2006/08/23

音楽と記憶

 ある音楽を久しぶりに聴くと、その音楽が全盛期だったときに聴いていた状況を思い出すということはないだろうか?曲によっては、その曲を聴くと、その当時誰と何をしていたのかとか、そのときに何かをしようとしていたときの自分の心情がフィードバックしてきたりする。普段では、頭の隅にも覚えていない事象も、音楽を聴くことでremindされてしまうのと、音楽の種類や曲によっては、1年から数年も遡ることができるから不思議だ。例えば、一般的に、山下達郎の「クリスマスイブ」の曲を聴くと、曲名のとおりクリスマスの時期の自分の出来事を思い出すというひとは多いだろう。しかし、「クリスマス・イブ」は、数年テレビのCMで使われていたこともあり、「どの時期のクリスマスイブかを断定」することは個々人によっては違うと思う。さらに例をあげると、Tubeの曲を聴くと「夏を思い出す」という人は多いと思うが、夏は思い出しても、夏の何を思い出すのかはあまり具体化しないだろう。冬バージョンでいうと、広瀬香美を聴くとスキーの季節を思い出すというひともいるだろう。

 個人的に印象深い曲は数え切れないほどある。例をあげてみたい。ただし、乱筆で記載しているので、時代の新旧は全然気にしないでほしい。

TRF 「Ez Do Dance」 : カラオケ大ブームの時期にはよく歌われたこともあり、友達とカラオケに行くと絶対にみんなで歌っていた。これを聴くと、カラオケで馬鹿騒ぎしていた様子を思い出す。

globe 「Sweet Pain」 : これもコムコム大盛況の時代だから、カラオケが大ブームだった頃のこと。今では小室哲哉なんてどこにいったの?と思われているかもしれないが、当時は出す曲出す曲すべてヒットをしていた。この曲を聴くと、この曲をとても上手に歌った友達の女の子を思い出す。globeのボーカルkeikoよりも上手に歌っていたから。彼女もすでに結婚して子どもがいるという話だが、最近会っていないので、どうなっているのか知らない。

Dead or Alive 「You spin me round」 : 初めて組んだときのバンドが、いわゆるロックバンドではなく、いま流行りのテクノバンドの走り的なことを中学生のときに行っていたが、そのときにお手本としていたのが Dead or alive。他にもEraser や Pet Shop Boys やDepeche Mode 等とというユーロハウス系の音楽もあったのだが、なぜか自分達はDead or aliveを崇拝していた。決して売れたバンドではないが、その単純さが自分達に受けていたのだろうと思う。曲も簡単だったし、歌詞も簡単だったし、声を張り上げなくても良かったし。この曲を聴くと、当時バンドの練習をしていたときのことを思い出す。バンドの構成がほとんどキーボードとサンプリングミキサーしかなかったというのが、今となっては笑える。

Kraftwerk 「We are the robots」 : 今でこそKraftwerk命!といえるが、それまではBGMで使われるドイツのテクノバンドという程度しか興味が無かった。我が師匠のKraftwerk ML 管理者である方よりKraftwerk のアルバム「The Mix」を聴き、そのなかの曲がすべて知っている曲ばかりだったことから、改めて「いい!」とおもうようになった。Kraftwerk の数多い曲のなかで、何故この曲かというと、この曲には個人的には2面性の記憶がある。1つめは、なぜか会社のPCで「The Mix」を聴いていたときの様子を思い出す。なぜそんな状況で聴いていたのかは思い出せない。もう1つの記憶は、随分遡って、小学生の頃だったとおもう。おそらく We are the robots が発売された頃だと思うが、そのときに確か学習塾のBGMに使われていたのだとおもうが、そのBGMが流れているTVを見ている自分の光景を思い出すのである。

Madonna 「Hang up」 : 最近の曲だが、この曲を聴くと、1人の台湾人を思い出す。今年の6月に台湾に行ったときに、この曲を飛行機の中で聴いていたし、台湾で会った台湾人に会うまでの時間でも聞いていたのだが、そのときに、その台湾人を待つウキウキした心情や、台湾に行くまでの道中の楽しみという様子が思い出される。

