2013/08/09

熊野と高野山にいく旅を考えてみた

熊野古道と高野山にいく旅程を考えてみた

両親が以前から行きたい行きたいとは聞いていたのだが、それを実現するのはいつの時期に行ったら良いのか全く想像していなかったし、自分も行ったことが無いので、どのくらい東京から距離と時間がかかるのか全く想像ができない観光地として、熊野古道というのと高野山がある。どちらも霊験あらたかな土地であるということもあるのだが、神社と仏閣という2つの全く異なる宗教で有名な観光地であるが、どちらも遠いところにあるため、また今度という気持ちはあるが、その実現がとても難しい。

しかしいつでもいけるようにと、とりあえず、どういうルートで行けばいいのかということと、現地ではどこを見るべきなのかというのだけは、事前に調べていても良いんだろうと思ったので、ちょっと調べてみることにした。関西出身や東海地方出身の人にとっては、まぁまぁ遠いところだがそんなに縁遠いものじゃないと思うところだろうが、東京の人間にとっては、高野山も熊野もすごい遠くて、行くのが大変なところだと思っている。でもその大変さが、熊野信仰とか高野山での宿坊に泊まってでも訪れたいという欲求に繋がってくる人が多いことなんだろうと思った。

旅行会社から定期的に送ってくる国内旅行のパンフレットなんかは、自分たちはそういう企画モノのツアーには絶対参加しないのだが、いちおうツアーだとどういうルートでいき、どこで泊まって、現地でなにをしているかというのは参考になる。参考になるが、どうせ短期間であちこちいって、現地滞在時間はすごい短いということをしているんだろう。ただ、ルートや宿というのは参考になり、ツアーの期間が2日であれば、それを3日にして廻ればいいのかなというような参考資料にはできるとおもう。それを見ると、だいたい熊野と高野山というのは同じツアーに入れられたりしているのが目立つ。なかには、さらにこれに伊勢神宮を組み合わせたようなあちこち行くようなものもあったりするのだが、これはさすがに参加しているほうは疲れちゃうだけだと思う。

そんな強行スケジュールのものは除外しても、全く検討も付かないところの情報としては参考にはなる。といっても、本屋に行ってわざわざ行くのかわからない該当する観光地に関する本を買ってくるのも馬鹿馬鹿しい。でも、最近はネットにいろいろ情報が載っているので、それは参考にさせてもらった。

だいたい、熊野とひと括りにしたところで、熊野古道、熊野本宮大社、熊野那智大社、熊野速玉大社と、結構広範囲になっていることを知った。だいたい熊野古道だけでも、紀伊半島の西部から東部、そして高野山の手前のところまで、古道としては実際に存在し、それをさすがに全部廻りたいということを言い出しかねないと思ったのだが、もしそれを両親を言い出したら絶対に拒否しようかと思う。ただ、最近の山登りブームのせいで、こういう古道を歩いて廻ったほうがご利益があると本気で思っている頭の緩いひとたちは結構いるので、それに感化されて自分も歩きたいなんていうことを言い出してこないよねー?と、なんとなく両親には言ってみる。しかし、思わず反応として「古道を歩かないで、熊野の神社にいけるの?」ということ。おっ、確かにいけるんだろうか?つうか、だいたいそれぞれの神社ってどこの場所にあるのかも知らない。基本的には全部電車とバスで行きたいと思っているので、どれだけ歩かなければいけないのか判らないような古道を歩くのは真っ平ごめんだと思った。

しかし、本当のところは、古代のひとたちから愛用されている古道を歩いて、古代のひとたちが大変さをわかっていても行きたいと感じていた熊野詣がどんなものかというのを理解するのも1つの手段だとは思う。が、そんなに時間があるわけでもないので、ちょっとだけ齧るようなことができれば良いと思う。それをスケジュール的にどこに組み込めば良いのかというのが全く地理的なことがわからないから判断が出来ないのが痛い。

とりあえずちょっと調べてみると、熊野の神社群にいくには、新宮か紀伊勝浦まで行き、そこからバスでいくことでいいらしい。それぞれの神社の傍までいくことができるのは時刻表やら地図を見ればわかった。しかし、なんといってもここは熊野地方なので、そんなに交通の便が頻繁にあるわけじゃない。したがって、行く日程を考慮しないと、混み時期にいけばバスも激混み+立ちんぼでいくことになるかもしれないとおもった。バスに乗って数分で到着できるような場所にそれぞれがあるわけでもないので、バスで座れないということは年を取った両親を連れて行く側にとっては、親の面倒をみなくていけないので大変だから絶対座りたいところである。しかし、もっと広範囲に神社群は点在しているのかと思ったのだが、意外に紀伊半島東部のそれも集中して建っていることが判ったので、紀伊半島西部の和歌山市あたりから熊野詣するひとが使う古道というのは、随分苦労して歩こうとしたんだなーと思うが、なんであんな山道を通ろうとしたんだろうか?というのは疑問だ。紀伊半島をぐるっと船で廻ったほうがいいじゃないのか?という気はする。

さて、問題は熊野詣のあとに高野山に行く場合。いちおう熊野本宮神社や新宮から高野山までいくバスがあることを発見した。発見したが、山道をずっと通っていくのもあるのだが、バス乗車時間が公式上でも6時間も乗るなんていう風にある。いちろう路線バスなのだが、たぶん途中で何度かトイレ休憩もあることだろうが、観光バスでいくわけじゃないのだろうから、バス内にトイレが設置されているということはないだろうということを考えると、トイレが近いひとにとっては、これは拷問に近いものがある。かといって、熊野詣あと、高野山に電車で行こうとした場合、ぐるっと紀伊半島を南下+西部方面に行く必要があり、それでも和歌山までしかいけず、そこから高野山があるところまでは電車を何度も乗り換えなければならない。これもこれでめちゃくちゃ時間がかかるものである。熊野のどこかを訪問したあとに高野山のほうへ移動した場合、バスで行っても電車で行っても、高野山あたりに到着するのは夜の21時ごろになると考えると、ちょっと不可能だ。じゃ、もっと時間を早めて宿泊地に到着できるようにと思って、高野山のふもとの街である橋本あたりに宿泊しようとしたものなら、まともなホテルは存在しておらず、やっつけでホテルをつくりましたというようなビジネスホテルしか存在しないので、旅の疲れは取れないだろう。だいたい、宿泊地について、発展しているような場所であればご飯を食べるところも外にはたくさんあるのだろうが、橋本の街が悪いというわけじゃなく、やっぱりこの街は高野山に行く手前の単なる通り道でしかないようだ。

そう考えると、贅沢にも熊野と高野山を同一行程で、それも2泊3日で行くということを考えようと思ったのだが、それを実現するのは無理なんだろう。ツアー会社のパンフレットではこれらを2泊3日で廻っていた。だから、たぶん各名所での滞在時間はめちゃくちゃ短く、15分も居ないんじゃないのだろうか?あとは移動ばかり。それじゃ、バス疲れで終わってしまうということだろう。座っていれば各地を廻れるから楽だという人は多いかもしれないが、個人的には旅のスタイルとしてはちょっと納得いかない。やっぱり自分のペースで周りたいとおもうし、興味があるところはじっくり眺めたいとおもうのは当然だろうからだ。

やっぱり観光会社が計画するツアーは単なる参考資料にしかならない。実際に高野山も熊野もいくことがあるのかどうかわからないが、本気で行くことを考えるときには、もっと真剣にルートとどこを廻るかというのを考えようかと思う。

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