2009/06/20

国子監(北京)

孔廟の隣には「国子監」と呼ばれる建物が隣接している。この建物は、元・明・清の三代の王朝に渡って最高学府であり教育行政の管理機構であった。別称「国学」とか「太学」といわれる。国子監の広さは約28,000平方メートルの広大な敷地があり、中にある建物は他の遺跡とは異なる独特な雰囲気をもった建物が多い。この建物は全国から優秀な学生が集まり勉強をしたところであり、外国からの留学生もここで学んだところである。留学生や各民族から集まっていることもあり、ここは学生の間での交流の場としてとても重宝された場所である。学生はここで学ぶことといえば、科挙の試験に合格するものであり、科挙の試験も実際にここで行われていた。

儒家経典に関する13の書物(周易、尚書、詩経、周礼、儀礼、礼記、春秋左伝、春秋公羊伝、春秋穀梁伝、論語、孝経、孟子、爾雅)の全文がここには石に彫られている。それはそれだけでも圧巻だ。全部で628000あまりの文字がここには書かれているので、それだけでもすごいのだが、全部明朝体で書かれているので、現代人が見てもよく理解できる。彫られている文字を版画として持って帰りたいと思ったくらいであるが、そんなことをしたら公安警察に連れて行かれることは間違いないだろう。
国子監の真ん中に行くと「辟雍」という綺麗な赤い建物が見えてくる。この建物の周りには堀になっているのだが、その堀の欄干には、寺の絵馬のようなものが所狭しと並んでいる。みんな学問の神様みたいな建物に対して頭が良くなりたいーとか、良い学校に入りたいという希望で書いているひとたちが多い。
内部は、皇帝が学生に対して講義をするために用意された椅子が置かれている。皇帝が論語などの儒教の教えを学生に特別講義をするなんていうことを知ったのも吃驚したのだが、もっと吃驚したのは、その講義を学生はどうやって聞いたかということである。学生は皇帝による講義を、建物の外で聞くことになるのだが、建物の外といっても、堀があるので、それよりも外で聞くしかない。昔はマイクなんかあるわけがないので、堀の向こう側にある庭のところに並んでいた学生はどうやって聞いていたのか、聞こえていたのかというのが不思議だ。たぶん、形式上「皇帝が講義をした」という事実だけをイベントとして行うためだったのか、本当に講義をしたのかは不明である。皇帝が学生の前で立って講義するとはとてもじゃないが思えないので、部屋自体が反響してマイクのようになっていたのかもしれない。その様子を絵画として残っているのを見て、そう思ったのである。

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