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2014/03/12

浦和レッズが人権侵害?

3月10日の浦和レッズとサガン鳥栖の試合が、浦和レッズのホームグラウンドである埼玉スタジアムで開催されたのだが、そのスタジアムのスタンドに入る入口のところに「Japanese Only」という文字と旭日旗を掲げたバカなサッカーファンが居たことによって、あっという間にネットに情報が流れ、さらにそれが人権侵害にあたるのではないかという問題が発生した。

客の一部がそんな横断幕に近い旗が貼られていることに対して、埼玉スタジアムのスタッフに何度も詰め寄って、あの旗をなんとかしろということを要求したようなのだが、浦和レッズまたは埼玉スタジアムの関係者は、試合が終了するまでその横断幕を片付けるようなことや貼った人を探し出して剥がすように促したということは無かったようである。

人権問題は、昔から、一番面倒くさいひとたちが騒ぐ格好の材料になるのだが、今回の問題に対してもそれがやっぱり面倒くさいひとたちにとっては糾弾してやろうというターゲットになったことと、浦和レッズと埼玉スタジアムが「事勿れ主義」で問題を終わらせようとしたことが、実はこの2社の思惑とは全く反対に、全国規模のニュースにネットを中心になって発展してしまい、何らかの処分をJリーグから受けることになりかねない事件性に発展してしまったことだろう。

問題の横断幕が掲げられていたのが、浦和レッズのホームグラウンドのホーム側であるゴール裏のスタンドに通じる入口のところである。ということは、このエリアに入れる人間がやったことになることを考えると、浦和レッズファンが行ったということになる。相手チームのサポータが横断幕を作って、それをビジター側のスタンドに掲げているのであれば、まだ問題を沈静化することは簡単だっただろう。残念ながらホーム側に関係するサポートが実質はやったことがこれではわかってしまうようなものであったために、サポータがやったことは、例え、直接サポータのことを知らなくても、サポータを監督するという意味で、そのまま浦和レッズにとばっちりがかぶさってくることになるのだ。

それにしても、なぜこのような横断幕を垂れ下げるようなことになったのだろうか。背景としては色々考えられる。1つは李忠成のような旧在日朝鮮人で日本に帰化したような選手が大いに自チームの躍進に助けているというのであれば、日本一過激なサポータとして有名な浦和レッズのサポータに糾弾されるようなことは無く、むしろ李忠成ありがとうーというようなことが出ても良いのだが、残念ながら李忠成のこれまでのレッズでの活躍はとてもいいものではなかったために、身内のサポータから役立たずのレッテルを貼れたということも原因かもしれない。または、ゴール裏というのは、ホームのサポータにとっては応援する場所としては一番盛り上がることができる場所であるのは言うまでも無い。そのサポータにとってはプレミアムプレイスにもなっているところに、レッズファンじゃないような単なる外国人観光客がやってきて座っちゃうことがイヤだからということも考えられる。

この時点で、浦和レッズからいちおう対処予定の内容に関わる声明が発表されているのだが、どういうオチにするのだろうか?というところが気になる。

前述にも記載しているのだが、人権問題に関わることが発生すると、面倒くさいひとたちが生き返ったかのように騒ぎ立てるというのを記載した。その背景としては、最近ヘイトスピーチなるものが流行っている。それはターゲットとしてほとんど嫌韓・嫌中の延長として、ようやくまともに韓国LOVEや中国マンセーというような人が少なくなることにはなった影響もあるのだが、そういう嫌韓嫌中国を主張すること自体がヘイトスピーチというものに大きく括られてしまった。さらに言うと、そんおヘイトスピーチをする人たちを糾弾するという反ヘイトスピーチの動くも最近は喧しい。要は人権問題に関わるということは、ウルサイ右翼たちを起こせることになるのだ。

て、ヘイトスピーチという特殊集団糾弾方法が確立したとしても、その集団方法をすることを「禁止するぞー」という、世の中の動きにどこまで配慮されているのだろうか?というイがある。

事件発覚数日後に、犯人が特定されたというのが発表されていた。浦和レッズの古株サポータの3人が横断幕をつけたというところまでは分かった。この3人は浦和レッズによる調査に対して「最近、海外からの観光客が増えてきたため、応援の統制がとれなくなっているため」「(横断幕を掲げた入り口がある)ゴール裏は『聖域』。自分たちが応援してきた場所」と横断幕を出した理由を説明していた。決して選手に悪い人がいるわけじゃなく、クレイジーな浦和レッズのサポータのガラが悪かったという致命的欠陥が原因だったことに発端している。

またあとで浦和レッズが発表したことは、スタジアムに対する浦和レッズのサポータによる横断幕の持ち込みを禁止になった。そのためのセキュリティゲートを作るのかどうかは不明である。

2013/09/09

2020年夏季オリンピック開催地は東京に決定!

2020年のオリンピックは東京に決定!

このニュースは2013年9月7日の早朝に決定し、日本全国が一同に朝から歓声に沸いた日になった。2020年のオリンピック開催候補地としては、東京の他にマドリッドとイスタンブールが名乗り上げており、下馬評では東京ではあったが、寸前になって福島第一原発(通称「ふくいち」)の汚染水問題が発覚したために、一気に世界の目が原発は大丈夫かに向かって、9月6日まではどうも形勢が悪い状態になっていた。

ライバルの2都市に対する環境も実は東京と変わらず悪い方向だった。というのも、イスタンブールは、五輪史上、初のイスラム圏での開催をアピールとして行っており、最近の五輪の開催地は、世界各地で分散しようという動きがあったので、その動きに五輪委員会の考えは合致していた。しかし、イスタンブールは、ここ最近の内乱の長引く混乱が収束する気配はないし、この混乱の原因が政府と住民との政治と宗教に関する問題であったために、今は収まったとしてもやっぱりイスラム世界ではいつまた宗教問題で紛争が出てくるか判らず、五輪の開催も危ぶまれるという危険性が孕んでいることが明確化されたことと、隣国シリアの情勢が悪く、その飛び火がトルコにも及ぶんじゃないのだろうかというダブルパンチが起こった。もう1都市のマドリッドのほうは、スペインの沈みっぱなしの経済状況が全く上昇する気配もないし、同じようなヨーロッパの経済状況の悪い国であるポルトガルとギリシャと同様、若者の失業率の高さが改善しないというのは苦しい。この状態でスペインで開催するとした場合、本当にスペインには開催できるほどの資金はあるのか?というのかという疑問がある。あた1992年にバルセロナで開催したばかりで、またスペインで行うということになると、同じような場所で開催することになるので、分散開催の五輪委員会の考え方にはあまりそぐわないことになる。結局、両都市の欠点が露呈したことにより、棚ボタで東京がゲットしたのではないかという感じがしてならない。

五輪開催決定会議が行われたブエノスアイレスでは、各都市による最終プレゼンを五輪委員会の議員に対して行うことになるのだが、9月6日の日本時間の夜に、その際に東京が一番最初に行うことになった。東京の最終プレゼンは、最強布陣で臨んだ。最初に、日本の皇族を代表として高円宮久子妃殿下による東日本大震災復興に関わるせかいじゅうからの感謝の意を、皇室ならではの気品と優雅さで、まずは場の雰囲気をピシっと締めたところが本当に皇族が日本にいて素晴らしいと感じた一面だった。現場にいるわけじゃなく、テレビ中継されたのだったが、その現場の雰囲気というのがテレビ画面を通じて、日本で見ていたひとたちにもかなり伝わっていたのではないだろうか?やはり、国際的なイベントを行う際のアピールには、王室・皇族のような国家を象徴とするような人たちによる言葉が世界に向けて行われるというのは一番伝わる。なにしろ、その国家の代表者のようなかたが喋るわけで、なにを語るのか、そしてその国家がどのような状態になっているのかというのは王室・皇族の言葉を聞けばいつでもわかるというのは、もう何千年も行われてきたことだ。欧州の多くの国は王室を廃棄したために、このようなアピールが出来る国が少なくなったのは悲しいことではあるが、それでもまだまだ存在しているところはある。