蕭亞軒 「地下鉄」 : この曲は台湾人より教えて貰った曲で、それから蕭亞軒のベストアルバムを後に買うことになる。歌を聴いたときに、上手いなーという感想があったのだが、それより今ではすっかり音信不通になってしまった台南出身の日本語が話せた台湾人のことを思い出す。決してカッコいいわけでもない。実際に台南に遊びに行ったときにあった事があるが、その様子を思い出すのではなく、メールやチャットでのやりとりの様子を思い出す。

Yoji Biomehanika 「Anasthasia」 : これは新宿にかつて有った Club Liquid Room のクラブイベント「VIVA」でメインDJとして活躍していた Yoji Biomehanika の代表曲。この曲はそのVIVAでは絶対かかっていて、それがちょうど夜中の3時半頃、一番クラブとして皆がノリノリになってきた時間帯にかかっていたものだから、会場は全員テンション上がりまくり。23時ごろに入店してから朝一番の電車が動くころまで、Liquid Room で踊り狂っていたあのときの様子が思い出される。Yoji がまわすDJブースの先頭を陣取って、Yoji のデブった体を見ながら「なんじゃ、この変態オヤジは?」と思いながら踊っていた。

Gouryella 「Ligaya」 : 上述のYoji Biomehanika も Yoji version を出している原曲。オランダのDJである System F が別名を称しておねえちゃんを引っさげて組んだバンドGouryellaの代表曲。この曲のプロモーションビデオはとてもよく出来ていて、Kraftwerk の「We are the robots」に哀愁を感じさせるような映像になっている。この曲だが、なぜか聴くと、上海に始めていったときのことを思い出す。初めての大陸への旅行だったこともあったのだが、そのときに知り合った中国人 Alex (と称することにする)がとてもいい人で、滞在中彼がいなければ、きっと上海では路頭に迷っていたことだろうと思う。その上海で一緒に遊んでいたときの様子がよみがえる。いまAlexはオーストラリアのSydneyに留学している。中国人らしくない中国人だが、根がしっかりしていて、人の話をとてもよく聴いてくれるナイスガイだった。Sydneyでも頑張って欲しいものである。

戸川純 「好き好き大好き」 : こんな歌手はもう二度と日本には出てこないだろうと思う。元祖天然系歌手といわれていた彼女。歌のバラエティさは、天下一品だし、パンクともテクノともロックとも分類できないジャンルを確立し、アイドルとは一線を引いた歌手だった。普段からクスリでもやっていたんじゃないの?と疑われていたくらい、目の焦点が合ってないような動きをしていたのが印象的。曲との関係だが、この曲を聴くと、音楽好きの友達を思い出す。人間としてはまともな人間ではないのだが、「猫人間」と称すれば納得がいくような人。好きなことだしかせず、他のことには興味が無い。困ったときには悩まず、他人に任せる。誰かサポータが居ないと、死んでしまうような人間。そういうひとだ。その「猫人間」と一緒に旅行に行って、なぜか部屋のなかでボーっとしているときの様子を思い出す。

The Shamen 「Eberneezer Goode」 : これは高校だったとおもうが、高校でのクラブイベントの際に、DJに頼んで会場に流して貰った曲。そのクラブイベントの曲調とは基本的に異なっていたのだが、この曲を流すための雰囲気作りとして、数曲を流してこの曲に辿り着くようなDJのレコード選びをしてくれたことに感謝。この曲が流れたときに、会場が超盛り上がったのは言うまでも無い。そのときの盛り上がりの様子を思い出す。

「律動体操」 : 北朝鮮って、馬鹿馬鹿しい国だというようなことを紹介していた番組「ブラックワイドショー」というのがあったが、そのなかで紹介していた曲。日本の「ラジオ体操」に相当する体力増進用のテレビ放映用の曲だったのだが、その体操の動きが笑えたので、一躍日本では有名になってしまった。曲調も、古めかしい北朝鮮っぽい、社会主義的な匂いのする(いいかえれば、人間的ではない)曲だったことも有名にした要素かもしれない。この「律動体操」を聞くと、テレビを思い出すのではなく、この曲を聴きながら飛行機に乗っていた状況を思い出すのだ。いつの旅行だったか忘れたが、機内の音楽番組があまりにもつまらなくて、しかたなく自分で持っていたmp3プレイヤーで聴いていたときの中途半端な光景が思い出される。

他にもいろいろあるのだが、きりが無いので、これでやめる。

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