も入ることは出来たのだが、そうじゃない招待客も結構いた。おそらくスポンサー関係の人たちなんだろうとは思うのだが、絶対自転車レースなんて興味が無いだろう、あんたたち!というような人たちも結構いて、そういうひとたちはもう邪魔だから来ないで欲しいとは思った。付き合いで来ているという人も結構いるようだ。つまりサロンのつもりで来ているということだ。サロン的な意味では、同じクリテリウムパークの中にVIPルームという大型テントスペースがあって、そちらに入れるひとは、食事や飲み物を無料で採ることが可能だった。これは近くのホテルが協力という形で提供されていたもの。
じゃ、VIPやスタンドに入れるひとの区別はどうやっていたかというと、実は首から下げられたカードの色によって、どういう招待客かということを区別している。一般的にスタンドに入ることが出来る人たちは金色。VIP席にいけるひとは黒色なのだ。なお、クリテリウムパークの中には、スタンドだけじゃなく、選手たちの控えテントもあったりする。ということは、うろうろしていると、選手とすごーく近いところで話ができたりとか、サインも貰えるということができるのだ。こういうところは全く規制がなく、クリテリウムパークの中に入って熱狂的なファンにとっては、写真撮りまくりの人も結構いた。コースから帰ってきて控えテントに入るまでの花道は、国技館の相撲の大会のときみたいに、自転車にのった選手の体を触りまくっていたのを目撃した。それにしても、スタンドでもVIPでもそうなのだが、屋外剥き出し状態のところで、当日は朝から雨が降っていたから寒いのなんのというのはハンパじゃなかった。
日本でも競技サイクルの人口は結構いまではたくさんいる。それは自転車競技という場合だけじゃなく、トライアスロンかもしれないし、もしくは競技はしないけど競輪としてみていた延長で自転車競技を見るという人も居るのだろう。そして、なんといっても、大会はあのツール・ド・フランスとなれば、身近で絶対観てみたいという熱狂的なファンはたくさんいるのは当然だ。大会当日は朝から土砂降りの雨だったにも関わらず、沿道には朝早い時間帯から良い場所で競技を見たいと思っている人たちがたくさん集まっていて、どこがゴール地点になるんだというのを予測しながら場所取りをしていた。しかしながら、雨が降っているので座って場所取りをするという、花火大会によく見かけるような光景はここではなかった。座っていたら濡れちゃうので意味が無いのである。そして、雨だし、前から台風が来るというのは知られているから、沿道の観客として来ているひとたちは、どうせさいたま市とその周辺の人たちだけだろうと思っていたら、大間違いだった。実は日本全国からこの大会のために前泊、または深夜バス等でやってきたひとたちがめちゃくちゃ多いことが実は分かった。自転車オタのひとは結構いるとは聞いていたのだが、まさかこんなにもいま人気がある競技で、ツール・ド・フランスが日本にやってくることに喜んでいるひとがたくさんいるということ自体が知らなかった。

もう少し批判的なことを言えば、今回の大会に付いて、実は自転車オタのひとたちにとっては随分前から有名な話であったのは当然だが、さいたま市および関東でさえ、この大会の宣伝があまりされていなくて、本当に開催されるのかどうかというのが実はあまりよくわかっていなかったということもある。つまり、大会のことを知ったひとが、口こみで「やるらしいよ」というのを伝えていったということなのだ。もっとさいたま市およびオーガナイザーのJTBのほうが資金を豊富にもっていたのであれば、在京TV局のプライムタイムにCMを採って、そこで連日バンバンとCMを出せばよかったのだろうが、どうやらその宣伝費用をめちゃくちゃ削ったらしい。第1回目の大会なんだから、宣伝でどんどん人を集めて、大会が盛り上がりましたという実績を作っておくことが、またツール・ド・フランスがさいたま市で開催してもいいかもと思わせる良い材料になるとおもうのだが、そういう考えがなかったのだろうか?と今でも疑問に思う。地味に市役所や区役所、そしてタクシーのドアに小さいステッカーを貼っているだけのような宣伝を宣伝というのかどうか分からない。そのあたりは広告業をやっている人たちのほうが専門だと思うので分析して欲しいと思う。

最終的にASOおよびJTBによる共同発表によると、沿道に来場した観客の数は20万人以上だったということだった。これを大成功と呼ぶのかどうかは疑わしい。なぜなら最初の予想では、最低でも30万人の来場客を想定しているとしていたからだ。ただ、当日は昼過ぎまで土砂降りの大雨で、メインレースが行われる2時ごろから青天になって、屋外でレースを観るにも2時ごろからだったら見ても苦にならないという状況になったことが出来たという外的要因を考えると、20万人はそれなりに多い人数だったのではないかと思う。もし、当日朝から晴れているような状況だったら、きっと30万人では効かないくらいの大人数の人がやってきたことだろうと思う。


