2008/06/21
遊牧民から見た世界史
文明とか文化というものが発達していたところというと、学校では、ヨーロッパと中国はもちろんのこと、エジプトとイラン・イラクの地域だというのを習うとおもう。そして、文化の空白地帯とでもいうべきところとして、中央アジアやアフリカが上げられることも言われる。しかし、中央アジアが一時期注目を浴びるのが、たぶん歴史の時間の中では2回出てくると思う。1回目は、漢の時代とローマの間でシルクロードが形成されたという話が出てくるところであり、2回目は、モンゴル軍がハンガリーまで攻めて行って、4つのハン国を作ったというところくらいだろう。あとは、ほとんど歴史の中に全く出てこないという記憶があった。
ところが、「いやいや、歴史を作ったのは中央アジアの国々なのだ」と主張しているのが、この本である。遊牧民が東西の文化をつないだというのであれば、それなら納得なのだが、古代中国や中世の中国は、中央アジアの遊牧民が作ったとか、特に古代中国の王朝は実は中央アジアの国々の従属だったという話を延々とかかれているのをみると、本当かなと思う。どこまで立証しているのかわからないのであるが、今まで一方的に中国文化から見た歴史しか教えられていないので、それ以外が中国を事実上制覇していたという話を聞かされて半分信じられなかった。しかしよく考えたら、軍事的には機動力のある遊牧民族が農耕民族を制圧していたのは、もちろん簡単なことだと思うし、農耕民族が遊牧民を抑えるのはなかなか難しいのも理解できる。歴史とはいつでも一方的な面から見られており、そのときの主張が多い勢力によって、歴史は必然と語られるものなのだなと理解した。
さらに中央アジアは、文化が全く無い未開の土地のように印象を植えさせたのも、これまでの教育なのだなと気がした。実際には、農耕民族の土地のように肥えた土地があるわけでもないので、一箇所に巨大な遺跡があるというわけでもないために、文化がないようにみえるが、遊牧民なので、そのときに必要な土地に国家を形成していただけで、全く文化の形跡が残っていなかったというわけでもない。さらに砂漠化していった地域であるために、遺跡を発掘するのがなかなか捗っていないだけで、真実が全く知られていないだけなのであることも理解できる。また、中国の漢字文化からみた中央アジアの国家は、すべて「野蛮人」のような名前が勝手に付けられているところも、中華思想的な国家感から付けられたものだというのは理解できるが、実際にはこれらの国家にも文字もあったし記録もあったので、本家の国から見たときには立派な名前だったりするのも理解できた。
筆者がモンゴルを中心とした中央アジアの文化に精通している人なので、主張が偏っているように思えるのは致し方ないのだが、歴史とは多方面から分析しないと、本当にわからないものだなというのが良く分かるものである。そして、中国側からばかりで物事を見ていると、何も見えなくなるというのもよく理解できた。
遊牧民から見た世界史―民族も国境もこえて
杉山 正明 (著)
日経ビジネス人文庫
ISBN-13: 978-4532191610
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