2020年のオリンピックは東京に決定!
このニュースは2013年9月7日の早朝に決定し、日本全国が一同に朝から歓声に沸いた日になった。2020年のオリンピック開催候補地としては、東京の他にマドリッドとイスタンブールが名乗り上げており、下馬評では東京ではあったが、寸前になって福島第一原発(通称「ふくいち」)の汚染水問題が発覚したために、一気に世界の目が原発は大丈夫かに向かって、9月6日まではどうも形勢が悪い状態になっていた。
ライバルの2都市に対する環境も実は東京と変わらず悪い方向だった。というのも、イスタンブールは、五輪史上、初のイスラム圏での開催をアピールとして行っており、最近の五輪の開催地は、世界各地で分散しようという動きがあったので、その動きに五輪委員会の考えは合致していた。しかし、イスタンブールは、ここ最近の内乱の長引く混乱が収束する気配はないし、この混乱の原因が政府と住民との政治と宗教に関する問題であったために、今は収まったとしてもやっぱりイスラム世界ではいつまた宗教問題で紛争が出てくるか判らず、五輪の開催も危ぶまれるという危険性が孕んでいることが明確化されたことと、隣国シリアの情勢が悪く、その飛び火がトルコにも及ぶんじゃないのだろうかというダブルパンチが起こった。もう1都市のマドリッドのほうは、スペインの沈みっぱなしの経済状況が全く上昇する気配もないし、同じようなヨーロッパの経済状況の悪い国であるポルトガルとギリシャと同様、若者の失業率の高さが改善しないというのは苦しい。この状態でスペインで開催するとした場合、本当にスペインには開催できるほどの資金はあるのか?というのかという疑問がある。あた1992年にバルセロナで開催したばかりで、またスペインで行うということになると、同じような場所で開催することになるので、分散開催の五輪委員会の考え方にはあまりそぐわないことになる。結局、両都市の欠点が露呈したことにより、棚ボタで東京がゲットしたのではないかという感じがしてならない。
五輪開催決定会議が行われたブエノスアイレスでは、各都市による最終プレゼンを五輪委員会の議員に対して行うことになるのだが、9月6日の日本時間の夜に、その際に東京が一番最初に行うことになった。東京の最終プレゼンは、最強布陣で臨んだ。最初に、日本の皇族を代表として高円宮久子妃殿下による東日本大震災復興に関わるせかいじゅうからの感謝の意を、皇室ならではの気品と優雅さで、まずは場の雰囲気をピシっと締めたところが本当に皇族が日本にいて素晴らしいと感じた一面だった。現場にいるわけじゃなく、テレビ中継されたのだったが、その現場の雰囲気というのがテレビ画面を通じて、日本で見ていたひとたちにもかなり伝わっていたのではないだろうか?やはり、国際的なイベントを行う際のアピールには、王室・皇族のような国家を象徴とするような人たちによる言葉が世界に向けて行われるというのは一番伝わる。なにしろ、その国家の代表者のようなかたが喋るわけで、なにを語るのか、そしてその国家がどのような状態になっているのかというのは王室・皇族の言葉を聞けばいつでもわかるというのは、もう何千年も行われてきたことだ。欧州の多くの国は王室を廃棄したために、このようなアピールが出来る国が少なくなったのは悲しいことではあるが、それでもまだまだ存在しているところはある。
今回、高円宮久子妃殿下は、プレゼンを行う際に、まずは最初にフランス語でお話をされた。フランス語は世界共通語、それも王室世界において、特に欧州では公式言語として昔から使われている言葉である。英語でもなければドイツ語でもなく、フランス語でなければならなかったのである。この流暢なフランス語によるプレゼンが始まったことにより、場の雰囲気が一気に市民や選手によるプレゼンではなく、国家を代表とする人によるプレゼンに一瞬にして魅せることになった。フランス語の後に英語でのプレゼンになったのだが、皇室の教養と知性というのはこの両方の言語によって十分に含まれていたことと聞いている人たちには感じられたことだろう。
その後に、パラリンピック幅跳び選手である佐藤選手が登場し、事故により身体が負傷することになった自分を、スポーツが自分に生きる力を与えてくれたことと、自分が大震災に遭って、自宅が被災したが、世界中の人たちの助けによって自分は救われたということに対して感謝のアピールを行った。この時点でおそらく、日本に多大なる資金と援助を行ってくれた台湾の人たちは、自分たちが日本に対して行ったことに対して、何度も感謝されたということで嬉しいと台湾人の友達が話をしてくれた。滝川クリステルは、フランス語による説明で、日本には古来から「おもてなし」によるお客様を迎える心が備えられており、それを日本国全体で迎える準備はいつでも出来ているという主旨を述べた。この「おもてなし」というフレーズは、かなりインパクトのあるフレーズで、ジェスチャーをつけた言い回しだったため、おそらく後日、流行語対象にでもなるんじゃないのだろうか?と思った。猪瀬都知事は、ご本人が作家であることから、文章内容は抜群なセンスを持っていらっしゃることだったろう。