そして、それだけ大人数の人たちが沿道に集まったという今回のさいたまクリテリウムだが、実はビル群の間でレースを行われたということもあるのだが、道路の沿道はもちろんながら、空中歩道や歩道橋の上からでも見ることができるという3次元的な観戦が出来たということもある。安全上の問題から、最初は空中歩道の上からの観戦は禁止にしていたのだが、あまりにも「見せろ、ゴラァ!」と警備員や係員に食って掛かるひとたちがめちゃくちゃたくさんいたこともあって、最終的には誰もがその場所に立ち止まって見ることができたようだ。

実質のタイムレースのイベントであるため、そういう詳細の部分については、ツール・ド・フランスを運営していたフランス人たちがたくさんきて対応をしていたのだが、こういう人たちと最終的には仲良くなって色々話をすることができた。結局、今回のイベントは彼らにとっては「お祭り」というだけであり、来年度のレースになにか影響するポイントとかチーム構成とかの考え方とかには全く関係ないものだった。ただし、いちおうタイムレースであったし、それをタイムリーに報道機関や沿道に設置していた大型ディスプレイに表示したり、あとは大会自体をウェブとして即効配信するというということは真面目に運用するということは言っていた。レース前の準備の段階の時に、いろいろとセッティングの調整やら、仕込みの際に自分たちが携わっているところと結構関係があると思っていたので、スタッフの人たちとは、「どうっすか?」みたいなことを英語で会話をしていたつもりだったのだが、こちらも途中から楽しくなってきて、仕事そっち抜けでフランス語の会話練習だと思いはじめて、途中からフランス語で話し始めたところ、意外にびっくりされて、単なる作業員だと思っていた人間が、なんでフランス語なんか話すんだ!?というような顔をされたから、大会終了後の解体作業の際にはすごく仲良くなって顔なじみになれることができたのは良い収穫だった。

さて、また来年もさいたま市でツール・ド・フランスが行われるのかどうかは不明。今回の開催内容について、準備やオーガナイザや観客の反応を選手やスタッフが思ったのかということを考慮したうえで、さいたま市と再契約するかどうかということになるのだろう。その行く末は見守っていきたい。


さいたまクリテリウム by ツール・ド・フランス
URL : http://saitama-criterium.jp/

2013/10/19

新宮と勝浦の街並み(熊野)

今回の熊野詣は有名な熊野三山にいって大変よかったと思うのだが、同時に辺鄙なとこっろにある地方都市の現状というのも目の当たりにしたことに気づかされた。都会生まれの都会育ちでいると、地方都市の寂れ具合というのは全く想像できないのだが、実際にその土地に行ってみないと知ることが出来ない。東京に住んでいる地方出身者が自分の生まれ故郷のことをほとんどツイートやフェイスッブックで自己紹介しないのは、おそらく東京に比べると自分の地元があまりにも惨めに見えてしまうため、その地方から出てきたということを述べると馬鹿にされるかもしれないという自己防衛本能で紹介しないのだろうと思う。そうじゃなくて、是非いろいろな人が、わが町にはこういう良いところがあると宣伝するべきだと思うのだが、やっぱり見た目重視、面子が大切だと思っているようなこと人たちにとっては、出自を隠すことがまず一番最初にやらなければならないことなんだろうとは想像できる。

