旅行記・紀行文というのはそれぞれの筆者によるカラーが出てくるものであり、読者がその作品を読んで、疑似体験を目を通して行い、そして感動を得たり、共感を得たりするようなことができたり、あとは参考になるような情報を得られるというものであれば、その作品は良いとおもう。が、何のためにその旅行をしたのか、読んだあとでは何も残らず、嫌な後味だけが残るという不快極まりない本も中には存在する。
それが今回紹介する旅行作家・下川裕治氏の「世界最悪の鉄道旅行 ユーラシア横断2万キロ」である。上述のようにいわゆる「いまいち」という評価になってしまった理由は後で記載するとして、この本で書かれている内容に付いて、簡単に記載したいと思う。題名に「ユーラシア横断」と「鉄道旅行」というようなことを書かれていた場合、だいたいの場合は「シベリア鉄道でも使って行ったのかな?」と思うに違いないのだが、この人の旅のルートは全くそれとは違う。ユーラシア大陸の東の端から西の端まで行くという点では類似しているとは言うものの、ロシアのソヴィエツカヤ・カヴァニ操車場からポルトガルのカスカイスまで電車で乗り継いでいくという。それもすでに長距離列車として確立しているシベリア鉄道を使っていくというのではなく、かつてのシルクロード交易と同じように、中央アジア地域を通っていくというのだから、恐れ入る。
日本人にとっては一番謎だし、無知の地域である中央アジアは、昨今ではようやくカザフスタンあたりが直行便が出来たことでその地名は少しは知られることとなったのだが、日本人の多くの知識の中では、中央アジアは文明がなく、旧ソ連邦を構成する衛星国のあったところであり、元王朝から生まれた4つのハンのうちのいくつかがあった地域であるというくらいしかないし、今では独裁政権がある国家が存在している国ばかりだということくらいしか追加情報がない。さらに言うと、ネットでちょっと検索をかけても、それほど情報が載っていないのが、それが中央アジア。一番情報が少なすぎるので、どこがどうなって繋がっているのかというのは、本当に詳細に、かつ、たくさんの情報から正しい情報を探し出さないのが苦労するところだろう。
この本では、何日かかるのか分からない列車の旅、そして、簡単にはいかないだろう鉄道の接続、それから、国境を越えるたびに検問があるのが普通であり、ヨーロッパのような陸続きではあるが、シェンゲン条約によって国境を越えるにもなんの審査もないようなところに慣れていると、国内旅行のように感じるが、普通に国境を越えるときに、パスポートにスタンプを押されることで、ようやくその国に滞在や通過することが許されるという自覚が出てくるものだが、そういう気分を感じることが出来たというのを紹介しているのがこの本である。
そして、鉄道と鉄道の接続が日本の田舎を旅行するよりも大変だというのは伝わってくる。なにしろ、日本の鉄道は世界一時間に正確に運行されるものであるために、何時に着くかというのは絶対情報として乗客は知ることができるし、それを元に違う電車に乗り換えるということは可能なのだが、世界各地では、到着すればラッキーであり、時間通りに到着するなんて宝くじに当たるより難しいといわれているくらいなのだから、時間に余裕を持って次の電車の接続を考えなければならないという辛さはあるのだろう。
と、ここまでは大変な旅をされたんだなーという同情心が出てくる範囲である。
しかし、ここからは批判したいことの塊になってしまうし、その批評を見ると、きっとどんだけつまんない本であり、ワクワクしない本であるかというのがわかるかもしれないので、未読のひとにとっては、読む前から読む気を無くさせる不愉快な感想文だと思われても仕方ないと思うが、自分の記録としてこれは残しておきたい。
さて、まず最初のツッコミは、列車旅行を題材とするのにも関わらず、列車に乗車している間の様子について全くなんの文章もないのである。確かに「コンパートメント形式だった」とか「女性車掌がお湯を持ってきてくれた」というようなつまんないコメントは載っている。山手線のようなせいぜい長くても1時間程度しか乗らないような列車であれば、特に列車に乗ったからといっても、コメントしようもないとおもうのだが、1度乗ったら何時間も電車に揺られているような情景があるわけで、それは車内および車窓からの景色からの様子というのをいかようにも多角的な視点でなにか書けると思われるのだが、筆者はとても視点が狭いのか、列車に乗っている様子を一言「苦痛だ」ということで全部切り捨てている。その「苦痛である」というコメントに、読者に対して一種の同情心やら同意を強制的に求めているように思えて仕方ない。皆まで言わなくても、やることがないような列車の中で、ただ単に座っているだけの列車の旅行なんてツマンないこの上ないとでもいうのだろうか?だとしたら、この筆者は最初からそんな苦痛になることが分かっているのにも関わらず、ただ単に自分が本を書くためという目的のためにだけで、おもしろくもなんともないような列車に乗ったということを安易に示しているだけでしかないである。だったら、最初から乗るなよーと言いたくなる。列車に乗って、適度な揺れに心地よさを感じ、車窓の風景に対して、いろいろな知識を駆使して薀蓄を紹介してくれた旅行作家の故・宮脇俊三氏がこの筆者の作品をみたら「くだらなすぎる」ときっと切り捨てることだろう。