当日のプレゼンについても、当然ご自身で作ったコピーを使っていたことだろうと思われる。しかし、残念ながら、持って生まれた顔の悪さはあのようなアピールの場では、かなり原点対象になる。恋愛のときには顔で選ぶなとはよく言われたものだが、とはいっても、やっぱり第一印象は顔から入るのは当然であり、顔がいかつい猪瀬都知事にとっては、顔もアピールポイントとして利用しなければいけないのは苦痛だったことだろう。オブザーバは、どのような表情でプレゼンを行わなければならないのかということを非常に苦労されたんじゃないのだろうか?そのおかげで、今回のプレゼンでの都知事の表情が、この世のものとは思えないくらい気持ち悪い表情になっていたことは否めない。おまけに、バリバリの日本人によるカタカナ英語だったので、あんな言葉を話す人が開催地の顔になる人なのかとおもうと、ちょっとがっかり来た。
さて、問題はそのあとに行われた首相によるプレゼンである。妃殿下は国家を代表とする内容としてお話されたのだが、首相が話をするとなると、経済および政治に影響が出てくる内容となるのはいたしかたない。最終開催地会議が行われる前に発覚した、ふくいちの汚染水問題について、世界中の人たちが一番関心と懸念になっている点である。そのような世界が注目をしている状況において、首相はこの時ふくいちの状態について、政府による「under control」だと言い切った。本気で首相はふくいちの汚染水の状態を管理できていると思っているのか、それとも、実際には管理できていないのだが、ここで管理しているという言い方をしないと、世界中のひとがやっぱりふくいちはダメなので日本で開催するのはダメだと短絡的に考えるから、ウソでも大丈夫と言っといたほうが良いという結論に達したのかは判らない。でも、どう考えても、いまのふくいちの状態は決して「管理下」「制御可能」状態になっているとは思えない。ニュースで報道されないだけで、実際にはあちこちでダダ漏れになっているのではないかという疑惑が払拭できないのだ。しかし、首相は「under control」と宣言した。政治の長が「大丈夫」と言ったからには、当然大丈夫なのだろうというのは評議会の人たちも感心したんだろうは思う。ここでウソがばれたときに首相がどうするかはなんとも言えないところだ。たぶん、「大丈夫」と言い切ったのはそのうちウソであるということがバレる。2020年までの準備に間に、ふくいちの状況が悪くなったときにはどうやって誤魔化すのだろうか?
さて、2020年に東京でオリンピックをするということが決定してしまったいま、できるだけ新しいものを作らずオリンピックを開催したいという趣向ではあったらしいのに、いつのまにかあちこちに競技場を作るというようなことも言い出してきた。となると、建設のための資材と人材がどんどん東京に集まってくることになる。そうなると、東京に資材と人材が集まってしまうと、これまで必死になってふくいちの事故のせいで復興が進まない状態になっている震災復興においても、マテリアルが無いのだから、気合があっても復興がこれからはおもった以上に進まないことだと思う。金にならない復興より、金になる五輪開催のほうがよっぽど金があるからだ。これで福島復興は当分の間蔑ろになることが決定した。福島に住んでいる人たちにとっては、とても残念だ。
東京オリンピックが開催されたことにより、建設系の需要が絶対出てくることはわかっているので、開催場所が決まった最初の株式市場の様子は、大方の予想通り、建設および建材と不動産関連株は絶対上がることが予想されたし、実際に9月9日の市場を見たところ、予想通りストップ高に近い価格をどこの会社も位置づけられることになり、ちょっとしたバブルがまた東京にやってきたかなとと思う。
安倍首相は、首相就任以来、すべてが巧く行っている状態だ。でも、これは安倍首相がなにか起死回生的な施策をどんどん出して、国民と国家を良い方向へ引っ張っていくという主張しているというわけじゃない。単なる金融企業たちのマネーゲームに日本円がフリマされて、そのために勝手に市場が盛り上がっていっただけ。たまたまへっぽこの施策を出したとしても、何をしても許される状態になっているのが、今回のオリンピック誘致大成功は、さらに安倍首相に対しても勲章を与えることになる。そして、オリンピックが東京に来ることは、オリンピック景気が日本にまたやってくるということになる。