今回、高円宮久子妃殿下は、プレゼンを行う際に、まずは最初にフランス語でお話をされた。フランス語は世界共通語、それも王室世界において、特に欧州では公式言語として昔から使われている言葉である。英語でもなければドイツ語でもなく、フランス語でなければならなかったのである。この流暢なフランス語によるプレゼンが始まったことにより、場の雰囲気が一気に市民や選手によるプレゼンではなく、国家を代表とする人によるプレゼンに一瞬にして魅せることになった。フランス語の後に英語でのプレゼンになったのだが、皇室の教養と知性というのはこの両方の言語によって十分に含まれていたことと聞いている人たちには感じられたことだろう。
その後に、パラリンピック幅跳び選手である佐藤選手が登場し、事故により身体が負傷することになった自分を、スポーツが自分に生きる力を与えてくれたことと、自分が大震災に遭って、自宅が被災したが、世界中の人たちの助けによって自分は救われたということに対して感謝のアピールを行った。この時点でおそらく、日本に多大なる資金と援助を行ってくれた台湾の人たちは、自分たちが日本に対して行ったことに対して、何度も感謝されたということで嬉しいと台湾人の友達が話をしてくれた。滝川クリステルは、フランス語による説明で、日本には古来から「おもてなし」によるお客様を迎える心が備えられており、それを日本国全体で迎える準備はいつでも出来ているという主旨を述べた。この「おもてなし」というフレーズは、かなりインパクトのあるフレーズで、ジェスチャーをつけた言い回しだったため、おそらく後日、流行語対象にでもなるんじゃないのだろうか?と思った。猪瀬都知事は、ご本人が作家であることから、文章内容は抜群なセンスを持っていらっしゃることだったろう。当日のプレゼンについても、当然ご自身で作ったコピーを使っていたことだろうと思われる。しかし、残念ながら、持って生まれた顔の悪さはあのようなアピールの場では、かなり原点対象になる。恋愛のときには顔で選ぶなとはよく言われたものだが、とはいっても、やっぱり第一印象は顔から入るのは当然であり、顔がいかつい猪瀬都知事にとっては、顔もアピールポイントとして利用しなければいけないのは苦痛だったことだろう。オブザーバは、どのような表情でプレゼンを行わなければならないのかということを非常に苦労されたんじゃないのだろうか?そのおかげで、今回のプレゼンでの都知事の表情が、この世のものとは思えないくらい気持ち悪い表情になっていたことは否めない。おまけに、バリバリの日本人によるカタカナ英語だったので、あんな言葉を話す人が開催地の顔になる人なのかとおもうと、ちょっとがっかり来た。
さて、問題はそのあとに行われた首相によるプレゼンである。妃殿下は国家を代表とする内容としてお話されたのだが、首相が話をするとなると、経済および政治に影響が出てくる内容となるのはいたしかたない。最終開催地会議が行われる前に発覚した、ふくいちの汚染水問題について、世界中の人たちが一番関心と懸念になっている点である。そのような世界が注目をしている状況において、首相はこの時ふくいちの状態について、政府による「under control」だと言い切った。本気で首相はふくいちの汚染水の状態を管理できていると思っているのか、それとも、実際には管理できていないのだが、ここで管理しているという言い方をしないと、世界中のひとがやっぱりふくいちはダメなので日本で開催するのはダメだと短絡的に考えるから、ウソでも大丈夫と言っといたほうが良いという結論に達したのかは判らない。でも、どう考えても、いまのふくいちの状態は決して「管理下」「制御可能」状態になっているとは思えない。ニュースで報道されないだけで、実際にはあちこちでダダ漏れになっているのではないかという疑惑が払拭できないのだ。しかし、首相は「under control」と宣言した。政治の長が「大丈夫」と言ったからには、当然大丈夫なのだろうというのは評議会の人たちも感心したんだろうは思う。ここでウソがばれたときに首相がどうするかはなんとも言えないところだ。たぶん、「大丈夫」と言い切ったのはそのうちウソであるということがバレる。2020年までの準備に間に、ふくいちの状況が悪くなったときにはどうやって誤魔化すのだろうか?

さて、2020年に東京でオリンピックをするということが決定してしまったいま、できるだけ新しいものを作らずオリンピックを開催したいという趣向ではあったらしいのに、いつのまにかあちこちに競技場を作るというようなことも言い出してきた。となると、建設のための資材と人材がどんどん東京に集まってくることになる。そうなると、東京に資材と人材が集まってしまうと、これまで必死になってふくいちの事故のせいで復興が進まない状態になっている震災復興においても、マテリアルが無いのだから、気合があっても復興がこれからはおもった以上に進まないことだと思う。金にならない復興より、金になる五輪開催のほうがよっぽど金があるからだ。これで福島復興は当分の間蔑ろになることが決定した。福島に住んでいる人たちにとっては、とても残念だ。

東京オリンピックが開催されたことにより、建設系の需要が絶対出てくることはわかっているので、開催場所が決まった最初の株式市場の様子は、大方の予想通り、建設および建材と不動産関連株は絶対上がることが予想されたし、実際に9月9日の市場を見たところ、予想通りストップ高に近い価格をどこの会社も位置づけられることになり、ちょっとしたバブルがまた東京にやってきたかなとと思う。
安倍首相は、首相就任以来、すべてが巧く行っている状態だ。でも、これは安倍首相がなにか起死回生的な施策をどんどん出して、国民と国家を良い方向へ引っ張っていくという主張しているというわけじゃない。単なる金融企業たちのマネーゲームに日本円がフリマされて、そのために勝手に市場が盛り上がっていっただけ。たまたまへっぽこの施策を出したとしても、何をしても許される状態になっているのが、今回のオリンピック誘致大成功は、さらに安倍首相に対しても勲章を与えることになる。そして、オリンピックが東京に来ることは、オリンピック景気が日本にまたやってくるということになる。

日本にまた景気がやってくる・・・というのは実はウソだと思う。日本全国にオリンピックの会場ができるかというと、それは無い。あくまでも東京都その周辺地域だけである。ということは、日本全国が景気がよくなるかというとそんなことはなく、東京とその周辺の建設業のひとたちおよびそれに資金を出している金融会社は景気が良くなるだろう。日本全国の建設業が潤えば、それは日本全体の景気が良くなるということになるため、そうじゃないため景気は一時的なものだと断定できる。そして、怖いのは、北京オリンピックのときが顕著にあわられていたので記憶に新しい人は多いと思うが、オリンピックが開催される前年までは景気が良くなると思うが、そのあと、開催年およびその次の都市は、大不景気になることは予想される。実際に、前回の東京オリンピックの際にも、翌年の1965年は大不景気になったというのは、父親から聞かされた話だ。そして、他のオリンピック開催地の様子をみても同じどおり、開催までは作れ・やれの号令の下で建設ラッシュになるが、そのあとは維持メンテナンスが大変になるため、結構放置されることが多くなり、建設する「モノ」がなくなるから土建屋の仕事がまた無くなるということになる。そして、北京オリンピックのメイン会場は、北京郊外に作ったために、そのあとは野ざらしで何も使われない状態になったため、メンテナンスさえもされることが無くなった。ただ、東京の場合は、なんらかのイベントを常に行っている地域であるために、デカいハコを作ったあとでも、ある程度のメンテナンスはされることだろう。ただ、選手村は建設されるが、それを今後はどのように利用されるかは、地震大国日本にはあたまの痛い問題になるだろう。なにしろ、その後はおそらく一般住居として売られることになるのだろうが、つくりが適当に作ってしまうと、液状化現象になってお台場や浦安のようなことになりかねないからだ。

今回の東京オリンピックの計画を見ていると、日本全国に点在して開催されることはなく、東京とその周辺で行われることになったのは素晴らしい。なにしろ、地方で開催されるようになると、その移動が大変だからだ。選手たちが移動するのに大変だと、良い記録も出ないことになるからである。ただし、サッカーの場合は、人気と日程と試合数の関係から、東京とその周辺のスタジアムで開催されるようだ。

そういえば、前回のオリンピックのためにつくられた首都高速は、もう50年も経過している。そろそろ立て直しが必要だったことから、いいきっかけになってまた新しい首都高速網が出来ることだろう。それと、前回にくらべて圧倒的に東京都区内に入ってくる自動車の量が多くなったことにより、シンガポールやロンドンで行われている、中心部への車両規制および中心部に入るためには特別税金をはらわないといけないという施策が絶対に必要になる。そのためには、監視カメラの徹底的な数の設置と車の番号からセンタへ車両の照合を行い、税金を払っているかの確認が必要になってくる。払っていない場合には強制的にあとから税金を徴収するという制度が必要だ。自己申告制という甘い考えではいけない。

リニアモーターカーもおそらく富士山の世界遺産になったこともあるために、予定よりも早く短距離ながらの開業が進められるだろう。さすがに大阪までの全線開通は地権と土地調査のためにまず無理だからだ。本来なら品川を始発とするリニアが出来てもいいと思うのだが、東京都内はすべて地下になるわけで、その地下計画を実行するために7年間というのはさすがに時間が短すぎる。そうなると、現在のリニア実験場を延長して、橋本から山梨までの区間だけだが、半実験・半営業という意味で開業はあるかもしれない。

東京オリンピックの次の開催地について、ちょっと興味があったので調べてみたところ、2024年開催地の候補として、実は現在台北が名乗り上げているらしいことを知った。しかし、2020年に東京が開催地になってしまうと、同じアジア地域で連続して開催されることはないので、まず台北での開催は無いだろうと思われる。同じような現象で、今回の開票の際、本命だったマドリッドへの開催の票が実際には激減したというのは、2024年にパリが開催地として立候補を名乗り出ているため、2回連続でヨーロッパで開催することを嫌うためのロビー活動が実はあったのではないだろうかというのも想像できる。従って、ヨーロッパ出身のオリンピック評議会議員のひとたちがこぞって東京へ票を入れたということも考えられなくも無い。

しかし、なんで日本人はこうも集団で集まってなにかとワーワーと騒ぐのが好きな民族なんだろうか?基本的に、毎日何らかの「祭り」を期待しているという気分はあるのではないだろうか?そして、今回の開催地の決定は、一般的なスポーツ競技と違って応援するという行為自体が意味がわかんない行為だとは思われるのだが、開票の動向を見守るだけしかないのに、いろいろな場所で深夜であるにも関わらず人が集まって開催地がどこになるのかワクワクしながらテレビで中継を観ていたというのを見た時に、なんだか笑えるなーと思った。きっと、開催地がどこになるのは関係なく、ワーワーと騒ぎたいだけなのだろう。そして、開催地が東京になったら、サッカーの試合で勝ったときみたいにみんなでお祭りになって騒ぎたいということが会ったんだろうと思われる。なんとなく、一般リーマンが仕事や生活の鬱憤を晴らすために、何らかの理由を作って飲みに行っているという理屈となんとなく似ているような気がする。名目を作って飲んでいれば「だから飲んでいる」という理由がつくわけだ。今回のテレビ中継を見守るひとたちの心情も是と同じだと思う。

2013/05/11

SLベンフィカ(リスボン)

ホテルから歩いていける下町っぽいところにあるレストランに行ったときに、地元のおっさんたちが、店内で放映されていたテレビのサッカー中継を齧りつく様に見ていたので、やっぱりポルトガルはサッカーが盛んなところなんだなーくらいしか思っていなかったのだが、実はこの日のサッカーの試合中継は、普通のサッカーの試合とは異なるものだったことが帰国したあとに判明してびっくりした。

