2010/07/05

メイド紹介システム (Singapore)

シンガポールは夫婦共働きというのが一般的な家庭であり、共働きであるがゆえに、課程に関する面倒を自分たちではできないということから、結構多くの家庭がメイドを雇っている。日本でメイドを雇うというのは、もう戦前みたいな感覚でしかないし、最近は景気が悪くなってきたのでようやく共働きという考え方が一般的になってきたが、それでもまだまだ女性はさっさと嫌な仕事をやめて、金の持っている男と結婚して家庭に引きこもるというのを理想とした結婚生活だと思っている人が多いのは事実である。そういう環境ではメイドを雇ってまで、生活のレベルをあげるために金を両方で稼いでいこうという考えは出てきていない。

シンガポールや香港の華人は、拝金主義が基本的な人生の心情としているために、金を稼ぐためには家庭を多少犠牲にしてもいいというところが少なからずあるのかもしれない。しかし、メイドを雇うというからには、それなりの金銭がないと雇うことができないと思われる。それに、日本の感覚で言うと、メイドは同じ日本人を雇うことが昔は良く行われていて、それはだいたい身分の低い家庭に生まれた人が、口減らしのために半分奴隷のごとくで売られたり、人づてで紹介されて雇われたという環境であったのが普通だが、身分制度がないシンガポールでは実際にいったいどういう人たちがメイドになっているのかというのが気になる。

実際のところ、メイドになるのはシンガポール人がなることはない。シンガポール人はもっと高級な仕事を選ぶことを良しとし、そのキャリアを伸ばすために、男も女もがむしゃらに仕事をするからだ。さらに言うと、他人のために汗水をたらすというのは、面子の問題なのかまず考えたことがないだろうと思う。あわよくば、社長や取締役になりたいと思っている人がほとんどであり、いつまでも他人に遣われるということを良しとしない人たちばかりだからである。さらに言うと、自分が働いている間に、子供の面倒をちゃんと見てくれる人がいることで、仕事に安心して打ち込めるというメリットがあり、そのメリットはとても大きいとシンガポールでは考えられているからである。

それではどこからメイドを調達するかというと、大抵はフィリピン人かインドネシア人である。どちらの国の人たちを雇うのは、人件費としてかなり安いのが相場だ。そして、どちらの国も自国ではまともに高度な仕事が今のところ存在しないということもあり、金のある近い国としてシンガポールへやって来る出稼ぎ労働者が多いのである。以前は遠い国ではあるが、アジアでは一番稼いでいた日本にフィリピン人やインドネシア人がたくさんやって来た時代もあったが、いまほとんど日本を目指してやってくるフィリピン人は皆無だし、インドネシア人にしては、さらに遠いので来る訳がない。もっと身近のシンガポールに金持ち人種が存在するのであれば、そちらを狙うだろう。

さらに、日本を目指さずシンガポールに行こうとする理由は、言葉と文化の違いというのもある。日本は言語的にも文化的にも彼らのものとは全く異なっているため、まず意思疎通ができないし、さらに文化を理解するのはとても難しい。ところが、シンガポールの場合、華人・インド人・マレー人が混ざっているようなところなので、実はフィリピン人にとってもインドネシア人にとっても便利なところなのである。まずフィリピン人にとっては、どちらも英語を話す。フィリピン人はタガログ語と英語の両刀使いであり、発音の違いはあるにしろ、いちおう英語での疎通が可能だ。インドネシア人の使うインドネシア語は、マレー語とほとんど同じであるため、マレー語を介すればインドネシア人と会話は可能であるのだ。ただ、シンガポールには華人が多く、昔ならマレー語を理解する人が多かったかもしれないが、いまの若いシンガポール人の華人がマレー語を解するかというと、ちょっと疑問だ。しかし、文化的にはマレーもインドネシアも同じである。もともと同じマラッカ王国に属していたからである。

