2012/05/13

どくろ杯(書籍)

マレー蘭印紀行」でその崇高な文章に対して感銘を受けたことと、戦前なのによくもまぁこんなに風来坊に海外旅行に好き勝手にいけた人がいたものだという驚愕を知ってしまったのが、詩人の金子光春の存在である。詩人として名高いのに、マレー蘭印紀行のような紀行文をほかにも書いているのだろうと期待して検索してみたら、やっぱりあった、あった。それもマレー蘭印紀行のほかに、問題の紀行文三部作として後世のファンには今でも絶大な人気があるといわれるものだった。それが以下の三冊。

・どくろ杯
・ねむれ巴里
・西ひがし

このうち、どれもこれも金子光春が実際にアジアやヨーロッパで見聞きし、実際に自分が体験したものを集大成的に記載した文学作品であるには違いないのだが、この三部作のうちどこから読み始めたら、時間系列的にわかりやすいかなと考え、見出しを参考にしてみたところ、どうやら「どくろ杯」というものを一番最初に読んだほうがいいのではないかと思ったので、まずは読み始めた。

マレー蘭印紀行の場合は、マレー半島に渡航をして、文章化したのは戦前のままだったので、文体がいかにも戦前の日本語であることと、高尚すぎる語句や語彙を多用しているので、現代人にとってはとても読みにくい文章にはなっているのだが、「どくろ杯」は当時の回顧録のような役割として、40年以上も経過したあとに記載しているので、文章が現代的になっている。したがって読みやすい。読みやすいから、金子光春が記載している内容がすごく頭に入ってくるのだが、すんなり入ってくるために、金子光春の当時の行動がいかにぶっ飛んでいるものかということがとてもわかりやすいものだった。きっと現代に金子光春のようなことをしたら、あいつはキチガイだ!というレッテルを貼られて、いかにいい作品を世の中に出していたとしても、私生活ではまったく尊敬の念を得られないところだったろうと思う。

だいたい最初から金子光春のぶっ飛びようは笑えるところばかりだ。既に詩人として名を馳せていた当時の遊び人兼文学家の金子光春は、詩の作り方を教えてほしいとやってきた女子学生に何を血迷ったのか手を出してしまい、そのまま妊娠させてしまうところから始まる。戦前の女子学生(いまの大学生)といえば、地方からとても優秀な成績でやってきた人たちばかりだろうし、将来は一流の世界で活躍することを期待して地元から送られてきた人たちばかりだろうという環境の人だったに違いないが、幸いにもこの女子大生は、いままで自分が築き上げてきたものや知っている世界とは違う異色の世界への憧れを常に持っているひとだったことにより、即効で遊び人の金子光春の気質に惚れ込んでしまったというものだった。これが金子光春の妻となる森三千代だ。

従来からの猫人間であるために、自分が三千代を妊娠させたと知ったときには狼狽しまくるのだが、そこは三千代のほうが一枚も二枚も肝が据わっていて、地方から送り出した自分の父親や、学校の寮長と学長への説明を事前に行い、そこへ金子光春が後追い説明をして納得させるというところの場面が出てくる。狼狽していたとしても、さすが文筆家であるために言葉を使う商売については長けているため、説明を求められる場では予想以上の出来で説得させ、相手を納得させてしまうという様子もまたすごいと思った。

が、自分がちょっと行ってみたいと思って三千代を放り出したまま上海に遊びに行ってしまうところなんかは、本当に自分勝手な猫人間だとは思うものの、上海滞在中に三千代がほかの男に寝取られてしまっているところを知ったときにも、またしても狼狽し、三千代を取り返すために、既に同棲状態に入っていた男の家に押し入って取り返すところも面白い。相手の男のほうとしては「なんじゃ、この甲斐性なしの男は?」と思いつつも、三千代のほうはこれ以上訳のわからない世界を見させてくれる光晴以上の変人は居ないと最初から思っていたようで、金子光晴が迎えに来たと同時に男と別れて光晴の元に戻る。あっさり戻ってきた三千代に対して、戻ってきたことはうれしいはずなのに、こんなにうまくいくとは思ってもみなかったと、またしても猫人間的発想を出すのだが、そこは三千代のほうがすかさず「もう戻るところはないんだから」と追い討ちをかけるようにたしなめるところもすばらしい。

そして、ここまで愛しきっているのになぜか結婚する気がなかったみたいで、それも意気地なしだとは思ったのだが、友人の室生犀星が仲立ちをして結婚させてしまうという場面が出てくる。どくろ杯全体を通してみるとわかるのだが、この作品のなかでは、日本の文学史上および日本の戦前の歴史的偉人たちや当時の荒くれ者の名前がたくさん出てくる。それらが全員金子光晴の「友達」であるというから、どんだけ広い交友関係を持っていたんだろうというのを考えると空恐ろしい。これだけ幅広い人脈を持っている人であることを知った森三千代は、そりゃぁ、田舎から出てきたお嬢ちゃんとして、ここまで訳のわからない人が世の中にいるのかー!という驚きのほうが大きかったことから、普通の男では我慢ならないという体質が必然的にできてしまったのだろうと思う。現代人としても、金子光晴みたいな男が友達だったら、死ぬまで一緒に付き合って生きたいと思うものだ。こんなに面白い人はほかには居ないと思う。