今回の熊野詣では新宮と勝浦という2つの街を通ることになった。それぞれの街を散策してみた正直な感想をここでは述べておきたいと思う。

まずは、新宮から。新宮は南紀のなかでも大きな街の1つであり、交通の要所であることは間違いない。地元産業としてはおそらく農林業が中心なんだろうということは想像できるのだが、海にも近いところなので、木材の搬出には便利なんだろうとは想像できる。そして、交通機関としても、JRも基幹駅ではあるし、国道も大きく立派な道が備えられているため、鉄道と車という両面でも実は便利なところだとは思う。が、やっぱり南紀自体が大きな半島であり、最寄の大都会が名古屋か大阪になるとすると、どちらも山越えをしなければならないので、商業地から見ると不便であろう。そのためにこんなところまで人がやってくるのがあまり無いというのも納得ができるところだ。インフラとしては申し分ないとは思うのだが残念ながら、ここにはソフトがかわいそうなくらい無い。駅からすぐ傍に商店街があるのだが、そこを通ってみたところ、屋根つきのアーケードにはなっているが、3連休なのにも関わらず店が開いているところが少なすぎる。連休だから店を休むというのはどういうことなのだろうか?もしかして、店にやってくるのは地元の人たちしかいないから、観光客なんて相手にすることは無駄ということを思っているのだろうか?それとも、店はもうなくなっており、前の持ち主がシャッターを下ろしたまま、どこかにとんずらしてしまったのか?というようなことをいろいろ考えさせられてしまった。ところが、傍にある大型スーパーには車が次から次へと入っていく様子は見て取られた。ということは、地元の人たちにとっての買物意欲が全くなくなっているわけじゃないということだろう。もしかしたら、商店街側に付いても、そばにできてしまったスーパーのせいで客を持っていかれてしまったのだと嘆いているのであれば、それは商店街全体としての努力が足らなかった結果だということになろう。商店の店舗ごとだけではどうしようもない。商店街全体として、どういう商店街にしていくかということを考えないで、大型スーパーと喧嘩するほどバカなことは無いだろう。これはどこの地方都市においても同じことが言えるのではないだろうか?休日でこれだけ商店街が死んでいるように静まり返って、誰も歩行者がいないということだとすると、平日の寂れ具合というのは一体どんな感じなんだろうかと想像できない。これなら街灯がなく真っ暗闇の田舎道を歩いているのと同じ心境になってしまうんじゃないのだろうか?だって、お天道様が出ている昼間でさえも、ひとりで歩くのはちょっと恐怖だとおもってしまったくらいだから。
紀伊勝浦のほうはどうかというと、こちらは駅前には立派な商店街があるが、歩いている人は皆無。店はいちおう開いているのだが、残念なことに、どの店も客は入っていないように思われる。でも幸いにも、港町であり、ホテル浦島みたいなところに泊まっている観光客がバスや電車で移動する場合には、いやおうがな、その商店街を通ることになるので、街ぶら半分の気持ちで店を眺めながら歩くことがあるとおもうので、そういう客を捕まえて商売をするというチャンスはあるとは思う。この点、新宮の商店街とは大違いだろう。なぜなら新宮の商店街は、バスで速玉神社にいくひともいるだろうし、分かりにくい場所にあるから、大通りを通って歩いていくひともいるだろうから、横道にそれる商店街なんか通るひとは居ないだろうからだ。しかし、連休で客足がたくさん居るだろうと思われている三連休でさえも商店街は閑古鳥が鳴いている状態になっているので、一体全体この商店街にあるような店は生計が成り立っているのか?というのは甚だ疑問である。街として幸いにも良いのは、港があることであり、漁業としての港と宿泊施設への運搬用港が併設していることにより、ある程度港周辺には人が集まっていることが分かる。だから、港を中心として商売をすることは、ちょっと可能なところだろう。港の雰囲気も大型船が停泊するような場所ではないので、時間がのんびりしているように見受けられる。そういえば、1つだけ疑問に思ったことがある。みかん専門の店があったのだが、この店、みかんの採れる時期以外は一体何をしているんだろう?
 
 地方都市が活性化するということはたぶんこれからは無い。なにしr、交通網が便利になればなるほど、都会のひとが地方にやってくるという甘い期待があるようなのだが、実際には、地方の人が都会に行きやすくなるだけであり、地方は単なる住宅地にしかなく、商業の場ではなくなるのだ。商業の場がなくなるということは、それだけ街が衰退するだけになり、若い人は刺激を求めて地方を離れて都会にいき、残されたのは結局老人ばかりというオチになる。アホみたいに政治家は高速道路と新幹線の地元導入ばかりを狙ってロビー活動をするのだが、それは「誘致したのはあたしのおかげである」と地元に銅像でも建てて貰いたいがためにやっているだけであって、本当に地元に利益が入るためにやっているわけでもなんでもない。明治以前の藩制度であれば、藩から外にでるために関所を設けて、そこで税金を取るのと人の出入りに付いて管理していたことにより、住民は地元が唯一の活動地域であればよかった。しかし、現代はそんな行動範囲の制約はなくなっているわけだから、細かい行政単位は実は要らないじゃないのか?という考えが出てきてもおかしくない。そして、住民が都会に集まっているのであれば、地方を優遇するような政策をすること自体が住民の意向と税金の使い方としえt間違っているじゃないのかという根本的な原因に陥ると思う。今回地方都市を垣間見て、本当に地方へ無理やり金をばら撒くことが全く意味が無いことであるということがよくわかった。無駄なハコモノ、無駄な整備された道路は地方にはもういらないと思う。

熊野本宮大社

熊野本宮大社は、熊野三山のなかで一番行くのが面倒くさいところであり、一番山奥に存在する場所。それだけ行きにくい場所だとなんとなくご利益もそれなりに期待してしまっちゃうのは当然だろう。行きにくいということは、それだけ参拝客が来ないところなので、わざわざここまで来る人というのは、それだけ熊野信仰が強いひとか、なにかに追われてきた人か、キチガイかじゃないのだろうか?