実際に、シンガポールでメイドを雇いたいという場合にはどうしたら良いかというと、家を借りるときと同じように、不動産屋さんならぬ、メイド紹介屋さんというのが、街のあちこちに存在する。つまり、人間も商売道具になっているのであって、悪い言い方をすれば奴隷のように売られているのと同じなのである。紹介屋では、売り出し中のメイド候補のひとたちが、店の中にきちんとした身だしなみで座っており、バンコクあたりの売春やどのように雛壇に座っていて、「気に入った人を選んで」というのと同じ仕組みになっている。もちろん、売春の場合は、ほとんど顔と体型という見かけだけで選ばれるもので、あとは持ち主(雇われている女性の多くは借金を抱えているので、借金の代わりで体を売っている)と値段の交渉をして、行うというのが一般的だが、これがまさしくメイドの制度でも流用されているのである。ただし違うのが、メイド紹介屋の人が、個人個人の調書を持っていて、顧客がメイドに何をさせたいかというのを、能力別に分類できるような仕組みを持っている。まぁこれはどちらかというと家庭教師の斡旋事務所で、家庭教師を雇いたい家庭が、どういう家庭教師に来て欲しいかというのをヒヤリングして、家庭教師事務所のほうが、その要望にあった人を選んで紹介をするというものと似ている。ただし、家庭教師の仕組みと違うのは、選ばれる際に、既に店に候補者が全員揃っていることであろう。

光景をみて吃驚したのは、雛壇のように座っているメイド候補者の人たちは、顧客が自分を選んでもらえるようにおめかしをしているし、きちんと座って待っている。その場で選らばれるのもあるし、選ばれない場合も多い。たまたま見かけたのは、メイドを雇いたい人が紹介所に入って、そしてその日は選ばなかったのだが、帰る際に、その顧客に対して「またお越しください」と意味するように、メイド候補者全員が立ち上がって、深々と頭を下げているところだった。そんなお辞儀をしているようなところで立ち去るというのは、一般市民とはいえ、シンガポール人にとっては小国王になった気分になれるものだろう。さらに言うと、金があればこういう優越感が得られるものだというのが余計感じるようになるのだろうと思う。

さて、実際にどの程度の費用がかかるのかというのは、いろいろな人に聞いてみたところの値段では、日本円で1人あたり30,000~50,000円程度だろうということ。その程度で子供の面倒から食事、洗濯、掃除類を全部やってくれるというのであれば安いものだろう。実際のところ、メイドたちは、その程度の賃金で1ヶ月は生活ができるのか?というのが疑問に思うが、メイドは雇い主と一緒に住むことになり、食費などは35000円の中には含まれないのである。別の面から考えると、家族がひとり増えて、おこづかいを与える人間の数が1人増えて、それが30,000~50,000円だというようなものだ。

毎日雇い主のために働くことになるメイドにとって休みはないのかというと、そうでもない。大抵の場合は、日曜日が休日になる。その理由は日曜日はどの家庭も仕事をしないで、家族が全員集まれるときであり、親としても子供に対してメイドにまかせっきりになるのではなく、日曜くらいは親子で楽しもうという事をするからである。そうなると、日曜の昼間のメイドは何をしているかと言うと、同じ境遇でシンガポールでメイドをしているほかのフィリピン人またはインドネシア人という同胞の人たちと遊びにいくというのが定番だ。特に、シンガポールでは、オーチャードのCKタンあたりにいくと、タガログ語で会話をしている、ちょっと顔が黒い女性たちが屯している光景を見ることができるだろう。これは互いに情報交換をしていて、どこどこの家庭はどうだとか、紹介所の評判はどうかというようなことを話をしていると思われる。

需要と供給がガッチリ組まれている社会構造を垣間見た気がした。また、メイドシステムを通して、いかに日本は狭い考えでしかないのかなという気もする。なんでもかんでも平等だというような考えが日教組を中心に国民に教育していったせいで、他人を物質化して扱うようなことをやめてしまったからかもしれない。また、日本人の場合、外国人に対するアレルギーは異様なほど強い。ましてやどこの生まれのものだか分からないような外国人を雇うというのは、もしかしたら金を持ち出されたり、逃げられたりするかもしれないという不安感から、余計雇うことはないのだろう。心狭い日本人だとつくづく思う。

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