ユトレヒトにあるディック・ブルーナ・ハウスに行ったときに、ミッフィーのキャラクターは知っていたけど、作者も知らなかったし、ミッフィーが「お話」のある本であるということもしらなかった。まるで「リラックマ」のキャラクターに対するものと同じである。しかし、ミッフィーについてのことを含めて本全般にことを良く知っている友人がいて助かった。ミッフィーは小さい子供が読む本であり、結構大人が読んでもうならせる内容だったりするものであり、たまにブラックなミッフィーも出てきたりするから面白いというもの。
かわいいだけのミッフィーとおもっていたのに、これに「ブラック」が付くとなると、俄然、それはどういう話なのだ?というのが気になるというもの。ただ、その「ブラック」という程度というのが、ミッフィーがいきなりグレるとか、ミッフィーが友達を殴るとかそういうアナーキーなものではない。ミッフィーが友達と遊んでいるというような可愛らしいところだけを話にしているのではなく、死と直面するという話も堂々と紹介しているというものがあるというものだった。そういう話がプリティキャラクタで紹介されているなんていうのは、想像できなかったので、どういうものか見てみたかった。リラックマでいうところでは「子リラックマが死んじゃった」という話を書いているようなもんである。日本では絶対こういう話を子供が読む本の題材にすると、どこかのクレージーなPTAのババァたちから不謹慎だというようなクレームを出版社と作家につけてきて、出版社と作家が謝罪をするという意味不明なオチに陥ることなんだろうが、死についても生の反対で避けては通れないものだから、題材から削除するということ自体がおかしいのである。
ディック・ブルーナ・ハウスに行ったときには、同じ話の物語を複数の言語に翻訳されたバージョンが売られているのは知っていたので、そこでこの死について書かれた本「ミッフィーのおばあちゃん」の各国語版を買ってみた。
今回購入したのは、オランダ語、フリースラント語、中国語の言語だ。日本語があればよかったのだが、これは日本でも買えるだろうとおもっていたので、あまり熱心に探していなかった。それにしてもフリースラント語ってなに?とおもったのだが、これはオランダ北部にある古いオランダ地域で話されている言語であり、いまはフリースラント地方でしか使われていない言語である。だからここではオランダ語よりもフリースラント語じゃないと通じないと言われている。多少、現代オランダ語と似ているところもあるようなのだが、2つの言語は扱われ方が違うようだ。中国語の本は、台湾で出版された本なので、これは台湾で買えばよかったかなとは思った。
話の内容としては、唯一わかる中国語で各ページの内容を理解する。それも変な話だが、ドラえもんのように、全巻全部読んだことがあるというようなものではないので、手がかりになる物語が記載されている参考資料は、ここでは中国語でしかなかった。確かに、いろいろな人が書かれている通り、淡々とディック・ブルーナは、ミッフィーのおばあちゃんが死んだことを生の反対の状態であるという意図でしか記載しておらず、決して「あっちの世界に行った」というような表現を使っていないところに、子供がどこまで理解できるのかという難しさはあるだろう。ただ、これは人間が住んでいるときにはどうしても避けて通れないところなので、幼いながらも知っておくべき事象であることは必要だとは思った。
そのほかにミッフィーの本として、「女王様のミッフィー(Koningin nijntje)」と「ミッフィーどうしたの(nijntje huilt)」も買ったが、それは表紙で選んだだけ。話としてはどうでもよかったが、どちらもオランダ語。やっぱりこういう話は一度原語で読んでおいたほうが良いだろうと思ったので、時間があったら読んで見たいと思う。
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