熊野本宮大社の入口は、いかにも神社の参道の入口という雰囲気を醸し出している。入口だけみると、出雲大社の参道入口に似てなくも無いと思う。
ここから参道に入ってみると、いきなりなんとなく幻滅してしまいそうになる。なんとなく安っぽい神社に格下げしてしまったかのような幟の羅列がずらーっと並んでいるのにはビックリした。そんなに「熊野大権現」という幟を掲げないと、ここが熊野本宮と言えないのかといいたくなる。
さらに進んでいくと境内までは長い階段が存在する。この高台の上に社は立っているらしい。でも、那智大社のような階段があるわけじゃないので、結構この程度の階段であれば何の問題も無いとおもってしまった。前日に那智大社のほうを経験してしまったので、たいしたことが無いのかなと思いに至ったのだろうと思う。
 
 
実際に階段を上ってみたところ、驚いたことに意外に熊野本宮大社はそんなに大きくないことが分かる。それに、当日訪れたときは本殿が改装中であったため、建物としても全然面白みもなく、ありがたさも感じられなかった。それに、那智大社や速玉大社に比べても全体的に小規模のような感じがしてきた。
 
 
 
工事現場の隙間から修理中の神様に対してお参りはいちおう出来るようになっているのだが、その隙間からお賽銭を投げてお参りするという行為自体がなんとなくありがたみを感じられない。もう一層のこと、参拝禁止にしてもいいくらいの中途半端さなのである。これだったら観光協会のひとたちも「いまあそこは参拝しても建物は修繕中なので」ということくらい教えてくれても良いのにとは思った。
 
 
ただこちらでは何も無いということはなく、唯一の見所としては、境内に真っ黒の八咫烏が乗ったポストが存在する。実際にもここのポストから手紙は出すことができるため、郵便ファンもしくは、ご利益を期待している人というのが結このポストから手紙を出していたのを見た。
大して見所が無いこの本宮を後にするとき、いま来た階段を下りるのではつまらないので、古道として使われていた裏道から下りてみることにした。こちらも昔の古道をそのまま残しているところなので、石段になっているのはなっているが、整備されていないため、不揃いの石段になっているから歩きにくいのが難点。
 
他に見るところが無いのかよーとおもっていたら、遠いところにポツンと大きな鳥居が建っているのを発見した。熊野川沿いに建っている大鳥居のほうに暇だったので歩いて見ることにしたのである。
 
近くに見えていたと思われていた大きな鳥居なのだが、実は随分近くになってもまだまだ全然到着できない。それもそのはず、その高さ34メートルもあるので、周りに何も無いような場所だとかなり目立つし、随分傍に来るまでその大きさにはなかなか感動としてはありつけない。
しかし、なんでこんなところに鳥居があったのか?と素直に思うところなのだが、実はもともと熊野本宮大社というのは、この熊野川の中にあった中州に社が作られていたもので、その中州は「大斎原」と呼ばれ、信者は神社にやってくるときには、川の水で全身を清めて、そのまま川を渡ってくるという方法しかなかったわけである。しかし、中洲に神社を作るということは、結果的に、川の洪水が起こったときにどうなるのかということに結果が繋がる。このもともとあった大社自体も、明治維新による究極の変化によって山林伐採に力を入れてしまったため、山林自身が治水用の能力を失ってしまい、結果的に1889年に大洪水が起こって、そのまま神社もろとも流されてしまったというオチに繋がってしまった。神社が流された?という笑えないようなオチになってしまった神社がここであり、もう熊野川が氾濫しても神社が流されないようにという意味で、今の位置に神社を移して建設したということになるのだ。ご利益を望んでこの神社にくるような人と言うのは、たぶんなんとなくこの神社だけありがたさを感じないと思うのも当然であり、霊験あらたかなものは一切今の本宮大社には存在しないから、霊感の強い人にとっては行っても意味が無いような場所と感じてしまうんじゃないのだろうか?自分の存在さえも守れないような神社に、誰が信仰を保とうとするのだろうか?