リスボンには2つのクラブチームが存在しており、どちらもポルトガルのリーグの中では強豪であり、さいたまに浦和レッズと大宮アルディージャがあって、浦和ダービーと言われるくらい地元同士の試合だったら、すごい盛り上がりがあるのは有名だが、それと同じように、地元リスボンのチーム同士の試合のときは、町が二分するくらい盛り上がるものになっている。そのチームは、SLベンフィカ(Sport Lisboa e Benfica)スポルティング・リスボン(Sporting Clube de Portugal)というチーム。SLベンフィカは赤白、スポルティング・リスボンは緑白のユニフォームだから、両者の対決のときにはスタジアムに両者を象徴する色が華やかに揃うため、それは見事な状態になるだろうと思う。

それで2013年5月2日はこの両チームの試合があったかというとそうではなく、ポルトガルのサッカーリーグの試合ではなく、ヨーロッパのクラブチームが欧州チャンピオンを決めるための試合、UEFAヨーロッパリーグの決勝を進出するかどうかを決める、地元SLベンフィカと、トルコのクラブチーム・フェネルバフチェSK(Fenerbahçe Spor Kulübü)の試合が、SLベンフィカの本拠地スタジアムであるエスタディオ・ダ・ルス(Estádio da Luz)で行われたのである。そして、その試合に地元チームが勝利をし、決勝戦へ進むことができたという祭りになってしまった日なのである。地元チームがもしかしたらヨーロッパ1位になるかもしれないという期待があれば、普段おとなしいポルトガル人も熱狂するのは当然だろう。

対戦チームのトルコのチームは、一時期ジーコが監督するということになったことで日本でもちょっと知られたチームである。が、あんまりこれ以上のことはヨーロッパのクラブチームのこと、トルコのチームに付いてはよくわからないので述べられないし、詳しい人にこのあたりの説明は受け継ぎたいところだ。

ご飯を食べたあとにホテルに戻ったら、どこのテレビチャンネルを捻っても、もちろんポルトガルのテレビ局ばかりだが、サッカーの試合で勝利したことばっかりしか放映されておらず、なにか解説があるかというと、そうでもなく、試合会場からのライブ映像が延々と流れていて、アナウンサーや解説者のコメントなし。現場の興奮を視聴者のみんなで共有しようという雰囲気が伝わってきた。サッカーファンであれば、UEFAヨーロッパリーグでの決勝進出というのがどれほど凄いものかと言うのは分かるのだろうが、個人的にはよくわからない。なにしろ日本のサッカーリーグでさえもよくわかってないんだから。ただ、ご贔屓のサッカーチームがポルトガル国内ではなく、ヨーロッパ全体の中で優勝できるかもしれないということへの期待については、経済的に下降し停滞しているようなリスボンの人にとっては、ちょっとした悦びであろうというのは容易に想像できる。

なにしろ、テレビ中継で「勝った」ということが報道されはじめると、街中も知らない間に騒々しくなっていた。自分たちが泊まっていたホテルは、ポンバル侯爵広場の傍ではなかったのだが、この広場を中心にサポータたちが通りに繰り出して、勝利を祝う祭りが始まってしまったのである。その騒ぎが自分たちのホテルまで聞えてきたからビックリした。ポンバル侯爵広場のところはロータリーになっており、かなり広い広場になっているからたくさんのひとがやってきたとしても全く収容できるほどの広さはある。さらに、サポーターたちは、道路を走る車の行き来なんか無視して、通る車の運転手に「一緒に勝利を楽しもう」とわざわざ車をとめて同意を求めているというすごさだ。それをテレビ中継し、警官も出てきて「やめなさいっ!」というようなことを一切やることはないところが、リスボンのひと、ポルトガル人のサッカーに対する情熱を示していると思われる。日本だとすぐにDJポリスなんか出てきて、秩序ある行動を歩行者や集まってきたひとたちに求めるのだが、そんな幼稚な要求を市民にしないところがリスボンのひと、ヨーロッパ人の人間性が出来ているところだろう。
だいたい、テレビ中継のときに、スタジアム全体に横断幕として「Go To Amsterdam」というのが出ていたので、なんのこっちゃ?と思っていたのだ。なにしろ、最初にテレビ中継をみたときに、てっきりポルトガルリーグの試合中継でもやっているのかと思っていたので、それだったら、アムステルダムなんて関係ないじゃんと思ったからだ。ヨーロッパもそうだが、サッカーの試合はいろいろなリーグが併行して行われているので、なんの試合で盛り上がっているのか実はよく理解していない、無知な状態で見ているというところに問題があるのだろうと思う。あとで調べたら、上述の通りの状況だということであり、その決勝戦がアムステルダムで行われるということを知ったので、あの横断幕の理由が後で分かったということに気づくのだ。

ちなみに試合が行われたスタジアムは、地下鉄青線のコレジオ・ミリタール・ルス(Colégio Militar / Luz)駅の目の前にある。この駅はスタジアムの隣りに巨大ショッピングモールのコロンボ・ショッピングセンタ(Centro Comercial Colombo)が存在しているので、このあたりはそれだけでひとつの巨大な街が形成されているところだ。ポンバル侯爵広場は、同じ青線で乗ってくれば、そのままやってこれる場所なので、スタジアムの興奮のまま地下鉄に乗ってきている人も多かったのだろう。なにしろ、ここは乗り換え駅でもあるわけだから。なお、スタジアムは正式の名称以外に、いろいろな名称を持っている。地下鉄の駅にも使われている通り「光のスタジアム」と言われていたり、SLベネフィカの選手・ファンにとっては、「カテドラル」と呼ばれていたりするのだ。それだけ、ファンにとっては聖地であることは間違いない。
しかし、2013年5月15日にアムステルダム・アレーナで行われた決勝戦では、イングランドの強豪チェルシーに2対1で負けてしまって、残念ながらこの年のリーグではSLベンフィカは準優勝で終わった。1983年以来の準優勝である。

SLベンフィカ(Sport Lisboa e Benfica)
URL : http://www.slbenfica.pt/
本拠地:">エスタディオ・ダ・ルス(Estádio da Luz)

UEFAヨーロッパリーグ
URL : http://jp.uefa.com/uefaeuropaleague/index.html

2012/08/19

ロンドンオリンピック終了


ロンドンオリンピックが大絶賛のうちに2週間のイベントを終えた。ロンドンで開催するのは、もう何度目になるのかわからないオリンピック大会だが、それでも今回もいろいろなドラマが繰り広げられたことは確かだし、日本にいる人たちは、深夜や真夜中に放映されたライブ映像を見るために、早起きしてテレビに噛り付いていた人たちにとっては、夏の暑さと深夜のテレビ放映観賞のため、眠気としては地獄の2週間だったことだろうというのは想像できる。

今回のオリンピックは、金メダルの数はそんなに多くはないが、総獲得メダル数では過去最多の数が得られたということで大いに盛り上がった。それもメジャーな競技だけじゃなく、アーチェリーのような地味な競技にもメダルが入ったことは、今後同じような競技をしていきたいと志望するひとが増えるきっかけになったのは確かだろう。メジャーなスポーツでも、女子の卓球がこれまでメダルから程遠かったというのを聞かされたときに、卓球愛ちゃんすごいわーと、ちょっと考え深く思えた。また、女子重量挙げも、父娘でメダルをゲットしたということはとても普通の家庭では考えられないし、とても地味な競技だっただけにメダルが取れたときには、こちらも注目されたのは当然だろう。

金メダル確実といわれていたのは、体操の内村、レスリングの伊調、同じくレスリングの吉田だ。この3人は本当に恐れ入るが、前評判どおりに金メダルを取得した。おそらく半端ないストレスが彼らには掛かっていたに違いないが、個人戦での彼らの実力は、どんな条件でさえもクリアできるほどの実力を持っていたと思う。内村選手にいたっては、個人戦よりも団体戦のほうを重要視していたから、それを逃したのを悔しがるのは無理もない。しかし、先に団体戦をしたことによって、各器具の調子がどうなっているのかというのを競技を通して知ることができ、繰り出す技をどうするかという組み立てにも影響があったに違いない。

水泳や柔道のような試合は、メダル云々よりもその競技自体がおもしろいので、じっくりテレビの前でかじりついて観ていた。

オリンピック競技を通じて、いろいろ事件があったのにも、驚きと笑いがあったのを書き留めておく。一番オリンピックが終わってもまだ引きずっているのが、男子サッカー準決勝で韓国(以下・キムチ国)が勝ったときに、観客席から「独島はわれわれの島」と書かれたプラカードをピッチ上で掲げて、そのままピッチ内を1周してパフォーマンスをしたというのがニュースになっている。これ、FIFAもIOCも政治をスポーツの場に持ち込むのは、スポーツ精神に違反すると目くじらを立ててしかり始めた。韓国側はあわてて「プラカードを持った選手が個人的にやったこと」と釈明を各方面で言っているようだが、韓国人は基本的うそつきであり、公共の場でも平気で赤を緑にし、自分たちが正しいと主張する人たちであるから、本質を見誤るとIOCやFIFAの人間は首をくくらなくてはならない。
実際には、韓国サッカーリーグの会長が直接韓国側の応援団に混ざって、前々からプラカードを作って選手に渡そうと計画していたことが、ネット上にすっぱ抜かれていたし、韓国サッカーリーグ会長が、アポ無しにFIFAへ駆けつけていたが、門前払いになって無理やりの主張を聞いてもらえずに帰ってきたということも報道されていた。もう韓国はやりたい放題である。

韓国の選手がプラカードを持ってスタジアム内を走り回ったということの理由として、韓国側は「選手の行為は、政治的ではなく、単純に突発的に起きたこと」だとFIFAへ説明しようとしている。突発的なことだとー?突発的なことということは、偶発的なことだと思っているということか?わざわざ観客に扮した韓国サッカー協会の連中からプラカードをもらったのも突発的?100歩譲って、仮に偶発的というのであれば、両手を挙げて勝利を祝っているところに、偶然にもプラカードが手にすぽっと入って、たまたまスタジアム内を廻ったということになるのか?いずれにしろ、韓国の説明は矛盾だらけだし、明らかに組織犯罪なのだが、面倒くさいことになってきたので選手1人の責任として押し付けようとしている魂胆がある。