日本にまた景気がやってくる・・・というのは実はウソだと思う。日本全国にオリンピックの会場ができるかというと、それは無い。あくまでも東京都その周辺地域だけである。ということは、日本全国が景気がよくなるかというとそんなことはなく、東京とその周辺の建設業のひとたちおよびそれに資金を出している金融会社は景気が良くなるだろう。日本全国の建設業が潤えば、それは日本全体の景気が良くなるということになるため、そうじゃないため景気は一時的なものだと断定できる。そして、怖いのは、北京オリンピックのときが顕著にあわられていたので記憶に新しい人は多いと思うが、オリンピックが開催される前年までは景気が良くなると思うが、そのあと、開催年およびその次の都市は、大不景気になることは予想される。実際に、前回の東京オリンピックの際にも、翌年の1965年は大不景気になったというのは、父親から聞かされた話だ。そして、他のオリンピック開催地の様子をみても同じどおり、開催までは作れ・やれの号令の下で建設ラッシュになるが、そのあとは維持メンテナンスが大変になるため、結構放置されることが多くなり、建設する「モノ」がなくなるから土建屋の仕事がまた無くなるということになる。そして、北京オリンピックのメイン会場は、北京郊外に作ったために、そのあとは野ざらしで何も使われない状態になったため、メンテナンスさえもされることが無くなった。ただ、東京の場合は、なんらかのイベントを常に行っている地域であるために、デカいハコを作ったあとでも、ある程度のメンテナンスはされることだろう。ただ、選手村は建設されるが、それを今後はどのように利用されるかは、地震大国日本にはあたまの痛い問題になるだろう。なにしろ、その後はおそらく一般住居として売られることになるのだろうが、つくりが適当に作ってしまうと、液状化現象になってお台場や浦安のようなことになりかねないからだ。
今回の東京オリンピックの計画を見ていると、日本全国に点在して開催されることはなく、東京とその周辺で行われることになったのは素晴らしい。なにしろ、地方で開催されるようになると、その移動が大変だからだ。選手たちが移動するのに大変だと、良い記録も出ないことになるからである。ただし、サッカーの場合は、人気と日程と試合数の関係から、東京とその周辺のスタジアムで開催されるようだ。
そういえば、前回のオリンピックのためにつくられた首都高速は、もう50年も経過している。そろそろ立て直しが必要だったことから、いいきっかけになってまた新しい首都高速網が出来ることだろう。それと、前回にくらべて圧倒的に東京都区内に入ってくる自動車の量が多くなったことにより、シンガポールやロンドンで行われている、中心部への車両規制および中心部に入るためには特別税金をはらわないといけないという施策が絶対に必要になる。そのためには、監視カメラの徹底的な数の設置と車の番号からセンタへ車両の照合を行い、税金を払っているかの確認が必要になってくる。払っていない場合には強制的にあとから税金を徴収するという制度が必要だ。自己申告制という甘い考えではいけない。
リニアモーターカーもおそらく富士山の世界遺産になったこともあるために、予定よりも早く短距離ながらの開業が進められるだろう。さすがに大阪までの全線開通は地権と土地調査のためにまず無理だからだ。本来なら品川を始発とするリニアが出来てもいいと思うのだが、東京都内はすべて地下になるわけで、その地下計画を実行するために7年間というのはさすがに時間が短すぎる。そうなると、現在のリニア実験場を延長して、橋本から山梨までの区間だけだが、半実験・半営業という意味で開業はあるかもしれない。
東京オリンピックの次の開催地について、ちょっと興味があったので調べてみたところ、2024年開催地の候補として、実は現在台北が名乗り上げているらしいことを知った。しかし、2020年に東京が開催地になってしまうと、同じアジア地域で連続して開催されることはないので、まず台北での開催は無いだろうと思われる。同じような現象で、今回の開票の際、本命だったマドリッドへの開催の票が実際には激減したというのは、2024年にパリが開催地として立候補を名乗り出ているため、2回連続でヨーロッパで開催することを嫌うためのロビー活動が実はあったのではないだろうかというのも想像できる。従って、ヨーロッパ出身のオリンピック評議会議員のひとたちがこぞって東京へ票を入れたということも考えられなくも無い。
しかし、なんで日本人はこうも集団で集まってなにかとワーワーと騒ぐのが好きな民族なんだろうか?基本的に、毎日何らかの「祭り」を期待しているという気分はあるのではないだろうか?そして、今回の開催地の決定は、一般的なスポーツ競技と違って応援するという行為自体が意味がわかんない行為だとは思われるのだが、開票の動向を見守るだけしかないのに、いろいろな場所で深夜であるにも関わらず人が集まって開催地がどこになるのかワクワクしながらテレビで中継を観ていたというのを見た時に、なんだか笑えるなーと思った。きっと、開催地がどこになるのは関係なく、ワーワーと騒ぎたいだけなのだろう。そして、開催地が東京になったら、サッカーの試合で勝ったときみたいにみんなでお祭りになって騒ぎたいということが会ったんだろうと思われる。なんとなく、一般リーマンが仕事や生活の鬱憤を晴らすために、何らかの理由を作って飲みに行っているという理屈となんとなく似ているような気がする。名目を作って飲んでいれば「だから飲んでいる」という理由がつくわけだ。今回のテレビ中継を見守るひとたちの心情も是と同じだと思う。
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