自称「六流作家」のさくら剛さんが書いた「インドなんて二度と行くか!ボケ!!―…でもまた行きたいかも」は、文章にリズミカルがあり、インドに行ったことがない日本人が持つインドに対するイメージをそのままリアルに、そしてちょっとは誇張して書かれているため、一気に読めてしまう秀逸の旅行記だと感じた。面白おかしく書こうとした場合、少し空回りをするような文章になってしまったりするのが大抵のオチなのだが、ことこの本の中での文章は、それこそ編集しているひとたちの努力もあるのだろうが、原文はさくら剛さんが考え抜いた内容だと思うので、その内容が全然不自然じゃないように見える。そして、他の本だと、インドではこんなへんてこりんなことがあったんだという内容が書かれていたとしても、だいたい「んな、馬鹿な」と思ってしまうのだが、さくら剛さんが書くとなぜか「やっぱりね。あなたも噂の出来事に出くわしてしまったんですね」と同情してしまうから不思議だ。
しかし、個人的には本書を読む前に、インドで起こりそうな出来事を知っておく必要があると思う。無知識でインドに関する本を読んだときには、所詮、妄想の世界でしょ?と思うからだ。その一番分かりやすい本は、ねこぢるが描いた「ぢるぢる旅行記」だと思う。これを読んで、インドのアナーキーさを知識として土台で持っていたほうが良い。そうじゃないと、一般的な日本人にとっては、インドの知識はカレーとガンジーと人口増加くらいしか情報がもっていないため、インド旅行から帰ってきたひとからの情報とかをまた聞きしても、「それでも行ってみたい」とおもうか「やっぱりイヤだな」と判断ができるまでの情報が無いものだと思う。
いずれにしろ、なんらかのインドでの生活スタイルに関する基礎情報を知った上で本書を読むと大爆笑するだろう。どこに行っても牛が、野良犬のように街中でも平気で放置プレー状態で歩いているし、邪魔だと思ってもどいてくれないという、日本では絶対考えられないようなことが展開するのはまだまだ序の口である。インド旅行のひとたちが必ずといっていいほどぶち当たる壁の「強度な下痢」の描写も凄い。凄いというより、もう文字によるスカトロ攻撃にしか見えないくらい、悲壮感と逼迫感と肉体的・精神的疲労感が十分に伝わってくる内容だ。日本に居てさえも、腸弱人として毎日勤務をしている自分にとっては、おそらくインドなんかにいったら、常に垂れ流しの状態になっていることだろうと容易に想像できる。そして、初めてのタイ旅行のときに経験した「トイレと友達状態」のさらに酷い版を経験するだろうと想像できるし、同じように下痢で苦しんだときのことを文章からでもすごく理解できる内容になっている。
一番傑作だったのは、どこのページでも出てくる、インド人の信用度ゼロの描写のところだ。人当たりがよさそうな人が近寄ってきたとしても、大抵は観光客を見ると、金のなる木としてしか見ておらず、結局インド滞在中は誰も信じることができない状態に筆者がなったところは、国民総ペテン師の国に行って、自分ではどこまで文句と拒否権発動とファイティングスタイルを貫けるのかかなり不安だ。なにせ、相手は経験豊富なペテン師集団だからだ。だが、著書の後半のところに書いているのだが、ペテン師の中でもペテン師と協業して、別のペテン師から金をふんだくるというシーンが出てくるが、ここはなかなかの演技力が必要な場面だったことだろうと想像できる。
団体旅行などのようなツアーにいくと、ツアコンが客を連れてくるだけでマージンがもらえるという仕組みになっているため、ツアーのスケジュールの中には必ずともどこかのみやげ物屋に寄るようなものになっている。だから、ツアーに参加するのは嫌いで極力参加しないようにしているのだが、ことインドに関して言えば、本書を読む限り、普通のタクシーの運転手や人力車のリキシャの運転手が、頼んでも居ないのに勝手に自分がマージンをもらえる店や場所に連れて行って、勝手にそこで客を解放するということを平気でするようなお国柄がインドらしい。これは大都市だけではなく、地方としても同じだということだから、いかにインド人が日頃から騙されないように訓練をしているかということだろう。日本人は、一期一会の精神が徹底して守られている民族だとおもうので、その場であったのが神のおめしぼしと思っているため、騙そうとしているタクシーの運転手がいても、「きっと自分たちの仲間だ」と思ってしまうのだが、インドではこの神通力は通じないことを肝に銘じたほうが良い。そして、嫌なものはイヤだとあまり露骨には拒否ができないひとはインドには行ってはいけないということを著者は体験を通じて述べているところはとても参考になる。
