23日の昼ごろ、ツイッターを見ていると「速報:談志が死んだ」というのが流れてきた。最初、ウソでしょう?という衝撃しかなく、本当にそのニュースは正しいのかというのを検索してみたのだが、どこにもそんなニュースは載っていない。そうこうしているうちに、次々とどうやら本当かもしれないとか、なんとかかんとか、いろいろ議論が始まってきた。あの2chでさえも最初は情報が載っていなかった。でも、談志の体調が悪いことはもう昔から分かっていたことなので、そのうち死んでしまうだろうということは分かっていた。分かっていたのだが、そう簡単にあの人がくたばるということは無いだろうというのを誰もが思っていたのに違いない。だから、談志ニュースが流れてきたときには、誰もがその真相を疑ったのは間違いない。
たぶんまともなニュースサイトで一番最初に報道したのは日刊スポーツだったと思う。そのニュースが出たあとに、ようやくテレビでニュース速報が出て、ただ一言「立川談志氏死亡」だけ。いつ死んだか、どういう病状で死んだかというのは一切無い。まるで「革命が始まりました」といわんばかりの程度の短さ。
ようやくまともなニュースソースからのニュースが出たあとのツイートの上がり方はすごかった。もうHOTワードの上位20個が全部談志ばかり。こういう状態もすごい。だいたい談志の落語を聴いたことも無いような人がツイート上で談志が死んだことに対して、リツイートしたりしているから、言葉だけ先行猛威になっているだけなんだろう。
ちょうど出かける寸前だったので、このニュースを見たときに、はっきりいって、今日は出かける気合が全くなくなってしまったのである。それだけ落語ファンにとっては惜しい人を亡くしたという気分になったに違いない。緊急ニュースで盟友の石原都知事へのインタビューが出たりとか、一番弟子の志の輔が出たりとしたけど、誰もが「そんなぁ・・」という顔をしていたのはとても理解できる。分かっていたことだけど現実が目の前に出てくると、それは認めたくない事実なんだろうが、認めざるを得ないというジレンマが誰もに出てきたのだろう。
さて、それほどまでの立川談志師匠は、ご存知の通り、立川流一門の長であるが、その門下には落語家だけではなく、結構有名人が加盟している。ビートたけしや上岡龍太郎もそうだったし、デイヴ・スペクターのようなひとまでも実は立川何某という名前を持っているくらいである。そしてもともと談志自体が最初から一門を作るつもりで落語の世界に入ったわけじゃない。落語協会などの協会をはずれた、いや、外されたところから彼の人生が始まったようなものなのだ。
キャラクターとしては破天荒でハチャメチャな言動を起こす、ちょっと危ない人とテレビのなかでは見られるのだが、たぶん彼の中での照れ隠しの逆表現なんだろうと思う。本当の談志はとても常識人であり、弱いところを見せたくないという強がりなひとで、弟子に対しては厳しくもあるが愛情を持って接し、博学であったひとだったと思う。そうじゃなければ、談志が生涯をかけて落語の歴史や落語にまつわるすべての事象や噺、そして各落語家の特徴というのを研究し、書物化し、後世の落語を学ぼうとするひと、または現在でも活躍や学んでいるひとたちへの教科書的な辞典を残そうとは思わないだろうからだ。弟子に厳しくもあり優しさがあるような人情溢れるひとでなかったら、きっと立川流を立ち上げたとしても、たくさんの弟子は出来るわけが無かったと思う。それでも志の輔を筆頭にたくさんの弟子および孫弟子がいるということは、それだけ人望厚く、そして誰もが落語の実力を知っており、それに学びたいと感じていたからなのだろうと思う。
各テレビでめちゃくちゃなことをしでかしたこともあり、徐々に全国区のテレビからは消えていったのだが、それはテレビの中で本当のことをズバっと反論の余地もない意見を言ってしまうため、本来なら反論を100倍にして返したいところ、返せない論客やテレビ関係者が嫌がったからだろう。人間、本当の事を言われると逆切れするか、または無言になるものである。落語家だから口が達者だというように簡単に言われればそれまでなのだが、実はそうじゃない。すごい社会や政治そして歴史についてよく勉強をされているからこそ、その豊富な知識と経験から物事が言えるんだろうなと思う。本当の事を言われるのが怖いからとか、自分の実力の無さが露呈されるのがイヤだからという理由で、徐々に談志との共演を嫌うタレントが増えたことも、談志がテレビからだんだん消えていった理由なのかもしれない。談志とまともにやりあえるような人だった場合、これほどテレビを見ていて楽しいものはなかった。別に談志と喧嘩をしてほしいと視聴者は期待しているわけじゃない。談志からいろいろなものを引き出してくれるサポータの重要な役割を見たいのである。だから、MXテレビで放映されていた、野末陳平とのコンビで土曜の朝にやっていた「言いたい放題」は見ていてすごい楽しかった。野末陳平も辛口コメンターだし、両者とも国会議員をやったことがある人なので、政治というものも良く知っている。そして、お互い芸に関してはよくご存知の人たちなので、番組の内容の幅も広くて飽きることはなかったのである。