作品を通して一番の驚きというのは、個人的には三千代の父親だと思う。既に名前は知られていたとはいえ、とんでもない風来坊に自分の賢い娘を取られたことに、もっと激怒するかと思ったら「いやぁ、こんな娘を嫁にもらってくるなんてありがたい。」と謝辞を語るところなんか、きっと金子光晴じゃないが、対面して結婚報告をする場に居合わせたら拍子抜けすることだったろうと思う。また、光晴・三千代の夫婦に子供が生まれたあと、子供の世話をするのは普通の夫婦だとは思うのだが、光晴がまともに旦那であり父親を演じるとはとても思えず、光晴が思い立ったらそのまま実行してしまう行動に三千代が便乗することは良しとしても、子供は放置して、邪魔になるからと三千代の父親に預けて上海に遊びに行ってしまうというところの場面なんか、普通の家庭だったら、子供の祖父にあたる人間に「あほか!」と罵倒されるところだろう。しかし、三千代の父親はなんの疑いもなく「いいよ」と即効で返事したのか知らないが、快く夫婦の子供を預かる。幼子としては自分の父親母親が遊びまくっている状態にはどんな思いだったのか知る由もない。だいたい幼子だし、別にちびっ子ハウスのようなところに入れられたわけじゃないので、あまり気にしなかったのかもしれない。

上海に行ったら、これまたびっくり仰天のようなことばかりが起こっている。三千代としては、初めての海外であり、見るものすべてが好奇心に満ちたものでわくわくしていたに違いない。そして、横には何度も上海渡航の経験がある光晴がいて、上海の様子は熟知しているし、上海にはたくさん知人があるので安心しきっていたことだろう。しかし、三千代が連れている相手は、なんといっても金子光晴である。普通の滞在で終わるわけがない。本来、上海に渡航したのは、上海が最終目的地ではなくヨーロッパにいくための途中経路地でしかなかったのだが、なぜか上海に何日も滞在してしまう。昔の人は旅行をするときに、長い時間をかけて旅行をするのは当然だったのは仕方ないとしても、あまりにも上海での出来事がいろいろありすぎたようで、最終目的地をすっかり忘れて、光晴ペースで上海滞在を経験してしまったことは、三千代としても「なんか違う」と思ったことだろう。しかし、自分は上海初渡航だし、すべてが新しいものに写るので、まだまだいろいろ見てみたいものはあるという欲望も葛藤していたことだろう。そのうち上海で手持ち金がなくなってきたときには、どうやってその後の旅行をするための資金を捻出するのか?とおもったが、この結果にびっくりした。なんと、他人に大金を借りるのである。それも当時で数万円。いまだと、百万単位のお金である。それを快く差し出す友達の多さにもびっくりなのだが、返す気なんかもともと無く、それでも借りちゃうという戦前の遊び人の気質というものの物の道理というものを知って驚いた。いまなら、借用書みたいなものにサインをさせられ、金を返さなかった場合には、それを証拠に裁判で論争するということになるのが当然だろうが、昔はそんなシステムがあったとしても使う人なんか誰も居なかったため、機能していなかったということもあるのだが、金持ちは本当に金持ちで、金子光晴が単なる才能の無い遊び人だったら金を貸す人は居ないだろうが、今後の作品として活躍してくれる場を提供しようとするパトロン的な役割をする日本人や中国人の友達がたくさんいたというのは金子光晴の人柄だったのかなという気がする。戦前に旅行をする人たちは結構同じような金の工面をして渡航していたようだ。

だいたい上海で自力で稼いだやりかたも、また汚い。今で言うところのエロ小説を自費出版し、それも自分で活版印刷し、それを正規ルートで売るのではなく、どこに転売しているのかわからないやつに代理販売してもらっていたというからすごい。まともな詩人としての活躍ではなく、ちょっと文章が書けるからと、誰でも読めて、かつアングラなところで読まれるために多少高い値段をつけても読者の気を引いてしまうような内容のものを作ってしまうというアイディアは、まさに脱帽。読者は官吏だったり、船乗りだったり、本を保有していること自体が怪しい人たちに売ることで、かなりの金を稼いだというやり方は面白い。代理販売してくれるやつに、「先に買わせ」て本を渡して売ってもらう。このやり方をしていれば、自分は常に金が入ってくることになるし、代理販売したやつが売れても売れなくても自分には損にならないという構図ができるところもすばらしい。そして代理販売しているやつが、いくらの値段でつけて売っているのかも干渉しなくてもいいわけである。ただ、光晴が留守中に本を取りに来て、金を渡さずに本を持っていったことについでは光晴は激怒している。そして、代理販売をしている男の住処まで取りに来ている場面があるのだが、そこまで光晴は金に意地汚い状態になっている描写は、人間らしさがあふれていて面白いと思った。

たぶん、ほかの本も同じような趣向で書いているんだと思うのだが、どういう内容になっていたかのレビューはまた別途したいと思う。

どくろ杯
著者:金子 光晴
出版社: 中央公論新社; 改版
発売日: 2004/08

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