さて、旧本宮大社のあった場所だが、その名残として各所でいろいろ知ることができる。大鳥居を潜ると、その先には参道らしきものが真っ直ぐ続いており、その両側には真っ直ぐに伸びた木が参道を包むように立っている。
 
 
その先には、もともと社が建っていた場所が目の前に広がるのだが、いまではすっかり芝生だけが残っている広い場所としてしかなっていない。ここに何があったのかというようなものは一切残っていない。少しだけ残された灯篭が残っているのだが、そこが元々なにがあったのかということは看板が無いので分からない。たぶんご利益を求めるひとは、もともと存在していたこちらのほうこそ本宮大社ではないかとおもって訪問するようなのだが、こう何もないような場所でどうおまいりしたらいいのか分からないようでは、唖然とするだけだろうと思われる。
 
 
 
新旧2つの大社の場所を訪問しても、あんまり時間は経過しない。それに、いちおう熊野の中の観光地であるから、それなりにおみやげ屋とか食べものやがあるかというと、周りには何も存在しない。本当にここが有名な神社の場所なのか?と疑いたくなるような場所なのだ。むしろ、周りの農家の人たちにとっては、あんな邪魔なものがここにあるから、変な外部の人たちが自分の田畑を荒らしたりしないだろうか?とビクビクしているようにも見えてくる。そんなところが熊野本宮大社であるため、長居をここではする必要は無いと思われる。訪問時間として滞在時間が30分もあれば十分だろう。それを踏まえて、本宮大社に来たほうが良い。なにしろ、交通の便がわるいところだから、一度来てしまったら帰るにも不便なところなのである。

熊野本宮神社
URL : http://www.hongutaisha.jp/
Open : 9:00 - 17:00



熊野本宮大社へ

3日目の熊野詣では2日目に行こうと思って予定変更をした熊野本宮神社に行くことにした。しかし、紀伊勝浦駅から熊野本宮に行くバスというのは1日に1本しかないという少なさ。だいたいのバスは新宮駅から出ていることが分かったので、それならば一度新宮まで行って、そこで荷物を新宮駅のコインロッカーに収納した上で、身軽な格好で行くことにしようと思った。3日目はいずれにしろホテルをチェックアウトしなければならないときだったからである。

新宮駅から本宮にいくバスの時刻表を見ていたら、一番早い時間に出発するのは7時5分。これに乗るためには、新宮駅までバスなり電車で行くには、最低6時くらいには出発していなければならず、だいたいその時間だったらホテルから船も運航していないので、まず無理。そうなると、次のバスが8時40分であるから、これならまだマシだろうと思って、それにあわせていくようにした。ところが、電車で新宮に行くまでには、ちょうどいい電車が全く存在しないことがわかった。それならバスならどうかとおもったら、7時台のバスは20分毎に出発するようだったので、7時40分のバスでいけるように計画をする。ところが、これも結構しんどくて、このバスに乗るために逆算してみると、朝ごはんを6時半くらいから摂りはじめて7時には食べ終わり、船を7時20分には乗っていないと間に合わないというものだった。この朝からの慌しさで行くのか、それとも更にそのあとのバスに乗ることにしようかと迷った。次のバスは、実は新宮まで行かなくても、勝浦駅から10時丁度に出発するバスになる。それなら相当ゆっくりホテルからチェックアウトをしても大丈夫だということになる。結果的に言うと、実はこの10時発のバスで全然問題なかったことがあとから分かる。それについては、後で言及したい。
新宮駅前のバスターミナルから本宮方面のバスに乗るのはいいのだが、実は新宮駅からでもバスは90分くらい乗らないといけない。もちろん、途中でトイレ休憩なんかすることは先ず無いので、バスに乗る前には必ずトイレに行かないとダメだ。そして、意外にそこそここのバスに乗って本宮方面に行く人がいて、途中のどこにも降りることは無いと思われる。といっても、急いで乗らないと席がなくなるということは無いと思うのだが、もしかしたら、混んでいるときも無いことも無いので、それなら90分間も山道を走っていくのをずっと立っているのはつらいものがあるだろう。