そして20日はメダリストの凱旋パレードが銀座の一番の目抜き通りで行われて、推定50万人以上のファンがパレードを見に集まったというのがニュースになった。凱旋パレードはお祭りとして大変すばらしいイベントだと思うが、それにしても50万人もの人が沿道を埋め尽くし、パレードを楽しんだというのは、現代日本の光景としてはとても滑稽に見えたし、戦後すぐの国土復興のころのような娯楽も何にもない時代のころの様子を再現してしまったのではないか?というような感じがした。皇太子殿下の御成婚のときでさえ、あんな数のひとたちが沿道を埋めたということはないのに。ただ、もう1つびっくりしたことは、あれだけ人が集まってメダリストの凱旋を祝福したのはいいのだが、あまり日の丸の手旗を持って歓声を上げている人がいなかったことだ。マラソン大会でさえ、沿道のひとたちは手旗を振って応援をしたりするのに、なぜ今回の凱旋ではそれがなかったのだろうか?単に、ワーキャーと騒いでいるだけのものだったとおもう。有名歌手やグループが沿道を通るときに、ファンが横断幕やらグッヅやらを片手にワーワーと騒ぐのはある。それと同じことが起こるかと思ったらなかったのが不思議だ。日の丸反対の馬鹿なやつらが阻止したのだろうか?

次回のオリンピックは、ブラジルのリオデジャネイロでの開催。日本の真反対の位置にある国での開催だから、日本から応援で行く人は格段に減ることと思う。ブラジルブームがオリンピック開催前にすごい盛り上がりが出てくることがあれば良いのだが、たぶん底までは無いだろう。サッカーとしてのブラジルは有名だとしても、それ以外のブラジルなんて、サンバとシュラスコくらいしか知られていないわけだから。ブラジルのことの宣伝がどこまで電通でできるかが、日本人がどれだけブラジルへ応援に行くかに懸かってくることだと思う。


参考リンク
韓国サッカー銅メダルはく奪あり得る 「政治的意図ない」の言い訳通用せず
【くたばれ韓国】韓国サッカー選手竹島プラカード問題、IOCとFIFAが処分検討!祝・朴鍾佑閉会式欠席!メダルも全員剥奪しろ!頭の悪い大統領候補発言、信じ難い反論「旭日旗のほうが問題だ」収まらぬ怒り!JFAにも猛抗議だ!"

2012/05/22

アヤックス優勝!(アムステルダム)

4月30日の女王の日は、オランダ中がオレンジに染まった日であり、国を挙げてお祭り担った日でもあった。そして、翌日の5月1日はそのお祭りの追痕だけが街中のあちこちに残り、わかりやすいくらい静と動の激しい違いを感じることができる両日だった。このままナチスからの解放記念日をアムステルダムは迎えるのだろうと思っていたところ、5月2日は現地アムステルダムの人にとってはまた祭りがやってきてしまった。

オランダ・サッカーリーグの最上位リーグであるエールディヴィジ(Eredivisie)の2011-2012年度のチャンピオンリーグで、アムステルダムが地元のアヤックス・アムステルダム(Amsterdamsche Football Club Ajax)が5月2日に優勝を決めたからである。

アヤックスといえば、トヨタカップにも出場したことがあり、その試合をテレビで見たことがあり印象として強く覚えているチームだった。それに、ナチスがオランダを占領したときにアヤックスのチームがどのようにナチスと戦ったのか、そして選手はどうなったのかという奇跡を書いた「アヤックスの戦争―第二次世界大戦と欧州サッカー」という本を昔読んだことがあるので、あまりサッカーは知らなくてもチーム名だけは良く知っていた。

ちょうど夕ご飯を食べて、ホテルに戻ろうとしたときに、酔っ払いらしきやつらが、デカい声を上げて歌っているのをいろいろなところから聞こえてきた。オランダ人も陽気に酔っ払うことになると、日本人と変わらないなーとそのときには思ったのだが、数人じゃなく、本当にいろいろな場所から聞こえてくるのである。そして、たまに大歓声が聞こえてくるので、いったいなにがあったんだ?という疑問がこの時にはあったのだが、ホテルに帰って、地元テレビチャンネルをつけたときに、この理由はすぐにわかった。

テレビはアムステルダムのライツェ広場(Leidseplein)からの中継と試合の行われてていたアムステルダム・アレーナの二元中継をしていた。ライツェ広場は比較的町の中心部に近いところがあるので、建物による音の反射によって、結構遠いところまで大歓声が届いていたのだろう。ライツェ広場には、アヤックスを応援するサポータたちが、渋谷のスクランブル交差点にサッカーの試合で勝ったら洪水のように集まってくるかのように、めちゃくちゃ集まっていて、もうほとんど乱交パーティのように乱稚気になっていた。そして、チームカラーである真っ赤なTシャツを着た人たちが集まって、アヤックスの応援歌を伴奏なしであちこちで歌っていたのをテレビで見た。阪神が優勝したときの騒ぎのようである。この間までオレンジ一色だったのに、今度は赤かよーと思ったのはいうまでもないのだが、なにかきっちりと型に嵌った生活を普段のオランダ人はしているので、そこからの解放なのではないか?という気もしなくはない。
そして、テレビはスタジアムのほうに移ると、いろいろな選手へのインタビューが始まる。日本のテレビ局だと、スタジオの人と現場の人が、選手に対して何かいろいろと聞きたいこと、たいていの場合はつまんないことを聞いていたりするようなインタビュー風景が見られるのだが、たまたまテレビをつけたチャンネルの場合、特にスタジオにキャスターがいるわけでもなく、現場のインタビュアが好き勝手に報道しており、時間的に区切りながら何かの制約を気にするということもなく、見つけた選手に対してインタビューしていたのは印象深い。そして、たまにライツェ広場にカメラが移り、広場で騒いでいるファンたちに今度はインタビューをしたり、騒いでいる様子をただカメラで撮りつづけるというようなことをしていたのも面白かった。
アヤックスはこのとき、VVVフェンロと2対0で下した。おそらくこの試合をアムステルダムの地元の人間はテレビに噛り付きで見ていたことだろう。観光客にとってはどうでもいいことなので、サッカーファンだったら気にしていたかもしれないが、なんでアムステルダムの人たちが騒いでいるんだろう?と実はほとんどの人たちがわからなかったんじゃないのだろうか。なにせ、16年ぶりの優勝だったのだから、その騒ぎといったら、1985年の阪神タイガースの優勝時と対して変わらない騒ぎになるのは当然なんだろうと思う。

騒ぎは深夜までずっと続いていて、次の日、仕事があるなしに関わらず、いまがよければ良いじゃないか!という余韻に熱狂的なサポーターたちは楽しんでいたのではないだろうか。赤いユニフォームの大騒ぎというと、もうほとんど浦和レッヅのサポータと同じだ。試合のあと、勝ったものならその余韻をスタジアムの外まで持ってきて、騒ぎまくるというのも同じスタンスだ。彼らの鬱憤のはけ口がサッカーのサポートというのであれば、それを削ぐということは、別の形で鬱憤解放になるので、それは政府としてもなかなか難しいところだろう。

アヤックス・アムステルダム (Ajax Amsterdam)
URL : http://www.ajax.nl


2010/09/29

ブエルタ・ア・エスパーニャ(Madrid)

ホテルから歩いてすぐのところに、MRTのカリャオ駅(Callao)とカリャオ広場があり、そこに人だかりというか、人間の壁みたいなのがあり、なにか広場全体が盛り上がっていた。なにかの祭りかなーとおもっていたのだが、良くわからない。その日は日曜日だし、こういう広場であれば、何かしらの祭りやイベントが行われていてもおかしくないからだ。空港からタクシーでホテルに向かう際に、大通りがどうも通行禁止になっていたこともあるので、なにかなーとおもっていたのだが、その通りの延長がいま立っているカリャオ広場のところになる。道路を挟んで人垣がたくさんあるので、なんだろうなと思っていたのだが、実はこれが自転車レースのための道路封鎖だったのである。ちょうどカリャオ広場のところが折り返し地点のようなコースになっているらしく、大勢の自転車レーサーが束になってこの折り返し地点を廻ってくるという光景が見られる場所であるため、選手達を良く観察できる。直線道路の途中である場合には、レーサー達がめちゃくちゃ早いスピードで一気に駆け抜けていくので、あぁーと言っている間に居なくなるから、場所は本当にラッキーなところだった。
この自転車レースは、ヨーロッパでは「ツール・ド・フランス」「ジロ・デ・イタリア」と並んで三大ロードレースの1つに数えられる「ブエルタ・ア・エスパーニャ (Vuelta a España)」というものだ。正直、フランスとイタリアのほうは知っていても、スペインのこのレースは知らなかった。フランス版とイタリア版と同様に、このレースもスペイン全土をレース会場とし、競技場ではなく一般道を利用したレースを行うものである。コースは毎年変わっているらしいが、だいたいが市街地コースを利用したり、山間部の斜度の厳しいところを利用したりするのは、ツール・ド・フランスと同じである。