そして、随所に出てくる貧乏臭い表現。自称・バックパッカーなのかどうかしらないが、カメラマンを随行させて列車の旅をしていること自体で、もうこれは取材旅行であるわけで、あとでどうせ経費で落とせるんだから、そこでケチって何をしているんだろうと思うのである。車内に持ち込んで食べるための食糧などについての表現が出てくるのだが、これが金には糸目をつけず、現地でしか買えない様なもの、目に付いた変なものなどなど、あとで本にすれば良いじゃないのかというようなものを紹介しつつも買ったらいいのに、それが一切なく、日本で生活しているときに食しているものと同じものを現地で探そうとし、それを買いこんで腹を満たすというツマンナイ選択をしているということもあるのだが、なぜかしょっちゅう、カップ麺のことばかり出てくる。カップ麺なんて貧乏人で、不精なひとが選択する代表的な食料ではあるが、それが最高の食料だというような表現をしていること自体が、もう読む気をなくす。食べ物というのは、その土地、その土地で絶対美味いものがあるわけで、現地でしか手に入れられないようなものを探せばいいのに、その労力をケチって言うこと自体が、もうこの人は本当は旅行が好きじゃないんじゃないのかと思えるほどだ。
アマゾンなんかの批評にも書かれているのだが、この人の旅の計画は、綿密さが全く無い。上述の通り中央アジアを経由するような場合は、事前に、もうこれ以上の情報は手に入らないというくらいの十分な情報を持っている必要があるのだが、それさえも惜しんでいる。ちょっと調べてみて見つからなかったから、現地に行けばなんとかなるだろうというような安易な計画をしているのである。旅行代理店を経由して旅程を考えているようなのだが、旅行代理店にパックツアーでも申し込むような感覚で対応を求めていたことがそもそもの間違い。切符の手配をするところが旅行代理店という位置づけでしか考えなかったことが、あとで現地にいったときに、路線が廃止されていたとか、接続に超長時間待たされることになるとか、列車が別の列車に寄生するように連結する等等のような、調べればわかるということを事前に知らないで列車に乗っているんどえある。旅行代理店は、チケットを取るためのところであるのはもちろんだが、旅程に対してどのようにすればいいのかというコンサルティングを行うところでもあるのである。この著者には「用意周到」という文字は持っていないんだろうと厭きれた。どうせネットで知り合ったのであろう、中途半端な現地の友人と言われるようなひとを捕まえるのは良いのだが、その人を伝にして、現地の足らない情報を仕入れるように努力すれば良いのに、こと、鉄道に関しては駅にいけばすべての情報が集積しているだろうという、東京の電車の事情と同じようなことをしでかして、駅員にスケジュールと行程について相談をしている。これ、末端の事務員が切符を売るという仕事以上のタスクを求めること自体が間違っている。それこそ、現地にも旅行代理店が存在しているわけで、なぜそこに行かなかったのかがわからない。おそらく、この筆者は、現地の旅行代理店にコンサルティング兼切符の手配をした場合には、本来の鉄道旅費以上のものを支払わないといけなくなるのではないかという、ここでもつまらないケチなことを言い出しているんだろうと思われる。それを文字を通して読めるところがいやだ。
さらに、題名としてユーラシア横断と述べているのであれば、中央アジアでの混乱ぶりを記載しているのは良しとしても、トルコ以降ポルトガルまでのヨーロッパに入ってからの記載が、あまりにも全く内容が無いくらいすっ飛ばしているところも解せない。滞りなく列車は進んでいくことができたということが、きっと筆者の感情にはなんにも残らなかったのだろうと思う。もちろん、それは車窓からの変化に富んだヨーロッパの景色さえも、彼にはなにも映らなかったのだろう。つまり、この筆者は、「とりあえず中央アジアを列車に乗っていれば、いろいろな混乱ぶりに遭遇できるだろうし、それをおもしろおかしく文章化することが出来るだろう」という単純なつまらない名声or期待だけのために、あの長距離の列車を乗り継いだんだろうと思われる。中国大陸および中央アジアのなかを通っているときの、しっちゃかめっちゃかな状態を読んでいるときには、多少ムカつくところは出てきたとしても、なるほど結構いろいろなことがあるんだなーということがわかるのでとても楽しめたが、ヨーロッパになったとたんに、行程2000kmあたりが10ページくらいで終わっているなんていう書き方は、もうトルコに入った途端に読む必要がないと言っても良いだろう。
諸所に「よくわからない」とろくに調べてないのを露呈するような書き方をしているところがある。帰国後でもいいが、あとで調べた結果を追記して、列車が通っている線路にまつわる歴史・文化・背景とうとうの情報を記載すればいいのに、それを怠っているんじゃ、単なるまともな職についていない中年バックパッカー旅行記でしかないわけだし、これでよくもまぁ金を取って読ませようと思ったとあきれる次第だ。
世界最悪の鉄道旅行 ユーラシア横断2万キロ
著者:下川 裕治
文庫: 396ページ
出版社: 新潮社
発売日: 2011/10/28
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