2012/12/01

愛と欲望の中国四〇〇〇年史

日本ではAVがたくさん売られているので、日本人は変態だという話を、特に中国系のひとたちから聞くのだが、同じ人間なのだから、変態の世界、性の世界というのはどこの世界でも似たように欲望はあるし、それをどう実現するかは文化の問題であって、なんらかの表現があるものだと思っていた。日本のAVが流行っているのは、世界的に見てロリ系が受けているだけであり、ゲイの世界だと、ゲイビデオの多さは群を抜いて多いのはわかりやすい。海外から見ると、日本の25歳から35歳くらいのAVモデルは全然モテる要素がなく、それにひっかかるのは同じアジア系の視聴者だけであるというのはわかる。演技をしているモデルの実年齢は30歳くらいだとしても、見た目が20歳くらいとして演出しているほうがやっぱり海外ではウケている。と、これまでは日本でのエロの表現だけのことは分かりやすいほどに資料が豊富に揃っているが、そういえば、中国のエロって今も昔もどうなっているんだろうというのを良く知らない。一方的に中国系のひとたちに日本人全体が変態扱いされているのも納得いかないので、なんらかの情報はないのか?と探していたところに良い教材があった。

中国生まれの在日韓国人3世の著者が書いた「愛と欲望の中国四〇〇〇年史」という本は、自分が中国でのエロ系の潜在的な欲望やその表現方法や思想についてどうなっているんだろうと考えていたことのほとんどすべてが掲載されていて、すごい本だと思ったものである。ここに書かれている内容を知っていれば、中国、台湾、シンガポールのような地域に行ったときに、エロ系の話題で日本人がバカにされるような言いっぷりを主張されたときには、反論するための材料が豊富に揃っているので、是非参考にしたい本だ。

中国史は異民族との戦闘と内紛しかないものかと思っていたのだが、その内紛の原因には結構性欲による闘争によって、政治や国がめちゃくちゃになるということも多かったことを知る。三国志や大航海時代や国共内戦なんていうのが持て囃されているよりも、実は裏で行われている性欲による政治混乱のほうがよっぽど実は中国史のなかで重要なんじゃないのかというようなことが分かってきた。俗に「女によって国が滅ぶ」というのは、よく言われたことなのだが、中国史はまさしくこれに当たる。その例を著者はたくさん示しているために、もう納得することばかりだ。

漢字が好きなひとにとっては、その漢字がどうして作られたかということに興味が出ることだろう。「色」は後背位のポーズから、「吊」という字は、男のチンコをそのまま象形文字化したというのも面白い。

それよりも実際にエロに対してどう接してきたかということが一番興味があるところだ。有名なところだと、女性の纏足だが、これは纏足のエロチシズムへ探求というのがすごい。纏足なんて見るだけのものかと思っていたのだが、そうではなく、纏足を使って遊ぶという「玩蓮」には、聴覚的に1種類、視覚的に4種類、嗅覚的に1種類、触覚的には46種類もの遊び方があるらしい。触覚的なもののなかには、口を使うものが6種類、手を使うものが28種類、足を使うものが4種類、肩を使うものが3種類、体を使うものが4種類とあり、それぞれの玩蓮の遊び方として名前がついているのが面白い。詳しくは本書の中に記載しているので、この纏足をつかっての遊び方に対する変態的行為の具体的な内容はそこで確認してほしいのだが、これだけ読んだだけでも、変態趣味もここまで来ると滑稽に感じる。

それから一夫多妻制が実は中国でも普通のことであり、妾制度は中国ではごく当たり前のことで、これは現代でも実は繋がっている話である。そして、驚いたことに、寝室というものは日本だと密室になっているのが普通と考えるところなのだが、中世までの中国では、特に仕切りを設けることはなく、誰もがその様子を垣間見ることができるくらいの開放的な性生活だったようである。ほとんど露出趣味というのと同じだ。それを横から見ている他人というのも、結構中国の絵画にも出てくるくらいのものだというのはおもしろい。

また、今でも中国では行われていることが人肉が精力剤になると考えているということ。三国志でも水滸伝でも西遊記でも、普通に話の中に人を食うという場面は出てくるし、中国の正史にも人肉を重用したという記録はたくさん出てくるので、人肉を食べていたということは普通のことだった。そして現代でも、たまに話題になるが、稚児の肉が若返りになるという理由でブラックマーケットで売られているとか、あとは生まれてすぐの子供の最初の尿が健康に良いと言われて高値で取引されているというのもニュースになるのだが、これもすべて人肉にまつわる風習が太古から中国には存在していることの伝統でしかない。なかなか人肉を食するというエピソードをいろいろ本書では説明しているのだが、これがすごいおもしろいから一読をお勧めしたい。