道中は熊野川沿いをどんどん山のほうに向かってバスは進んでいく。道路の右側に川がずっと流れてる様子が眺められるので、行きはバスの右のほうに座ったほうが良いと思う。
 
 
途中に熊野川の川くだりが出来る乗り場も通るので、ツアーまたは川くだりをしたいと言う人も、このバスに乗ると良いと思われる。このときには、誰も川くだりなんかする人は居なかったみたいで、バスは誰も降りる事もなかった。
バスによっては、途中に温泉地方面を迂回していく便もあるが、この場合には本宮まで行くのにすごい時間がかかる。しかし、熊野本宮に近いところの温泉地はとても風光明媚なところなので時間と暇があるひとはここに泊まるのもいいだろう。特に外人観光客にとっては、日本の古風の温泉宿をそのまま体験できる場所なので、喜ばしい限りではないんだろうか?そういえば、行きは温泉地を経由するバスだったのだが、帰りに新宮駅に戻るときのバスは温泉地を通らずに、川沿いをそのまま直行して新宮駅に到着したから、温泉地を経由するよりは30分くらい短縮して到着した。
行きは本宮の入口前にバス停があるので、そのまま本殿のほうに歩いていくのは便利だと思う。帰りはどこから乗るかというと、これがなんちゃら税でどうせ作ったのであろうか、ずいぶん立派な意味不明な建物が建っており、そこの前のロータリーからバスが発車することになる。この地域振興税みたいに無駄なハコモノを作って、わっしょーいと喜んでいる地域自治体のアホさには、毎回似たようなハコを観るたびに溜息がでるんだが、おそらく彼らの脳みそには、管理・整備・修繕するための費用というのは全く考えにない。ハコを作ったという実績だけが、担当事務員になっていたときの業績として評価されるんだろうという人事制度が馬鹿すぎると思うのだ。あんなアホみたいな建物を作るよりも、もっと本宮に人が来るための交通手段を整備もしくは熊野交通とタイアップするようなことをしたほうが良いと思うんだが、あんまり行政から見ると分かりやすい費用対効果をお上に上申できないからなんだろう。
 
あまりにも本宮大社がつまらなさすぎて、帰りのバスの時間までめちゃくちゃ時間があったため、本当にバス停で時間をつぶすのが面倒くさかった。昼ごはんのところで時間を潰したとしても、それでもある程度の時間しかできるわけでもないし、周りにはなにも店が無いところなので、ささっと本宮をにて、ささっと帰るということを目標としてスケジュールをしたほうがいいかもしれない。

熊野本宮神社
URL : http://www.hongutaisha.jp/

熊野交通・新宮駅~勝浦駅間バス時刻表
URL : http://www.kumakou.co.jp/bus/jikoku_item_4.html

熊野交通・本宮方面バス時刻表
URL : http://www.kumakou.co.jp/bus/jikoku_item_7.html

2013/10/17

熊野那智大社と那智の滝

熊野詣2日目は、当初紀伊勝浦駅からバスに乗って本宮に行こうと思った。バスは、紀伊勝浦駅前から出ており、ちょうど営業所が存在するので、そこで通常なら切符を買えば良い。事前に乗り放題券を持っているこちらは、特に切符を買う必要は無いところが良い。そして、本宮辺りにいくには実は結構バスに1時間くらい揺られることは想像していたので、バスで座れなかったら嫌だなーとおもったため、出発の30分前くらいにはバス停に居ようと思って、それにあわせて船に乗ってホテルをあとにした。

バス営業所で10時発の本宮行きのバスを待っていると、9時半発の那智行きのバスがやってきた。この那智行きのバスに乗って那智方面に行こうと思っている人は結構いることは待合室あたりでよくわかっていたのだが、あと30分も待っているのも面倒くさいなと思ったので、急遽予定を変更して、那智に向かうことにした。那智は最初の予定では3日目に行こうと思っていたのだが、これが実際には大成功だったことを後で知る。那智大社のあたりはたくさん見るところはあるのは最初からわかっていたので、ゆっくり廻っていたら、もしかしたら帰宅の電車に間に合わなくなるかもしれないので、熊野エリアに来る前はどちらを先にしたら良いか悩んでいた。なにしろ見所がたくさんあるのに、帰りの時間を気にして、観るところもじっくり観ずに帰ってしまい、あとで後悔するようなことがあったら、それは悲しい結果になるからである。
 
急に那智にいくことを決めてしまったのはいいのだが、バスはどこまで乗れば良いのか分からないので、持っていたパンフレットを使って調べてみたところ、終点の那智大社のところまで乗ることも出来るし、その手前にある「大門坂下」というところで降りるという手もあることがわかった。大門坂というのは、熊野古道の中でも一番絵になる場所であると思うから、行きか帰りかどちらかでは通っておきたい場所だとは思われた。しかし坂と言っても500メートルくらい長く続く石畳の坂であるため、坂を上るのがしんどいという人にとっては地獄かもしれない。が、串本あたりから本格的な熊野古道を歩くよりは、こういう道を歩いているだけでも十分熊野古道を堪能できるとは思う。だから、熊野にいってきましたと言う人が居ても、この大門坂を歩きましたという人じゃないひとの意見は聞かないほうが良いと思う。そして、大門坂は、普通の人が歩くと、だいたい20分から30分くらいはかかるような道である。バスだと、その坂道を、日光のいろは坂のようにうねうね曲がりながら上っていくことになる。

