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姫路城は1度友達が住んでいるからという理由から訪れたことがあったのだが、そのときの記憶がまったく無かった。姫路駅から丸見えになっているのは、新幹線でなんども通るときに見えるので、それだけは記憶に残っていた。
日本三大名城の1つになっているので、姫路城は城マニアの人であれば誰でも絶対好きな城の1つに入れるだろう。ちなみに自分は特に城マニアというわけではない。ただ、その建築的な振る舞いと気品が、その辺の城に比べて断然違うというのだけはわかる。
駅からは特に交通機関を使う必要も無く、まっすぐに伸びた参道のように広くて長い道を歩いていけば、入り口まで到達できる。ただ、この参道のような道は鳩やら烏やらがたくさん飛んでいるので、頭上から糞が落ちてくるのだけは気にしなければならない。ただ、参道を歩いていると、たまに横断する道と交差する。その横断する道でも、石垣の跡が残っていたりするので、いま横断している道路も昔は堀の一部だったところを埋めたのだろうというのは容易に想像できる。
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さて、いよいよ姫路城の敷地内に入っていくことになる。日本の城というのは、城主を守るために城壁があり、その城壁の外側に壕があるつくりになっているのが一般的だ。中国やヨーロッパの城というのは、そういうつくりではなく、町全体が城壁に囲まれており、城主に与えるえさ(食料)を供給する農民も抱きこんで、戦いに望むために作っているつくりなので、中国人やヨーロッパ人が日本の城を見るとき、まずその城壁がなぜこんなところにあるのかというのを不思議に思うらしい。ちなみに、中国語で「町」は「城市」というくらい、城壁で囲まれた地域を1つの町とみなしていたのである。
どこから見ても姫路城というのは絵になる。一番最初に絵になる場所といえば、姫路城前交差点から撮る写真だろう。ここでは団体観光客が三脚を立てて写真を撮っている風景がよく似合う。ただ、残念だなとおもうのは、「世界遺産姫路城」という記念碑を立てているのはいいのだが、その記念碑を立てた印なのか、「姫路市長」とその名前が刻まれているというのがちょっと嫌になる。中国の遺跡だと、自然石に赤い字で刻まれた碑をみるのだが、それと同じくらい幻滅してしまった。姫路市長とその名前は要らんぞ。きっと代々自慢したいために書いたんだろうなと思う。
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現在部分的に改修工事が始まっている姫路城が、いまの姿のままで見られるのは今年の4月の桜の時期までであり、それ以降は城全体がカバーで覆われてしまうので、あの優美な姿が見られなくなってしまう。そのために、最後の追い込みでめちゃくちゃたくさんの観光客が来ていた。あとで述べるつもりであったが、天守閣に上るときに、その人数の多さが、まるでモナリザの絵がきた美術館に来場した客数くらいの人たちが来ていて、城が倒れるんじゃないのか?というすごさだった。さっさと上の階に上れないし、中には老人や子供もいるところ、エレベータがないため、階段のところでスタックが起こるため、なかなか進まない。幸いにも、城は密閉されているわけじゃなので、息苦しいということはないのだが、これが密閉していたら、きっと全員酸欠になって倒れるんじゃないのかとおもったくらいだ。天守閣の一番天辺では、あまり長居することができず、それこそモナリザの絵の前で立ち止まらないでくださいーと言われているくらい、のんびりと市街地の風景を望むということができなかったのが悲しい。
話は天守閣に上る前に戻ることにする。
天守閣に入る前に、まず一番最初は三の丸広場と言われる運動会でも開けるのではないかというような広い場所に出くわす。この広場からは遮るものが無く姫路城を望むことができるので、ここでもたくさんの人が写真をとっていた。城壁と天守閣を全体的に撮影するのであれば、ここからの風景が一番いいと思う。あまり天守閣に近いところに行くと、天守閣のほうがとても小さくなって、ほとんど壁じゃないかというバランスの悪い写真しか撮れなくなるからだ。