そして元々は4月から5月ごろにかけてレースは行われていたところ、この時期はジロ・デ・イタリアの時期と重なるため、有力な選手は全部イタリアのほうのレースに参加するためにスペインのほうには参加しないということがあった。しかし、8月から9月にかけての時期にレースの時期を変更したことによって、有力な選手がたくさんスペイン版にも参加するようになりレース自体がめちゃくちゃ盛り上がる。ツール・ド・フランスでもわかるように、ロードレースであるから、沿道に客が集まってレースの様子を自由に見られるという点で、ほかの競技とは違って身近に自転車レースに親しくなれると言う点があるだろう。ちなみに、2010年の場合は、8/28(Sat)のSevilleから9/19(Sun)のMadridまでの全21ステージで行われた。ツール・ド・フランスの場合、そのツアーで一番ポイントが高い人のことをマイヨ・ジョンヌという黄色のシャツを着ることができるが、こういうやり方はスペインでも同じようである。そして、名誉の印であるシャツの種類も、ツール・ド・フランスと同じようで、山間部を制した人に渡すシャツもある。

2010年の場合、参加チームは全部で22チーム。それぞれのチームには複数のメンバが選手が参加しており、団体でのポイントや個人ポイントを競うという点もツール・ド・フランスと同じである。今回カリャオ広場で見ていたときに、レースをしているひととは別に、ルーフの部分を開けた車が走ったり、車の上に自転車を載せて走っている車がひっきりなしに走っていた。これはそれぞれのチームが保有しているスペアの自転車なのであり、自転車レースも他の選手と体をぶつけながら競うために、たまには落車したり自転車に不調が出たりする事も出るだろう。そういうときのスペアの自転車を運んでいるというわけなのだ。これはツール・ド・フランスのときにはどうなっているのだろうと思ったが、たぶん一緒なのだろう。マラソンのときの先導する白バイ隊のようなものが来たあとに、各チームの自転車搬送隊がやって来る。そして、そのあとに選手の集団がやって来る。これはなかなか盛り上がる。最終地がマドリードであるために、なおさら選手達も気合が入るのだろう。長いレースの最後が首都のマドリードだ。その区間だけでも優勝すればそれだけでも名誉になられる。それも平地ばかりのマドリードでのレースだ。ここは負けられない。となると、必然的にもハンドルとペダルにも力が入るというものだ。そんな長丁場のレースを最終的に制したのはイタリア人のヴィンチェンツォ・ニバリ(Vincenzo Nibali)。チームLIQUIGAS-DOIMOの所属の選手である。

初めて自転車のロードレースを生で見たのだが、迫力はやっぱりあるし、よくあんな細いタイヤのチャリに乗れるなと思う。

2010/05/13

マレーシア国体開催広告 (Malacca)


マラッカ市内を歩いていると、あちこちに運動会のゲートみたいなのがあるので、なにか祭りがあるのかと思ったが、実際には6月にマラッカで、国民体育大会(Sukan Malaysia)が行われることによる宣伝であったことがわかった。日本で言うところの国体である。実際にマレーシアでの国体がどの程度盛り上がっているのかと思って、マレーシア人に聞いてみた。日本の国体も、運動競技選手だけは盛り上がっているのだが、その土地で開催されるとしても、盛り上げようとしているのは行政だけで、実際に住んでいる人は「へぇ、そんなのがあるんだぁ~」というくらいしか思っていないのと同じであることがわかった。実際に日本でも国体の競技を見に行ったことがある人はどの程度いるのだろうか?競技をしているひとたちは、真剣そのものだから見るだろうが、一般人は全く興味がないと思う。ただ、「国体選手だった」と言われると「それはすごいねー」と尊敬の言葉をその人にかけたりするから、後で考えるとちょっと笑えるが、実際にマレーシア人もおなじらしい。

マレーシアの国体ではどういう競技が行われているのかなと個人的には興味を持って、ちょっと調べてみた。日本でも見られる普通の競技もあるなか、結構見たことも無いようなものや、あとは元イギリス植民地だなというのが残っている競技もあることがわかる。ちょっと競技の種目を見てみよう。下記の36競技である。

サッカー、体操競技、プンチャック・シラット、空手、武術、自転車、ネットボール、バスケットボール、ホッケー、ローンボール、ボクシング、馬術、テニス、バドミントン、ウェイトリフティング、ボーリング、セパ・タクロー、フェンシング、競泳、ダイビング、カバディ、バレーボール、ビーチバレー、アーチェリー、ヨット、射撃、ペタンク、スカッシュ、卓球、陸上競技、ゴルフ、柔道、タミール武術、カヌー、ラグビー、新体操

半分知っていて、半分知らない競技がある。聞いたことも無いような競技もある。

まずは、プンチャック・シラット(Pencak Silat)は、インドネシアを中心に、元マラッカ王国だった地域に広がって普及しているインドネシア武術である。空手や合気道に似たようなものだと思うのだが、実践的に格闘をするための競技と、お祭りや祝い事に演舞を披露するためのものに分かれる。いちおう国体なので、ここでは競技なのだろう。競技にはプロテクタを嵌めて行われる。

ネットボール(Netball)というのも、単語としてはありがちなもので作られているのだが、いまひとつ聞いたことが無い競技である。これはバスケットボールを原型に、女性向けの競技として生まれたもので、イギリス連邦の国ではかなり流行っているものだそうだ。70カ国でも行われているから相当のものだ。7人で行われる競技で、基本動作はパスとシュートのみ。ドリブルをするのは禁止だ。ポジションとして動ける範囲というのが決まっているというのもおもしろいルールである。身体的接触は絶対できないようになっているところは少しバスケットに似たところがある。笑えるのがゴールのところで、バスケットと違って後ろの板が無い。なんとなく運動会の玉入れみたいな感じになっている。日本で行っているところはあるのだろうか?

ローンボウルス(Lawn Balls)はこれまたイギリス連邦では広く行われている競技で、陸上版カーリングである。芝生の上で、5メートル幅の中でボールが投げられ、いかに目的地の中心に近いところに転がせるかというものである。この競技は実は古く、周りが氷しかないところで発達したのがカーリング。転がすのではなく投げちゃえーとしたのが砲丸投げだ。

セパ・タクロー(Sepak Takraw)は今では名の知れた民族競技だろうと思う。これ、実はマレーシア原産の競技で、籐で作られたボールを使い、足だけでバレーボールみたいな競技をするものである。今ではプラスティックのボールになっているのだが、これ、実際に籐のボールを触ってみるとかなり硬い。こんなのを蹴るとなると実は結構足が痛くなる。お土産屋にはセパ・タクローのボールが売られている場合があるので買ってみるのもいいだろう。

カバディ(Kabaddi)についても、もう日本ではすっかりメジャーになってしまった競技で、これはインド系の人たちに行われていた競技が、インド系のひとの移動に伴ってマレーシアでも行われるようになったものだと思う。この競技、やっぱり傍から見ていると笑える。あの「カバディ、カバディ・・・・」と言いながら鬼ごっこみたいなのをしている光景が滑稽に見えるからだ。

ペタンク(Petanque)はもともとフランスで生まれた競技なのだが、これもやっぱりイギリス連邦内ではいろいろなところで行われている結構メジャーな競技だ。以前、フィジーに行ったときにもホテル内に、わざわざペタンク専用競技場が存在していて、なんでわざわざと本当に思った。それだけ競技をしたいというニーズがあるからホテル内に存在するのだろうとおもう。が、今回泊まったマレーシア内のホテルにはどこにもこれはなかった。
タミール武術・シランバム(Silambam)は、名前の通りインド系の人たちによって持ち込まれた競技で、同じように中国からやってきた武術は中国語からの引用で「Wu Shu」という。どちらも違う競技として、国体の中の競技に数えられている。シランバムは、日本の剣道にちょっと近いものがあり、棒を使いながら円形のなかで剣道のような試合をする。相手をただ殴るというのではないのは剣道と同じで、特定の箇所への打ちのみが有効なポイントとなる。だから、相手との駆け引きが非常に必要な競技といえよう。中国武術のほうは、正式には武術太極拳といい、こちらは北京オリンピックの時期から正式競技になったので見たことがある人が居たら覚えがあるだろう。少林寺拳法や空手に近いものがあり、香港映画の戦闘シーンに出てくる戦いで繰り広げられるものに近い。こちらのほうが動きがあるのでかなり見ていて楽しい。

やはりところ変わればいろいろと楽しいことがわかるようで、マラッカで行われる国体も時期が合えば見たかった。たぶん、マラッカの各地の会場で分かれて競技を行っていたことだろう。

Sukan Malaysia XIII, Melaka 2010
URL : http://www.sukma2010.com.my/en/main.aspx
Date : 2010.6.10 ~ 6.19

2009/06/20

北京オリンピックスタジアム


2008年の8月8日は、世界に中国の経済力と文化の凄さを自称「アピールできた」とおもっている北京オリンピックは、北京市民だけに限らず全中国人の誇りとして揚げられるものなのだろう。北京オリンピックは、色々な意味で注目されたのだが、その中でも競技場の奇抜さは中国うんぬんというのを抜きにして話題になったのは記憶に新しい。建設途中から話題になっており、実際に中国での工事が、本番までに間に合うのかというのでも報道されていたからである。しかし、出来上がってみたら予想以上に奇抜だったことは言うまでも無い。

通称「鳥の巣」と呼ばれる北京オリンピックメインスタジアムのことをさすのだが、華やかな北京オリンピックが終わったあと、それでも1年くらい経過しているのに、その後は、ジャッキーチェンのコンサートが行われただけで、何も使われていないのだそうだ。それってまるで長野オリンピックのメインスケート会場と同じ扱いではないか!作ることには威勢が良いが、その後のメンテナンスと運営のことを何も考えていなかったというのは、日本も中国もまったく同じ政治的愚策なのかもしれない。
傍まで行くつもりは全く無かったし、最初からの予定でも行くつもりが全くなかったのだが、それでもツアーの引導者は国営旅行会社の人間なので、どうしても北京の誇りを見せたかったのだろう。遠目からでも全体像が見られる場所に勝手に連れて行かれ、それで写真でも撮れといわれたので、仕方なく写真でもとってみた。しかし、全然印象には残っていない。所詮巨大なガラクタを見ても意味が無いということだ。

