1冊あたり600ページもある結構分厚いので、これだけあれば、暇な時間があっても時間つぶしに成るだろうというだけの理由で買った気がする。しかし、遠回りのシンガポール経由でも、実質寝ていたり、ご飯を食べたり、歩き回ったりしていたために、結局旅行中は全部読み終えることは無かった。内容は小さい文字でみっちり書いているようなものではないので、絶対読みきるだろうと思ったのに、甘かった。
内容は、清朝末期の日清戦争後の話からの史実を淡々と述べているのである。目線は、革命家の孫文と、清朝高官であった康有為において、それぞれの人物が携わる、いろいろな出来事に繋がってくる人たちを紹介したり、出来事の詳細の背景を述べているということだ。近代中国の歴史、いわゆる日清戦争後の清朝が潰れていき、日本が国共内戦を始めるまでの一番面白い部分について述べているので、読んでいて楽しい。だが、やっぱり毎回おもうことに、あまりにも登場人物が多いため、誰がだれだかわからなくなってしまうという点がある。どこかのノートに人物の概略だけ控えておいて、そのメモを携えながら本を読みたいところだ。小説ではないので、いわゆる小説的な独特の盛り上がりというものは全く無いので、小説好きの人にとっては飽きてしまうものだと思う。だが、時代に翻弄され、ナスすべもなくなっている巨漢の中国が、それぞれの思惑で中国を替えて行ったり、アンシャン・レジュームが無くなったり、利権争いがあったり、現代の中国人の考え方が見えてくるような歴史的事実を知っておくのは日本人にとって良いことだと思う。こういう書物は、当の中国では自分達を貶めるものとしてあまり発行されないため、そこで歴史事実の知識の乖離が出てきて、中国人と日本人の「歴史認識の違い」が政治的発展になったりするのだが、それは仕方ないことである。事実を教えられないという特殊事情が中国には実際にまだあるからだ。悪いことはすべて外部のことで、良いことは全部内部のことであるというのは、有史以来、中国人気質には持っていることなのだ。
こういう歴史書をヨーロッパの地で読むと、なんだか違和感があるのは否めない。
著者の陳舜臣は、こういう文章を書くのが得意な人のようで、いろいろ著書はあるのだが、文章の書き方が飽きる。同じように中国の歴史を書いている司馬遼太郎の文章に比べると、全然面白さ、ダイナミックさ、文章の流れというのが違うのである。小説の司馬遼太郎は有名だが、「街道を行く」のような随筆においても群を抜いて、読み手をぐいぐい引っ張っていってくれる感がある。が、陳舜臣の文章には無い。中国批判で有名な台湾人評論家の黄文雄の文章のほうが、おぞましさを感じて読んでいて楽しいのだ。参考書として今回の「中国の歴史」を読むのはいいと思うが、これで何かしたい、感動したいという意味で読むのはやめたほうがいい。疲れるだけだ。
ただ、調査して研究して、文献をあさって、それをひとつひとつ紐どいて紹介してくれる陳舜臣の調査能力と知識量には脱帽だ。
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