談志は落語家としての実力はもちろん誰もが認めるものだろう。談志の落語のDVDを見ればそれは一目瞭然。生で高座を観にいった事が無いのだが、是非現役時代の談志の落語を見たかったと思う。神降臨!と言われた「芝浜」の落語を会場で生で見たかった。幸いにもこの芝浜については、NHKで放映されたので、自分の家にも録画したものが残っているから、あとで観直して見たいと思う。あとは、談志が10時間落語というのをいつかの正月特番で行ったことがある。それも録画でとってある。これらの落語は、弟子へのお手本もあるだろうが、手を抜かないで演じるし、芝浜なんかで言えば、落語は本来言葉を発して面白さを伝えるところを、言葉なしで、顔の表情と体の動きだけで話しの流れを観客に見せたという神業的な落語を演じた。同じように体全体で落語を表現した枝雀の落語とは、また系統が異なる。江戸落語と上方落語の違いなんだろうけど、やっぱり東京に住んでいるので江戸落語のほうが個人的には好き。上方落語はリズムがあって、それも楽しいのだが、やっぱり大阪文化を生粋から知っているわけじゃないので、それを知らずして上方落語を心底聴けるような環境には自分には無いからというのが、自分に対する根本的な言い訳だと思う。
演出家としての談志も捨てられない特徴だった。あの長寿番組である「笑点」を企画し演出した最初のひとは談志。いまでは演者が1つのお題目に対して、いろいろ面白いことをいう「大喜利」を持ち込んだのも談志だし、その大喜利は、いまでは演者同士の掛け合いだったりして、アドリブのように振舞っているけど、最初のころの笑点では、すべて談志がシナリオを書いており、演者その台詞回しを台本の通り演じていただけということ。それを台本が無い様に見せるのが落語家としての演技の1つであるということだったらしい。確かに、落語の噺はすべてだいたい話の筋は決まっている。それを演者によってどのように工夫するのかというのは落語家としては当然必要な演技力の1つなのだろうからだ。その本質を分かっている演者のみが、談志の誘いに乗って、笑点で長く活躍しているんだろうと思う。ちなみに、そのときの初代ざぶとん運びは、今では老人たちのアイドルになっている毒蝮三太夫。毒蝮三太夫という名前を付けたのも談志であり、最初は談志がつけた名前を芸名につけることを嫌がっていた毒蝮三太夫に対して、「俳優として演技が下手糞でも、喋りが達者なのだから、落語の世界に来ればいいのに」としきりに誘っていたというエピソードを本人が言っていたのを聞いて、いまのラジオ番組で茶の間を沸かせている原点をすでに談志が早い段階で見抜いていたんだというのを知って、談志はやっぱりすごいとおもう。
そのうち、テレビでも追悼番組をするんだと思う。が、本当に追悼番組をするんだろうか?死人にくちなしだから、死んだひとのことをとやかく言う人は少ないとは思うのだが、それでも談志のことを嫌っているタレントは結構いたと思う。そりゃぁ、存在否定されるようなモノの言い方をされたら、今では偉そうに言っているそのタレントも腹が立つことなのだろう。追悼番組をするんだったら、余計なタレントの懐かしいコメント集なんか要らないから、談志の落語をバンバン流して貰いたいものだ。余計な演出は要らない。談志は落語のためにいきて、落語のために命を削って集大成を作り上げようとしていたのだから。だから、談志の落語をみんなで聴いてあげて、彼が落語を通して何を伝えたかったのかを各人で考えればいいのである。
立川談志、また一人、偉大なる芸人がいなくなった。小粒のどうしようもない芸人は見飽きた。談志のような毒があるが、可愛げがある芸人だけが残るような世界であってほしいものである。そして、家元の落語を本当に生で観れなかったことだけが悔しい。
最後に、「談志が死んだ」という超有名な回文があるが、もうこれは使えない。「かの談志が死んだのか?」というほうが適切な回文なのではないだろうか?
ご冥福をお祈りしたい。
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