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姫路城に入る際にはもちろん入場料が必要になる。それは三の丸広場を時計回りに左のほうに回っていくと正面に門番みたいなところに出くわすのでそこで購入する。天守閣だけの料金と庭園とのセット料金があるのだが、天守閣だけでも十分時間がつぶれるとおもったので、天守閣用のチケットを購入して入った。ちなみに、この入り口から先は、一切食べ物は禁止。もちろんタバコも禁止である。いっそのこと、そんなに禁止するなら、持ち物検査で、タバコやライターのような火気も入り口で没収するようなことをすればいいと思う。どこかの馬鹿が放火するかもしれないからである。ただし、飲み物だけは持参してもいいことになっており、飲んでも良いらしい。脱水症状だけは避けたいからだろう。
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最初の門である「菱の門」を入ったあと、そのまま西の丸にいくこともできるが、そんなのは後からいくことにし、先に天守閣からいくことにした。
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姫路城は、もともと「姫山」という山に築かれた城なので、天然の岩を基礎にしたところに石垣を組んでいる構造になっている。ということは、平地に作ったような城とは異なるので、全体的に山を登るようなつくりになっているので、攻めるときも一苦労なのである。それも天守にのぼる道は細く作られており、道の両側は高い壁でかこまれており、壁の内側からは矢だろうが鉄砲の弾だろうが飛んできて、一網打尽できるようになっているつくりである。さらに石垣がきれいな曲線美を形成しているので、その組み方を見ているだけでちょっとおもしろい。
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姫路城にはひとつの史実がある。それはあの第二次世界大戦で、日本全国が焼け野原になったのにも関わらず、この城だけは無傷で聳え立ったままだったということだ。姫路市内も当然火の海になったし、姫路城といえば、市内で一番高層建築物で標的としては格好の餌食になるはずなのに、それが無傷だったのはすごい。ということで、天守閣のところには災害から免れる神社が作られ、訪れる人がたくさんいるのである。そのときにぶち壊されていたら、きっといまのようなきれいな姫路城はみることはできなかったことだろう。現代人にとっても感銘を受けるような建築様式になっているのだから、昔の人にとってはもっとすごい建築物に思えたことだろう。
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姫路城は誰のものといわれると、これはちょっと答えるのに難しい。なんでそうなのかなーとおもっていたら、現地に行ってみてなるほどと思ったことに、この持ち主がこの一族だという限定したものがないからだというのがわかった。頻繁に城主が変わるために、そのたびに増築などをする際に使われる家紋をつけた瓦が、みればみるほど、いろいろな種類から構成されているからである。それだけいろいろな家が治めていたという印だ。うちと同じ家紋である、「丸に揚げ羽(蝶)」の家紋も見受けられた。
天守閣の中には特に目に付くような遺品類が飾られているわけではない。一部甲冑や巻物が残っていたりするのだが、たぶん多くは美術館のほうで大切に飾られていることなのだろうと思う。そんな天守閣を後にして、次に向かったのは二の丸の百間廊下だ。こちらは基本的に侍女たちが住んでいたところであるが、徳川秀忠の娘で豊臣秀頼に嫁いだ千姫が一時期ここで住んでいた場所でもある。その住んでいたときの様子が模型をつかって説明されている部屋もあるので是非いってほしい。ただ、この百間廊下は、いまでこそ、たくさんの部屋に仕切られた長い廊下のようにおもえるが、当時はたくさんの侍女が普通に生活をしていた場所であるのは前述のとおり。そうなると、台所やお風呂やトイレのような水周りについてはいったいどうしていたのだろうか?という素朴な疑問が残る。とても水周りを通すようなあとが残っていないからだ。
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のんびり歩いていけば、この城だけの堪能で2時間半以上はかかる。本当なら、姫路城を見終わったらその足で書写山円教寺にでもいこうとかんがえたが、昼から姫路城にいって、そのあとにいくにはとても時間が無かったのでやめた。午前中に姫路城に行き、午後は書写山円教寺にいくというのが一番いいと思われる。姫路で宿泊して帰るというひとは奏してほしいと思う。
姫路城大図鑑
URL :
http://www.city.himeji.lg.jp/guide/castle/
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