2009/03/04

上越国際スキー場

先週末は久しぶりに会社の人たちとスキーに行ってきた。それも久しぶりに関越方面にくるまで行ってきた。まるで学生のときみたいな感じだ。学生のときは狂ったように毎週日帰りで関越方面に友達と車で出かけていたのだが、さすがに社会人になって年齢があがってくると、日帰りはきつくなってきて、泊りじゃないと嫌だーということになる。さらに、雪質がいいところを求めて、ここ数年は、回数は少なくても北海道に行くようにすることにしていた。だから、本当に関越方面に行くのは久しぶりだった。

関越方面にはスキー場は結構たくさんあるので、どこへ行くのかは迷ってしまうものだ。とおもっていたのだが、最近はスキーブームもあまりないので、スキー場も経営が悪いらしく、多少は潰れたスキー場もあるらしい。そんな中、今回は上越国際に行くことにした。

上越国際スキー場にはゲレンデ傍に立つホテルが目立つところで結構前から気になっていた。それがホテルグリーンプラザ上越だ。外観がスイスアルプスにあるコテージみたいな格好をしているところである。しかし、実際にここに泊まってみてびっくりした。部屋数がとても多いのである。苗場プリンスも横長で部屋数が多いところではあるが、それと同じくらいに多い。そして、自分がどこにいるのか良く分からないようなつくりになっている。おまけに昨今はスキーブームではないのにも関わらず、自分たちが行った週末はなんと満員で、上越国際のスキー場にいるひとたちは全員日帰りではなく、ホテルに泊まっているのではないか?というくらいの人数が居たのである。だから、チェックインとチェックアウト時の混雑は、もう、年末年始の田舎に帰る人たちの列車の混雑ぶりに似ていたし、お風呂場や食事をするところも、それほど多いわけではないので、ほとんど戦争状態のイス取り合戦であったことは言うまでもない。上越国際スキー場の傍には他にも泊まるところはあるはずなのに、なぜここに人が集まるのだろうか?それほどお世辞にも部屋は大きいわけじゃないし、綺麗というわけではないのだが。それに湯沢あたりからでもすぐにやってこれる場所なのにである。

朝食とバイキング形式の夕ご飯が付いている宿泊と、2日間のリフト券が付いていて、14000円というのは意外に安いのではないかとおもった。
さて、ゲレンデはというと、これが今年は暖冬のためにゲレンデコンディションは最悪だった。スキーに行く前日、珍しくも東京でも雪が降っていたので、越後山脈の向こう側では当然雪が降っているだろう・・・・と期待していたのに全然降っていなかった。全くゲレンデに雪がないというわけじゃない。昨年のうちにドカ雪が降って、その貯金がまだ溜まっていただけであったのだ。だから、ゲレンデの雪はパウダースノーではなく、ほとんどカキ氷の塊みたいなものだった。ただし、リフト待ちが以前のスキーブームと違ってほとんどないのが嬉しい。

それにしても気になったことがいくつかある。

以前一時期流行っていた非接触型のチケット確認ゲートというのはなくなってしまったのだろうか?上越国際にはそんなものがなかった。以前あったのかどうかは忘れた。

続いて、足置きがあるリフトがなくなったのだろうか?昔はクワッドリフトなら必ず足置きがあったのだが、昨今のスノボブームでそれが邪魔になってなくなったのだろうか?上越国際にはなかった。

リフトで思い出したが、フード付きのリフトというのはなくなったのだろうか?幸い、今回は無風もいいところで、逆に天気が良すぎて暑すぎたくらいだったから、フードがなくても全然平気だったのだが、強風時にリフトへ乗るのはほとんど拷問に近いところがある。

スノボをやっているひとにとっては面白かったのだろうけど、ちょうどスノボの国際大会が行われていた。だから、ホテルにも海外からの参加者らしきひとたちが泊まっていて、そこそこ国際色豊かだった。

いやぁ・・・やっぱり北海道に最低でも2泊3日で良くスキーのほうがいいと改めて感じたスキー旅行だった。

2007/05/11

シンガポールF1-GP開催決定

シンガポールでF1のグランプリレースが行われることが決定になった。ところが、これがモナコと同じ市街地コースを利用とすることになるそうで、ここまで聞いたら、あーっ、そうなんだーで終わっていたニュース。ところがこのニュースのメインは別のところに有る。それは、F1のGP史上、初めて夜間レースになるということだ。F1じゃない自動車レースでは、ナイターレースはいくらでもある。インディーカーレースやル・マンなんかは24時間レースであったりするので、当然このレース内では夜間の時間にもレースが行われる。が、これらのレースは、あくまでも、サーキット場の中だけのことだし、レースで使われる車も夜間対応ができるような車であったりするものだ。ところがF1のレースを夜間に行おうとすると、車のレギュレーションから何から何まで結構面倒くさいことを決めておかないといけないような気がする。1つのレースのために替えるのは大変なことだろうと思うし、さらに市街地コースを使うと言う事は、ナイターレース用に、ライトの整備にも十分に配慮しなければならなくなる。


さらに、予定されている市街地コースのルートも発表になっていたので、確認してみた。海岸沿いを走る部分は、なにも問題ないと思うが、問題は、City Hallあたりをメインに走ろうとしていることだ。一度でもシンガポールに行ったことがある人なら分かるだろうが、Raffles Hotel と City Hall のあの狭いところをレースに使うというのは、無謀じゃないだろうか?それも直線コースで「通る」だけなら、まだいい。なんと、カーブをする場所として使われるということらしい。どちら周りでレースがやられるのかしらないが、もしかしたら、伝統的なRaffles Hotelが、岸和田のダンジリ祭りあとの沿道の家のように、毎年こなごなになるのではないだろうか。


さらに、ご丁寧にも、戦争後独立記念塔が建っている場所を掠めていく。これって、日本人ファンに対するかなりの侮辱だろうと思う。どうせするなら、セントーサ等だけを使ってやればいいのにとおもうのだが、なぜに市街地コースに拘るのだろうか?市街地コースでもいいとおもうが、それなら昼間にしろとおもう。レースをヨーロッパが昼間になることを配慮したそうなのだが、単にレースを開催することによる広告費とリピータが居ないシンガポールとしては、リピータを増やすために「ねた」にしたいために開催するのだろうと思う。単純に言えば、中国人的発想の「金儲け」のためにやるのだろうとおもう。だが、シンガポール政府としては、レースを金儲けの手段として「魅力的」とおもっただけで、レースのことをまったく知らないド素人で、レースを開催しようとしているために、「夜間の市街地コース」と無謀な挑戦に挑むのだろう。5年間もするそうなのだが、1回目のレース後、必ず、世界から「笑われる」ことが用意に想像できそうだ。他人に笑われることが大嫌いな中国人気質であるシンガポールの人間にとって、これらの嘲笑に対して我慢できるのだろうか?


ただ、夜間にレースが行われるからということで、ちょっと楽しみな点がある。夜間に本番のレースがあるのであれば、昼間の暇な時間帯に、レース前の華やかなイベントがありそうだ。祭り好きの中国人のことだから、有意義かどうかは別にして、それなりに騒々しいイベントが昼間には行われそうだ。それだけは看てみたいな。


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F1初の夜間市街地レース、08年からシンガポールで
【シンガポール=野間潔】シンガポール政府は11日、自動車レースのF1を2008年から5年間開催すると発表した。欧州などで昼間にテレビ放送できるよう考慮し、世界初の夜間市街地レースになる。最初のレースは08年の9月か10月を予定。開催費用は約7000万ドル(約84億円)で、約10万人の観客を見込んでいる。
http://sports.nikkei.co.jp/news.cfm?i=2007051106438n0

2007/03/15

富士F1GP

もう?早くない!?と思ったのは自分だけじゃないはずだ。なんと今年の秋の9月末に行われるF1グランプリ用のチケットが発売というから驚きではないか。半年以上も先のことなのだから、購入した本人も忘れてしまいそうなくらい先の話だ。しかし、実際のグランプリの観戦チケットではなく、売り出されたのは、今年から日本グランプリが行われる富士スピードウェイへ行くための新幹線の切符。三島駅か新富士駅が最寄の駅になるため、そこまでの新幹線の割引チケットを売り出し始めるという。JR東海も商売上手というか、気が早いために空回りしているような気がするなーという気もする。しかし、実際に売り出されるのは8月下旬からの1ヶ月間だから、今からは買えないだけでも「忘れた」と言うことは無いだろう。ただ、こういう割引チケットがあるということは、きっと旅行代理店に勤めている人たち以外は忘れると思う。

東京からの値段だけしか記載しないが、下記のとおりに、通常の値段よりは断然安い。

主な設定区間とおねだん

(1)設定区間:東京(都区内)⇔三島
・発売額:6,500円 
・お得額:▲1,280円

(2)設定区間:東京(都区内)⇔新富士
・発売額:6,500円 
・お得額:▲3,360円

しかし、面白くない条件もある。それは普通車自由席しか選択できないということ。この切符では、大勢の人が乗るであろう観戦のための新幹線乗車では、指定席を選べないということだ。つまり、早く買っても全く意味が無いというわけ。話題つくりとしては「おぉ」とは思うが、通常でも大黒字路線である新幹線を値引きするなんていうのは、それしか黒字路線が無いJR東海の企業基盤を揺るがすことになるために、指定席による販売は無理だろう。せめて、観戦用弁当でも振舞うっていうおまけつきならわかるが、あんまりメリットが無いような気がする。まぁ、確かに往復運賃として多少安くなっているのはいいが、それだけ?となんだか味気が無い。

そもそも富士スピードウェイに行ったことが無いのだが、新幹線でいけるような場所にあるのだろうか?おそらくF1のファンは自家用車でグランプリの会場まで行く人がほとんどだと思う。新幹線で行った場合、おそらくグランプリ会場まで駅との往復バスはあるだろうと思うが、相撲会場にいく客とは大違いの人数を捌ききれるかどうか謎だ。あのサッカーの試合でさえ大混乱になるのに、バスでのピストン輸送に地元のバス会社が追いつくのかかなり疑問だ。だからなおさら車で移動する人が多いと思う。