中国人がよく日本のアダルトビデオを観て、日本人はビデオに出てくるようなセックスを全員がしていると本当に信じていたりしてびっくりするのだが、それはTVドラマ「あぶない刑事」を見て、刑事はしょっちゅうピストルでバンバン撃っているんだというのを本当に思っているのとほとんど同じであり、おもしろい思想だなと何度も思ったことがある。あくまでもビデオの世界はフィクションであり、エンターテイメントであるのだが、なぜか身近に思えるような人が画面でやっていることは「本当の事」と信じてしまう幼稚な頭の中国人にどうやったら「あれはウソの世界だから」と説明するのが苦労することかと毎回思う。ところが、中国文化だって負けてないくらいポルノに対しては歴史的にたくさん作品を残している。有名なところでいえば「金瓶梅」や「肉蒲団」があるが、それだけじゃなく、もっと卑猥な小説は中国にはたくさん存在している。特に明の時代の作品は、ボーイズラブや官能小説なんかよりもエロだらけで、これが映像化していないだけというだけのものが多い。「如意君伝」「痴婆子伝」「繍榻野史」などなど、数え切れない作品が存在する。そして、ほとんどがベッドの上での場面を描写したところばっかりだというから、ほとんど文章によるエロとしか思えない。

そして極めつけは、なんといっても「房中術」だろう。皇帝から一般庶民まで中国人は多かれ少なかれ、「辟穀」「服飾」「導引」「房中」という4つの流派をたくみに利用して長寿を目指している。その中でも「房中」というのが、セックスをうまくコントロールすることで精力を補充し、長寿仙人になれるというもの。簡単に言うと「1日に10人の女とセックスをしても、絶対に射精をしないこと」というのが核心の部分である。男が陽気を抜かれることは禁物であり、射精は男の生気を失うことという考えを持っている。それが「還精補脳説」という考えに繋がってくるのだが、このばかげた幻想が実は中国人には秘術だと思われていたようである。

それと同時に、男女の性器を評する「五好五不好」という基準があったのが面白い。女性の場合は「緊」「暖」「香」「乾」「浅」なのだが、これは字を見ただけで分かりやすい。男性の場合は「大」「硬」「堅」「渾」「久」である。このなかで「渾」は長居ということ、「硬」と「堅」の違いは、「硬」は文字通り硬いということ、「堅」は丈夫だということ。しかし、男性の場合は一物だけではなく、「潘」「驢」「鄧」「小」「閑」というのも必要だという。「潘」は美男子という意味、「驢」は性器がロバみたいに巨大じゃないといけないという意味、「鄧」は金があること、「小」は細心に繊細にウカツに行動するよりも前後を良く推し量って行動するということ、「閑」は時間的に余裕があるということである。これは現代でも同じことが言えるのではないのだろうか?

そして毛沢東の自体には性風俗自体が低俗なものとしてタブー視されてしまった。この時代に生まれてきた人、そしてその時代に教育を受けたひとを親に持つ人は、エロ系のことを話題にすると、「それは低俗のことだ」と拒否反応を起こす。実際に自分たちはセックスをしているのに、変に曲がった情報しか耳に入ってこないように仕向けてしまったため、性に対して当然のことと先端的に接している日本のアダルトビデオの世界をみて「これは日本人はこういうことをしているんだろう」と単刀直入に思ってしまっている結果を生んでいる。すべてはまともに性教育を受けていないために出てきた弊害なのだが、これは南京大虐殺に関する間違った事実がいかにも正史だと教えてきた中国の政府の考え方を本気で信じ込んできてしまっている中国人が多いことと同じなのである。

だから、この本を読んで、中国人から「日本人って変態だよねー」といわれたら、すかさず、「お前らだって、マンコやケツに挿れているんだから、同じだ」と返答しておけばいいし、もっと理論的に対決するんであれば、この本に記載されている実例を全部あげて、相手をグウの音も出ないようにすれば良いだけである。良書だとおもう。

愛と欲望の中国四〇〇〇年史
著者:金 文学文庫: 288ページ
出版社: 祥伝社 (2010/2/5)
文庫: 288ページ
発売日: 2010/2/5



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