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オランダの植民地時代の1696年に初めてインドネシアに珈琲が植えられ、スラウェシ島には1900年に農園が開かれ栽培が始まった。スラウェシ島はインドネシアの中で2番目に大きな島で、アルファベットの「K」の字に似ている形をしている。面積の割りには山岳地帯が多く、他に大きな島であるスマトラ島やジャワ島に比べて平地が少ないし、そのため農耕面積が少ない。熱帯地方に位置しながら、海抜1000mから1500mの山岳地なので、年間通じて温帯気候に近いところであるところが珈琲の栽培に適切だったことで、生産初めから生産量は少なかったにも関わらず、ヨーロッパと地元スラウェシで飲まれていたに過ぎなかったが、その濃厚な味わいはヨーロッパで大好評だった。しかし、第二次世界大戦で統治国オランダが本国の存亡危機になり、それに伴ってプランテーションの農園も放棄されるようになり荒れるがままの状態になった。そこで戦後しばらくの間「幻の珈琲」と言われるようになった。戦後独立したインドネシア政府は、民間の会社に委託して農園を復旧させ、かつての名品をここでよみがえらせたのである。
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