マルタに行くシンガポール航空内には、エンターテイメント番組が豊富であるため、見ていない映画、聴いていない音楽を聴くきっかけになるときが多い。今回は3つの映画を見るきっかけがあったので、そのレポートをして見る。 そのなかの1つが、これ。
「ロッキー・ザ・ファイナル」
搭乗前から少し話題になっており、スタローンも金がなくなってきて、映画界に入るためにきっかけになった原点に戻ったのか?と思った映画だ。当人、もう50歳過ぎているのに、いまだにマッチョ系の映画で活躍しようとしていること自体が、もう痛々しいとしか見えない。それも一番激しい殴り合いのロッキーをするっていうのは、めちゃくちゃな設定だなと思った。内容は、そのままめちゃくちゃだ。爺になったひとと、現役チャンピオンが戦うための設定を考えることに無理があるとおもうが、本当に強引な設定で、んなわけないだろうというツッコミは多々有る。さらに、友達が殺されたからといって、自分がオトシマエをさせるために殴りこみを行うという設定は、一番最初のロッキーの設定の実質パクリとしかいえないところに、映画の陳腐さを感じた。
映画の中では、エイドリアンは死んでいることになっており、ロッキー自体は、有名人であるが、引退後の老後として、イタリアンレストランを経営しているオーナー兼仕入れ調達係りをしている。息子が生まれて、一流会社に勤めているが、父親が有名人であるために、少し気落ちしているところが、有名人の子供にありがちな現象を演じているのはいい事だ。ところが、シナリオが本当に悪い。現代チャンピオンと、過去のチャンピオンをバーチャルな世界で戦わせて、どっちが勝つか本気に討論するという番組をしているのは、よくありがちな番組設定だ。日本でも、昔の力士と現代の力士を対決させてどっちが勝つかとか、ありえない対戦相手として、現役日本の野球選手と、アメリカに行ってしまったイチローのバーチャル対決などはテレビでも放映されているから、それは良い。問題は、そのテレビのエンターテイメントでは飽き足らず、本気で対決する機会を設けてしまったところだろう。あーっ、なんじゃ、これーっといっせいに思った人はいるに違いない。
さらにひどいのは、スタローンの体格。自分の原点であるロッキーのために鍛えなおしたという話を聞いたのだが、やっぱり年齢には適わなかったのか、背中の贅肉が異様に見えて仕方なかった。そんなぶよぶよな体でボクシングなんかやったら、本当ならリング内でゲロ吐いて死んじゃうよと思う。それだけ腰周りおよび背中の贅肉は際立って見えた。対戦相手の黒人のほうがシャープな体をしているので、比較対象があるから余計目立つ。あれは最悪だ。こんな糞映画に本当に金を払ってみる人がいるのかと疑問に思ってしまうような内容だった。
最後のオチは、いつものようにどちらかが勝つという設定ではなく、あくまでも対戦は「エキシビジョン」であるため、どちらが勝っても関係ないということになっている。そして、試合は当然年寄りであるロッキーが負けるのだが、会場は一丸になってロッキーの大合唱。最初から現役チャンピオンを応援している人が居ないというところも怪しすぎる。年寄りのくせによくがんばったーという気持ちで「ロッキー、ロッキー」の大合唱を行っているというような場面に見えないところが、脚本の悪さを露呈していたと思う。
そして、本当のエンディングの時には、有名なフィラデルフィア美術館前の階段を駆け上り、広い場所に辿り着いたときに、後ろを振り返りジャンプしながら喜ぶシーンがあるのはロッキーの名場面として昔から言われている。それを真似している素人たちが出てくるところは少しほほえましい。やっぱり、有名シーンを真似したくなるのは誰でも有る心理なのだろう。でも、その素人を使っているシーンというのが長すぎる。もういいよーと言いたくなるくらい、エンディングのクレジットを出しながら映像化しているので、長いのだ。
久しぶりに糞映画を見たと思った。
ロッキー・ザ・ファイナル : 公式サイト
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