なにか買うまでは半監禁されたり、買わないで出て行こうとすると「おれは説明のために貴重な時間を使っているんだから、その貴重な勤務代金を払え!」と言いがかりをつけてくるところなんか、中国人に負けず劣らずの主張だと感心する。誰も商品の説明を依頼したわけでもないし、勝手に始めて勝手に怒り出すところなんか、か弱い精神でインド旅行をするととんでもない目にあうだろう。しかし、インドの物価はそんなに高くないらしいので、吹っかけられてきても、日本円で換算して「安い」と判断するから、「しょうがいないな」と諦めて金を払う日本人が後を絶たないようだ。これは根絶しなければならない悪習である。投資家だったり、起業家のような人にとっては、インドでの散財はゴミにしか思えないようだから、どうでも良い話しだと思う。所詮、こういう人種は「インドはこれから成長するところなんだから、金がある人から金を取ろうとするのはバイタリティがある証拠だ」という意味不明な論理展開できっと身勝手な慈悲の念をこめて金を払うに違いない。ケチな客家系中国人のように、どこに行っても他人に無駄な金はビタ一文も払わないという気持ちでインドは旅行をしたいものだ。
バナラシの自称サイババの1番弟子と宗教的ポン引きが登場する場面についてもなかなか面白かった。一度はこの偽者占い師の実力をあの手この手で嘘を暴こうとしていたのに、結局暴けないで敗戦の岐路についてしまったあと、リベンジとしてポン引きの人への復讐とサイババの弟子と称するダイババへの復讐の執念は凄まじいものがあった。写真だけは撮影するのは許さなかった偽者占い師の写真を、これまた一枚上手の演技で、最終的には写真を撮り、まるで「こいつが悪者」というような形で本の中で掲載してしまったというのは秀逸だ。人の執念は恐ろしいものがある。
さくら剛さんの文章力があってのこの本だとは思うのだが、もう1つすばらしいとおもうことがある。それはこの本を編集した編集者のひとたちのことだ。本を開くと、文字が単一的な流れで配置されているのではなく、ちょっと強調したい部分を太文字や、少し大きな文字になって書かれているところは、最新刊の「感じる科学」にも通じるものがある。それはよくある編集の仕方だと思うのだが、表現として、文字だけで行われている状態を読み手に伝えるためには、文字の大きさだけではなく、行間というのも利用しているところが良い。冒頭に経由地のマレーシアに寄るところなんかは、マレーシアの当地の蒸し暑さを表現するために「暑」の1文字だけを1ページのど真ん中に記載しているところなんか、暑さが伝わってくるようだ。また、先述した偽者占い師の顔写真の掲載も、ページを捲った裏側のページの指名手配のように記載して「こいつです!」と強調させるのをサポートしているところも笑える。期待を裏切らないような編集の配慮がにじみ出ているようだ。
著者の中では、インド旅行記の内容は、アフリカと中国を含める一連の旅行の中で真ん中にあたるようだが、できれば、中国・アフリカも読み続けたいところだ。そして、脳みそゼロの思考で気軽に読めるものなので、ぜひ、さくら剛ワールドに浸っていただきたいところだ。
インドなんて二度と行くか!ボケ!!―…でもまた行きたいかも
著者:さくら剛
出版社:アルファポリス文庫
発売日: 2009/7/24
ぢるぢる旅行記
著者:ねこぢる
出版社: ぶんか社
発売日: 1998/02
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