2009/06/20

明十三陵(北京)

明の十三陵には現地ツアーに参加していくことにした。この日は、明の十三陵と万里の長城という2箇所を行くというスケジュールであったため、それを個人で行くには、タクシーをチャーターするしかない。それだったら道中のこともあるし、タクシーのチャーターについても不安だったので、現地ツアーに参加することにした。現地ツアーについては詳しく書かないが、自分たちのみですべて移動されるので、とても楽だったことは確かだ。まぁ、ツアーについてはいろいろ言及したいところがあるが、それは別に述べたい。

さて、ツアーでは午前中に明の十三陵に行った。ところがツアーの内容を聞いて、ちょっと期待はずれに思ってしまったことがある。それは名前の通り明の十三陵は、明朝の皇帝13人が眠っているお墓群であるため、その全部を行かなくても、数基の墓には行くのだろうと思っていたところ、「定陵」と呼ばれている墓しか行かないことが分かった。更に言うと、陵の入口である「神道」にも行かないことが分かった。添乗員曰く「いまは来るまで通ってはいけないことになっているから」ということなのだが、それなら歩いてでもいいじゃないか。たぶん、本人たちが歩くことも嫌だと思ったからなのだろう。この日ももちろん太陽が燦々と眩しい光を放っていたため、日向は暑かったのだ。

さて「定陵」に着いてみたところ、めちゃくちゃ広い駐車場が目の前に見えていたのだが、車の数はちらほら。ガイドの人に言わせると、それでも結構観光シーズンの時には観光バスがたくさん来ているときも有るらしい。土地が余っているから作れる技とはいえ、無駄な敷地だなーという印象が残る。
黄色の瓦に赤い壁という紫禁城にもあったお決まりの門構えを通り抜けると、正面には大理石の三段テラスが見えてくる。さらにそこを進んでいくと、公園のようになっているたくさんの木が植わった場所に出てくるが、その森の向こう側に高い建物が出てくるのだが、そこが陵恩殿と呼ばれる墓が納められている場所なのである。もともと十三陵は多くの墓が盗掘にあったらしいため、皇帝の墓と一緒に埋葬された装飾品は獲られてしまっているらしいが、定陵は土に埋まっていたために、盗掘されていなかったらしい。土に埋まっていたために、今度はどこに皇帝の墓が埋められたのかというのがよくわからなかったというのが原因なのだそうだが、そうなると発掘作業をするのも大変で、運良く定陵の場合、墓に遺体を運ぶための道が発見されたことにより、その場所が特定できたというから面白い。通常は盗掘を防ぐために道さえも埋めるのだそうだが、定陵はそれに漏れたのだろう。陵恩殿の中に入ると、長い階段で地下深くまで下りて行く。なぜかその階段を点す電燈が洒落ていたので吃驚した。共産党政権らしくない。墓の構図は下記の写真のとおりになっており、皇帝は后殿に、2人の皇后は左右にある配殿に納められるのが普通なのだそうだが、相互に繋ぐトンネルがあまりにも細かったため、柩をそのトンネル経由で運べなかったようである。そのために、最初にすべての柩を后殿においてしまったため、他の墓では考えられない、皇帝と皇后が同じところに置かれるという状態になっている。アーチ型の天井がとても高いところにあり、一瞬これは全部コンクリートで囲われた防空壕?と思うような感じだが、すべて近くで取れる石で作ったようだ。皇帝や皇后の柩は紅い箱で、その箱は棺床と呼ばれるところに置かれている。ちなみにこの墓は万暦帝と孝端皇后と孝靖皇后が納められている。柩が置かれている棺床には、日本の寺でも良く見られるように、なぜか意味不明にお金を置いていっている人たちが多かった。
出土品は傍にある展示館に一部納められているので、そこで遺品や埋葬品の一部は見ることができるので見てみると良い。

0 件のコメント: