客家の町である北埔にバスで到着したのだが、地図らしい地図を全く持っていなかったのだが、とりあえずぶらぶらしてみることにした。バス停は街の中でもちょっと外れのところにあるのだが、外れと言っても、メインの交差点から100mくらい離れているところなので、すぐにどこがメインの場所なのかというのはわかる。
北埔の街全体をひと通り廻るのに、特に1時間もあれば十分観られる。むしろ、それでも多いくらい。あとは、街ぶらをしている間に、どれだけ余計なところに入ったり、目移りをしたりするかということで、ここでは街並みを楽しむのがいいだろう。それだけ実際には狭い地域なのである。
バス停から街のほうに歩いていくと、その交差点の向こう側が妙に開けた場所に出てくる。そこが「金廣福公館」というのが見えてくる。当日は残念ながら中を覗くことはできなかったのだが、ここは1835年に広東省籍の姜秀鑾と福建籍の林德修と周邦正が共同で設立した武装開墾組織の本部だったようだ。武装というのは、当時平地にも台湾原住民が住んでおり、その原住民を押しのけて、漢族の人たちが住める場所を確保するためというのが目的であった。それとここの本部は当初は北埔や近隣の寶山や峨眉の村を守備範囲としていたのだが、最終的には苗栗県の南庄や三灣村あたりまでを治めるようになった。そして、この建物、そんな歴史よりも建物としての作り方に目を向けたほうがいい。広東省のところにある客家の村には集合住宅として円楼というのがあり、一度入り込んだら逃げられないし、外部からの攻撃に対して強さを持つ建物があるのだが、ここもそれほど大きくは無いが、外部からの攻撃に対して対応できるように四合院というつくりで四方を囲んでいる建て方になっている。中心部は中庭になっており、四方からの敵が攻めてきても対応できるようにしているのだ。
そして隣りにあるのが、現在では普通に人が住んでいる家なので、中には絶対入れないのだが、門越しで様子を伺えられることができる古式建築として残っている「天水堂」というのがある。こちらは三合院と呼ばれる形式の建物である。四合院が四方を住居等の建物で作られて中庭を囲むように建っているのだが、三合院は、三方向を住居等の建物で中庭を多い、一つの方向だけは、門のような非住居建物で囲うというの。従って、三合院のつくりをしているこの建物は、外部からでも内部を門を通して見ることができるために、その壮大な建物についてを想像することが出来ることだろう。しかし、この建物は入口に「一般住居のため、勝手に入ってきたら通報します」と書かれているので要注意である。
メイン通りである廟前街を歩いていくと、その中心地には、街のランドマークになっている「慈天宮」というのが出てくる。宮は通り沿いにあるわけじゃなく、奥まったところにあるのだが、その参道のところはかなり太い道になっており、沿道にはお土産屋と客家料理を出すレストランが並んでいる。どのガイドにも絶対書かれている「北埔食堂」はまさしく宮の目の前にあるレストランである。レトロな雰囲気のレストランなので昼時に合わせて行く場合には、ここでご飯を食べるというのがいいだろう。
さて、慈天宮に入ってみた。ここで祀られているのは、台湾ではどこでも見られる媽祖と観音菩薩。内部は小さい四合院のようになっていて、一番奥のところに観音菩薩と媽祖が鎮座している。それは台湾のほかの道教の寺に見られるのと全く同じであるのだが、ここで面白いのは、正面拝殿のところではなく、両隣りにところにある狭い部屋のところまで見て欲しいものだ。各個人から献金されたお金で飾っている装飾がまぁ見事なくらい単調な光で作られている2つの部屋だ。1つは赤、もう1つは黄色。どちらも個人の欲望を満たしてくれるために祈りの入った装飾物である。いちおう北埔での中心地であり、宗教の中心地であるというところなので、なにかしらのイベントがある場合には、ここが中心に行われるというものである。
北埔の裏道に行ってみると、風情があってとてもいい。狭い路があちこちにあり、そこを蟻のように進んでいくのもまるでダンジョンのなかを迷っているようでいい。車も来ないような場所なので、交通事故になることは無いだろう。
そんな街並みを歩いていると結構目立つものに出くわす。それは井戸だ。街の住民の生活の場として井戸がある場所は、屋外で井戸端会議をしたり、洗濯、調理をする場所でもあったようなのだが、その名残というのがいたるところにある。しかし、現在でもその井戸を使っているかどうかは不明なのだが、いちおう井戸としては使うことができるというから便利だ。
それと道沿いに、住民の方たちが陽気に喋っている様子にたまに出くわす。そのときに話されている言語はやっぱり客家語だ。観光客相手では北京語で話をするのだが、住民同士は客家語になる模様。全く客家語がわからないのだが、その言葉が北京語とは全然違うイントネーションであることは聞けばすぐわかる。なお、客家語の話者のひとたちは結構御託達者な人が多いので、意外にも英語や日本語を解するひとたちもこのあたりには多い。
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