となると、新幹線でこの切符を使って移動する人はいるとしても、その新幹線の自由席だ車輌だけは、お盆や年末年始の民族大移動の電車のように、超満員になっていることだろうと思う。自由席券では、現在のJRは指定席車輌で立っている事も許されていないのであるからだ。

1990年ごろがF1ブームのピークだったと思うが、それに比べると、現在の日本でのF1ブームは下火になっているというのが正直なところだろう。話題になるような選手が居なくなってきたことも下火になった理由かもしれない。佐藤拓磨がいくらがんばっても、「あぁ、がんばっているのねー」くらいしか感じていない日本人が多いのが事実であって、いまではサッカー人気に比べるとほとんど話題にもならない。

2006/12/08

シンガポールのメダリスト


シンガポール政府観光局サイト「ユニークリー・シンガポール」にこんなのが載っていて、眼についてしまった。

 「シンガポールのオリンピックでの最高の成績は、1960年のタン・ホウ・リンによる重量挙げの銀メダルです。」

この記事を見て思ったのは、意外にも、かつてシンガポール人でも、オリンピックでメダルを獲った人がいるんだーということ。全世界から選手が集まってくるオリンピックは、多種多様な競技が開催されるので、国家の威勢を海外にアピールする手段として、かつてはメダリストをたくさん輩出しようと、各国はがんばったものである。特に共産圏においては、共産主義の偉大さを資本主義国家と世界へアピールするために、これらの主義に属する国はとても強かったものだ。別の観点から言うと、オリンピック選手を育てるのには、選手育成のために金がかかる。だから、貧乏国出身者は、なかなかオリンピックでは勝てない。体を使う単純な競技(マラソン、走る、跳ぶ)のような競技では、アフリカの国家から金メダルを輩出しているが、それ以外の高度な技術を使う競技でなかなかこれらの国が勝てた過去が無い。

シンガポールはどうなのかというと、決して貧乏な国ではない。ただ、国として小さいし、多民族国家であるため、あまり国家としての纏まりが無いというのが事実だろう。スポーツは元来人気があり、イギリス連邦国家に属していたために、その影響でラグビーやバレーボールは今でも盛んなところだ。ところが、やっぱりオリンピックでは、先のとおりに大昔に銀メダルを獲ったのが最高記録である。

銀メダルを獲った「タン・ホウ・リン」という人のことを調べてみた。

漢字で書くと「陳浩亮」。福建語読みのために、先のカタカナ表記になるようだ。英語で書くと、「Tan Howe Liang」。重量挙げの選手として活躍し、オリンピックを挟む大会の成績は次の通り。

1958年 第3回アジア大会(東京) 金メダル
1958年 第6回イギリス連邦大会(Cardiff)ライトウェイト級金メダル
1960年, ローマ・オリンピック大会 ライトウェイト級 銀メダル
1962年 第7回イギリス連邦大会(Perth)ミドルウェイト級 金メダル

なかなか、好成績な選手だったようである。詳しくは下記のサイトでこの選手の話題が乗っているので、そちらを参照されたし。
http://www.ssc.gov.sg/museum/ssm_heros_profile.jsp?type=6&artid=194&root=28&cat=29

1970年代以降、著しい経済成長を遂げているが、その背景に徹底した英才教育だ。資源の乏しいシンガポールが、貿易や工業で世界経済に進出するためには小学生の頃から学力別に振り分けて教育し、エリートを大量に送り出すことが必要とされた。ちなみに、将来を占う共通試験は、小学校4年終了後に、全国統一テストが行われ、彼らのその後の人生がここで決まる。フランスの教育方式と似ているが、成績の悪い人が決して政府機関に属することはまず無い。ダメな人は、金を稼ぐという方向に、全人生をまい進するのである。ところが経済成長が足踏み状態になって失業率が上がり、国民の政治不信が高まってくると、シンガポール政府は危機感を抱き、打開策を模索した。その手段の1つがスポーツである。これまでオリンピックで一度も金メダルを獲得したことのない国からメダリストを輩出することで今一度、国民の一致団結を図ることにしたのである。「自治・青年・スポーツ省」という新しい行政機関を設置して「スポーティング・シンガポール」というスローガンを掲げ、「シンガポール・スポーツ学校」を開校。全寮制の中高一貫校で、ここの学校に通う生徒は週末だけ家に帰ることができる。スポーツ以外の授業ももちろんあり、それぞれに高い水準が求められるす。成長期の子どもの運動能力を最大限に引き出すことを目的に、海外から種目ごとにコーチを招聘し、科学的トレーニングを導入しているし、トレーニングのみならず、成長期に必要な栄養の摂取も、栄養士の食事管理によって徹底さる。徹底的な英才教育を受けさせることで、将来はシンガポールからもメダリストが出てくるだろう。

2006/10/30

水泳後のスキンケア


高校の途中まで朝から晩まで水泳漬けの生活だった経験があるが、当時は「普通」と思われていたが、最近スキンケアにうるさい人たちが出てきたこともあり、重要視されてきたのが、水泳後の髪の毛のバサバサ。利用者が多く、幅広い層の利用があるプールであればあるほど、消毒のための塩素の量はめちゃめちゃ多い。特に、がきんちょが集まるプールは、子どもの小便は当然存在するため、その消毒のために、塩素玉をめちゃめちゃ放り込んでいる。そのために、髪の毛は必然的に赤毛になったり、バサバサになるのだ。皮膚については、若いときには特に気にしないが、水をはじかなくなるくらいの肌年齢になった場合、その塩素による影響は計りしえない。塩素による影響を長いこと、毎日普通に接していたら、強い塩素についての抵抗力は出てくる。しかし、週に1回や2回程度の水泳をしているひとであれば、この塩素の影響は「悪影響」にしかならない。

全然関係ないが、小さい頃の授業参観のとき、母親が教室にやってきて、自分がどこに座っているのかは直ぐに分かったと行っていた。何しろ、周りの子どもは髪の毛が黒いのに、ひとりだけ、茶色というか、真っ赤な色の髪の毛だからなのだと。塩素の影響で高校のときまで自然に髪の毛は真っ赤だった。だから、結構不良に絡まれたりしたのだが、そこは友達のフォローもあって、上手く世の中を渡ってきたと思う。さらに言うと、高校入試時に必要な内申書にも「この子は地毛で紅いのです」とわざわざ書かれていたらしい。高校卒業後、担任の先生に爆笑されながら言われたのを記憶している。

さて、そんな水泳をしている人に朗報が入ってきた。スポーツ用品の大手であるミズノから、水泳後の髪や皮膚をケアする「スピードアフタースイムローション」を発売するとのこと。主要な成分はビタミンC。ビタミンCには髪の毛のばさつきの原因である髪の毛の酸化を行う残留酸素の分解をする還元作用があるのだそうだ。ビタミンCが塩素分解に効果的!?初めて聞いた。レモンのようなビタミンCを含む酸っぱい果物をつけるというのも、同じ効果があるのだろうか?

50gで本体価格800円(税込み840円)で初年度3万本の販売を目標で11月10日から全国で売られることになる。

2006/09/29

Deep Impact


Japanese bet 3.5 millions yen on Bookmaker

The world's number-one horse race, Prix de l'Arc de Triomphe in France, will be hosted on October 1st, 2006. A looking Japanese bet £16,000 (3.5 millions JPY) on Deep Impact, the representative Japanese horse, in a British bookmaker He is the man in the news. The world's largest bookmaker, Ladbrokes in UK, took up this bet at 4:1 and it announced £16.000 was the highest record by cash. If the Deep Impact win the game, this Japanese will be able to get £80,000 including his bet. Ladbrokes says he was late 30s and looked businessman on the way of business trip. He brought cash to Ladbrokes's branch office located in the centre of London. He didn't speak anything at all and this is the first time to bet in UK. A lady supported him translated English to Japanese for him in the office. According to name written on the document, he seems Japanese, but Ladbrokes does not announce who he is at all. Odds in Ladbrokes got down to 3.5:1 on the point this bet was made. After then, odds keep on getting down, and now it's showing 2.75:1 and the Deep Impact was the second pick.

2006/09/07

M.Schumacher



The rumour is that the greatest F1 driver, Michael Schumacher, who was crowned seventh all-round champion, will retire from F1 tournament participants this season. He did not clearly state his intention yet, but most European media are making a federal case on his retirement. "Kaiser" Michael Schumacher, 37 years old, who claimed his 89th career victory on tour, will have his current contract with Ferrari expiring this season. On September 6th, German Bild and Reuter reported that the announcement of his retirement was highly possible. The mood seems to prevail around him. At the beginning of this season, BBC announced that Renault was eager to secure Schumacher and the prospect of his career continuing was very good.

After summer has come, German F1 driver has-been, Niki Lauda, commented to another German magazine that the possibility of Schumacher's career continuing was only 5%. A vice-chairman of International Automobile Federation, Bernie Ecclestone, also said that nobody was worried about F1 becoming hugely unpopular without Schumacher. This statement triggered off the rumour of his retirement again. The individual in question has not given any comments except that he would say something after the Italian Grand Prix (finals on September 10th).Italian Grand Prix is Ferrari's birth place and celebrates the memory of his first win. Ferrari was heard to have already made a contract with Kimi Matias Räikkönen, Finnish F1 driver belonging to Team McLaren Mercedes at the moment, and this contract is the sign of making a strategic move to maintain Ferrari’s performance in the post-Schumacher era. However nobody knows what will happen and many will be surprised by the current situation of F1 field. The announcement after the Italian Grand Prix is highly anticipated.