バスで20分くらい乗ると、最初に人がわんさか下りる場所である「大門坂下」というバス停に到着する。大門坂の看板が出ているところから少しだけ先に行ったところにバス停があるので、本当に坂の下から歩き始めたいという人がいたら、バスが走ってきた道を少し戻って、看板のあるところまで戻ると良いと思う。既にここまでバスに乗ってこないで、昔ながらのお遍路さんみたいに歩いてきている人もいて、一旦この看板のところで記念写真を撮っているひとたちが結構たくさんいるからすぐ場所はわかると思う。
 
この大門坂下からだと、ずっと長い石段が続くので、頑張って上ってみよう。最初は大した坂になっていないので、高尾山の山道で歩いているような楽しさは出てくると思う。
 
途中で貸衣装屋があるのを発見した。ここでは、熊野参詣を昔ながらの格好で行うために着替えの衣装を貸してくれるところなのだが、結構これが女性だったら一度は着てみたいと思うところなんだろうと思う。だけど、この衣装のままこの先の参道を歩いていくのは結構しんどいのじゃないのかなと思ったのだが、実際にはどうなのだろうか?大体足元もトレッキングシューズではなく、草履に履き替えるわけだから、歩きにくいし、足が絶対痛くなるんじゃないかと思う。ところが、これはカップルで行ったほうが実は良いとも思った。男性用の平安貴族風の格好もなかなか良いと思う。でも、ブサイクなひとが着たのでは、全然格好がつかないと思う。
 
 
大門坂は上り始めていくと、両脇を高い木で囲まれている石段なので、この坂道は炎天下直下を避けることができるので、歩きやすいと思う。これが炎天下だったら、絶対に途中何度も立ち止まって給水しなければならなくなるだろうと思う。この大きな木で囲まれた道を歩いていることで、下界との間を遮断するような空間が出来るので、熊野詣に神経を集中できるという効果もあるのだろうか?
 
途中、一箇所だけ、道路と接触する場所に出くわして、いっきに下界に引き戻される感じが出るところがある。ちょうど中腹あたりのところで、道路からするといろは坂の途中みたいなところにあたる。ここはちょうどちょっとした休憩所のように、比較的広い空間になっているので、休憩をしている参拝客が結構屯っている。ここで休憩をしたら、一気に上って行きたい所だ。
 
しかしここから先はちょっと坂がきつくなる。まだ整備された階段だから歩きやすいのだが、まあ坂道だから杖を突いて歩きたくなるような場所だ。
 
上り終わったところが、実はこの坂道の終点ではあるのだが、そこが神社かというとそうではない。まだまだ先は長い。一旦ここで休憩をしても良いのだが、何も無いところなので先に行ったほうが良いだろう。
道沿いに歩いていくと、バスどおりに出てくる。ちょうどバスの終着地点辺りにあたる。この辺りに来るとお店が両脇にいろいろあるので、ちょっと寄り道したくなるのだが、ここで体力を使ったのでは、先に進めなくなる。道路のすぐ脇に、また長くつづく階段が見えるところがある。実はここが参道の入口である。これまで上がってきた階段の道は単なる道。ここから先がいよいよ神社に入ろうかなとする前の道なのである。しかし、この階段がまたキツい。途中の郵便局前に休憩をする場所があるのだが、ここで休憩するのもいいだろうが、ここはゴールではない。まだまだ先があるのでどんどん進んでいきたいところだ。
 
 
途中庭園のようなところに出てくるのだが、ここは参拝された上皇や法皇が宿として使った場所である「実方院」の跡である。よくもこんな高台のところに作ったものだと関心するのだが、建物は純和室で、畳の広い部屋が外からでも見て取れる。そして庭園のところには現在喫茶店になっているので、ここで休憩をしても良いと思う。
 
 
さて、さらにどんどん進んでいくと、高台の上のほうに朱色の鳥居が見えてくる。ここまで来ると、いよいよ那智大社の本殿が近くなってきたという合図である。
 
しかしまだまだ本殿に行くには坂道を歩かないといけない。一体どんだけ坂道の階段を歩かせるんだーとおもうのだが、那智山の上に大社は建っているので、そこまで上らないと本殿にありつけないわけである。そして、一番ショックだったのは、最後の最後に急激な石段が目の前に聳え立っていたときだろう。この石段を上らないと本殿にいくことが出来ないのだ。
 