Michael Schumacher's record




  • Debut : Belgium Grand Prix in 1991

  • History : Jordan Benetton in 1991, Benetton from 1992 to 1995, Ferrari from 1996

  • Number of races : 194

  • Number of poll position : 55

  • Number of fastest rap : 55

  • Champion : 70

  • Total score : 1038

  • Highest rank : Champion

  • World Champion : 1994、1995、2000、2001、2002、2003

  • Birthday : January 3, 1969

  • Nationality : Germany

  • Height : 174cm

  • Weight : 74.5kg

  • Hobby : Collecting watches, Cart, Movie

  • Address : Switzerland


In fact, it has been a long time since I last watched a F1 race on TV. F1 was in vogue in Japan till the year of 1995. After the retirement of Japanese second F1 driver, Aguri Suzuki, strong Japanese TV support for the F1 program subsided for a while. Therefore I could not watch these F1 races. During the days of me watching F1 races, lots of famous F1 drivers were activated. For example, Brazilian driver - Ayrton Senna, French driver - Alain Marie Pascal Prost, British driver - Nigel Ernest James Mansell etc. They all had a strong individuality and these personalities fascinated lots of observers. When Finnish driver, Mika Pauli Häkkinen, and Schumacher came out onto the screen, I found them to be the next generation of drivers.

2006/08/21

大相撲台湾巡業


  大相撲台湾巡業が8月19、20の両日、台北ドーム(台北小巨蛋球場)で行われた。力士42人が優勝賞金1000万円を懸けたトーナメント戦を行われた。今回の巡業は、第二次世界大戦後初の台湾巡業で、1993年6月の米国サンノゼ、ハワイ場所以来、13年ぶりの海外巡業。しかし、戦前の日本統治時代には、たびたび台湾巡業が行われていたようで、今回の台湾巡業は1936年以来のなんと70年ぶりだそうだ。さすがにその時代の巡業を覚えている人は数が少ないようではあるが、最近の大相撲は日本人だけではなく、朝青龍を初めとする外国人力士も多くなり、海外にもテレビ中継がされているものだから、台湾でも当然人気があると当初から予想されていた。ふたを開けてみたら、案の定、大人気で大好評で、2日間のチケットがあっという間に売切れてしまう大盛況だったようだ。NHKの国際衛星放送が台湾では普通の家庭でも見られるため、大相撲は元来より台湾では人気があったようである。ところが、今回の台湾巡業は、本来は「台湾公演」として行われる予定ではあったが、「公演」とした場合、台湾政府による招待という意味になるため、これでは中国を刺激してしまうという配慮から、台湾の民間企業が日本相撲協会と興行契約することで実現したという裏話だ。しかし、実際には、陳水扁台湾総統と公式表敬訪問をしているし、台湾国内では国賓扱いとして、あちこちに招待されていたようである。台北101の展望台に登ったり(意味不明)。台湾としては世界一の建物を自慢したいというところだったのだろうが、力士がたくさんあの屋上にいる様子を想像すると、さすがの台北101も倒れるんじゃないの?と心配になってくる。余計なお世話だと思うが。そんな力士達は、台湾滞在中、パパラッチの取材攻撃にヘキヘキしたらしい。台湾にはテレビ局がたくさんあるため、どの局も「特ダネ」を狙って、終日力士の一部始終を追い掛け回しているようだ。興行が終わったあとの「お疲れ様飲み会」にも密かに侵入して、どの力士がどんだけ飲んでいるとか、ある力士が女性の腰に手を回してお持ち帰りした(実際には、奥さん)とか、それを連日報道しているらしい。それほど、大相撲が注目されていたという結果では有る。台湾の報道機関のあまりにも酷いパパラッチを対応するために、力士達は同行した家族とは別のフロアで、全員軟禁状態で監視されていたらしい。今回利用されたのは、台北のシェラトンホテル(台北喜來登大飯店)のようで、台北では5梅(台湾では星のかわりに梅がランク表記に使われる)ホテルに相当するホテル。
ちなみに、優勝はやっぱり朝青龍で、優勝金のほか、優勝商品としてマンゴー100kgが贈呈されたらしい。マンゴー100kgって、日本に持って帰ると、すごい値段で売れるが、一気に貰っても食べられないと思う(汗)

2006/08/20

高校野球


夏の全国高校野球選手権が連日熱戦が行われているが、今日決勝戦が行われた。しかし、投手戦になってしまったために、1対1のまま延長15回を終了しても勝負がつかず、結果は明日再試合なった。今回決勝に進んだのは、世界の王貞治を輩出した西東京地区代表の早稲田実業高校と、南北海道代表の駒澤大学付属苫小牧高校。早稲田実業(通称・早実)は高校野球選手権が始まったときから参加している伝統高校。野球はとても強くて、過去甲子園に春夏あわせて45回も出場している。ここ数年は低迷していが、過去に甲子園で活躍した人たちは、有名人ばかりというから凄い。高校野球選手だけでなく、この高校出身者の人たちは結構多く、意外なところでは、音楽プロデューサの小室哲哉やお菓子のロッテグループ総帥である重光武雄がこの高校の出身者である。名前に「早稲田」と書いているとおり、当初は違ったのだが、現在では日本の私立大学の雄である早稲田大学の付属高校である。ゆえに、応援歌も早稲田大学の応援歌と同じである。「都の西北~♪」ではなく、「覇者・覇者・早稲田♪」で有名なメロディは、早稲田のトレードマークになっている。早稲田大学出身者のひとたちは、高校野球の試合中、なんどもスタンドからの応援で聞こえてきたこのメロディに、一緒になって聞いていたに違いない。かたや、駒大苫小牧高校の場合、暑さに弱い北海道といわれながらも、ここ数年は野球がとても強い高校というイメージがすっかり定着し、夏の高校野球選手権については、2年連続で優勝しているからすごい。競合同士の試合なので見ているほうもおもわず力が入る。
 高校野球といえば、昨年の春の高校野球選手権で、はじめて甲子園に応援に行った。このときの様子を記載したいと思う。戦前は強かったという噂しか聞いていなく、戦後になっては甲子園からは無縁の学校だといわれていたところが母校なのだが、昨年から始まった「21世紀枠」という特別なルールで、戦後初めて甲子園に出場した高校である。名前は高松高校。ニュースで「高松高校の甲子園出場が決まりました」というニュースを見たとき、「うそでしょう?」と思った記憶がある。甲子園は野球が強いチームが出場するところで、とてもお世辞では野球が強いという状態からは離れていた学校だけに、高松高校出身者の誰もが冗談だとニュースをみたときに思ったに違いない。春の甲子園の試合は3月中旬からと決まっているため、話題になっていたのは確か年末頃の話だと思う。その頃から、応援に行くべきかどうかということを高校の友達とも話をしていたし、同窓会事務局のほうからも「母校が出場しますので、寄付をよろしくお願いします」という通知も届き始めた頃だと思う。2月頃になって、本格的に応援にかけつけるための動きが始まり、仕事も年度末近づくと忙しくなるのだが、そんなことは放っておいて、応援行きについてが重要課題に個人的にはなっていた。応援にかけるけるためにチケットを配り始めたという話を聞き、さっそく事務局に連絡。早い者勝ちだったので、とりあえず家族分を予約しておく。どうしようかと迷っていると、きっと、おうえんにいきたいひとはいるだろうから、チケットもなくなるだろうという早めの判断だった。しかし、この判断は後になったら適正な判断だったことが分かる。試合が土曜日だったから、なおさら応援に駆けつけたいという人たちが多かったことだろう。試合に先だち、前日に甲子園近くのホテルに泊まることにした。試合当日、朝一番の新幹線で東京へ向かうことも考えたのだが、試合会場では絶対に指定席ではないので、遅めで行った場合、いい席が確保できない可能性があるからだ。父と東京から新幹線で前日に乗り込む。母は体調が悪かったので見に行かなかった。弟は名古屋に住んでいたのだが、試合を見るためにチケットの確保をしていなかったらしく、こちらで用意したことを電話連絡したら、「絶対行く」と言ってきた。当日、朝一番の新幹線で甲子園球場まで行くといっていたので、改札口で待ち合わせをすることにしたのである。第一試合であったため、朝早い時間から乗り込んでいる人がすごいたくさんいた。前日、バスで高松からやってきたという現役の高校生500人も到着していた。バスの台数で120台らしい。すごい。よくもチャーターができたものだとおもった。それもそのはず、高松高校は、香川県の中枢で働いている人たちがほとんど母校としているところで、香川県の会社の社長のほとんどもこの学校の出身。母校のためならなんでも協力すると協力を惜しまなかった、地元バス会社数社の社長の鶴の一声で、観光バス全部がこのとき、甲子園に向けて出発したのだそうだ。バスもそうだが、スタンドの応援として集まってきた人たちの人数も凄い。なにしろ、1891年に創立して依頼、大量に卒業生をだしている高校であるから、集まってくるのも大量である。一生に一度のイベントだからと思っている人たちも思っていたことだろうから、集まり具合がとてもすごかった。甲子園常連校とは異なり、応援の仕方がわからないとか、まとまりが無いという心配はあったが、その年の甲子園応援賞というのをもらったくらい、スタンドでは一丸となったのは嬉しいことだ。肝心な試合は、相手との強さの差を見せ付けられて、さっさと負けたのだが、応援していたひとたちは、祭りとして楽しんだと思う。
 野球の人気が低迷だと言われているが、それでも高校野球についてはまだまだ人気がある。それは高校生が純粋に勝負に対して一生懸命になっていることも考えられるが、地元の県を代表として戦っているというのが、地元密着型として、出身校とは関係ないのにその県の代表を応援してしまうというのが考えられる。今日負けたら明日の勝負はもう無いという、切羽詰った状態で勝負をしているところに感激があるのだろう。プロ野球の場合、スピード・技は断然素晴らしいのだが、選手自体に緊迫感がないのが人気低迷の原因なのかもしれない。