さて、長い石段を上ったあとには、朱色の染まった本殿とその周りの社殿が広がっている広いエリアに出てくる。この日はとても天気が良かったので、空の青さと社殿の朱色がとても映えて見えていたのが印象的。本殿の隣りにはこれまた八咫烏を祀った場所があるのでそこも絶対お参りしたほうが良いだろう。
 
 
 
 
本殿はかなり立派なつくりになっており、このときには、社殿のなかで祝詞を上げているひとはいなかったのだが、サッカーの日本代表ももしかしたら参拝にくることもあるのかなーと勝手に想像しながら参拝してみた。そういえば、本殿の前には巨大なおみくじがあるので、是非それを使っておみくじを引いて見たら良いと思う。
 
 
 
 
 
 
そういえば、熊野速玉神社のほうはそんなに人がいなかったのに、この那智大社のほうはめちゃくちゃ参拝客がたくさんいた。あれ?みんなどこにいたんだろう?と思うくらいの参拝客である。やっぱりここは那智大社もそうなのだが、傍に有名な那智の滝があるところだからなんだろうと思う。

那智山には那智大社しかないとおもったら、大間違い。実は、那智大社の鳥居を潜ると、隣りには西国三十三ヶ所第一番札所である那智山青岸渡寺が存在する。神仏一体化の名残でここに建てられたのか知らないのだが、いずれにしろ、上皇や法皇が那智大社を参拝するときの常宿にしていた寺であることは間違いない。観世音菩薩が祀られているお寺なので、那智大社とは違う気持ちでおまいりするのが良いだろう。
 
 
中に入ると、各種曼荼羅を販売しているところや御札を売っているところが本堂の中にある。なんだか販売員に対しておまいりしているみたいで、妙に変な感じがするんだが、どうしてあんなところに売り場を作ったのか疑問だ。内部で参拝者の監視をするための目的としてしか思えない。
 
 
そして更に下っていくと、有名な那智の滝と赤い三重塔のペアが見える場所が見えてくる。ここからの写真は、那智の滝にやってきたなーというのが一番わかるところだろうと思うので、結構たくさんの人が写真を撮るために集まってきている。やっぱりここからの景色は最高だなー。それに良い天気だったから、空の青、山の緑、建物の朱色、滝の白の色具合がくっきり違って見えていて最高。
三重塔には上ることができて、高いところから那智の滝を近くで見ることが出来る。塔の中には特にこれといった展示物があるわけでもない。一応曼荼羅が飾られているのだが、そんなもの誰も見ていることはないだろう。この塔から観る滝の姿はやっぱり雄大だ。滝の上から滝つぼまで見えるので、実際に上ってみるのは良いと思う。
 
 
 
 
しかし、この三重の塔のところが一番身近に滝が見える場所ではない。もっと身近に見えるのは違うところだ。実はバス停にもなっている「那智の滝入口」というところに、滝のすぐ傍にいける場所の入口がある。この入口まで行くには、実は結構山を下らないといけない。この坂道の石段も結構な階段になっているので膝に負担があるひとは結構辛いところだろう。でも、高い木々に囲まれているのでひんやりとした空気で囲まれているから気持ちが良い。
 
 
滝の入り口にやってくると、車通りだからかもしれないが、お店がたくさん存在する。そしてバス停があるので、帰りのバスの時間を確認してから滝つぼ傍までいくのがいいのではないだろうか?
 
 
 
滝つぼ入口からも実はさらに石段を下らないといけない。それをだんだん下っていくと、滝の音がずっと大きくなってくるので気分が高ぶってくる。ここまでやってくると、那智の滝も違う形で見えるので、爽快感が出てくる。滝自体になにか祀られているというわけじゃないのだが、霊験新たか、修行の場として使われている場所なのだろうから。しかし、那智の滝を見に来る人は多いとは思うのだが、そこで何をしているかというと、滝がすごいねーと感動しているだけであり、そこでおまいりをするという人はあんまりいないように思われる。
 
 
 
 
熊野那智大社の参拝は大門坂下から始まり、山を散策して、最後に滝を眺めていくという山散歩になるのだが、これは時間をかけても絶対廻って欲しいところだ。帰京する時間を気にしながら山歩きをすると、落ち着いて見られることはできないだろうから、やっぱり那智大社と本宮にいく日を変えてよかったと思った。

熊野那智大社
URL : http://www.kumanonachitaisha.or.jp/

那智山青岸渡寺
URL : http://www2.ocn.ne.jp/~sanzan/NTTcontents/seigan/

熊野交通・那智山往復時刻表
URL : http://www.kumakou.co.jp/bus/jikoku_item_9.html