2012/06/09

タニヤ通りとパッポン通り(Bangkok)

バンコクはバックパッカーの聖地みたいなところに扱われているのだが、なんだか混沌としていて、安い価格で飲み食いができ、そして売春もできるような場所であるため、夜の待ちの代表のところもであるのだろうとおもう。特に西洋人バックパッカーだけじゃなく、日本人のバックパッカーの人たちにとっても、ここに来れば情報と女を仕入れる場所だというので重宝していたのだろうとおもうのだが、それがかの有名なパッポン通り。

パッポン通りに行くには、BTSのサラディーン駅から歩いてすぐのところにある。駅のすぐ傍にあるのがパッポン通りと並んで夜の繁華街とでも言うべき場所がタニヤ通り。別名日本人街と言われるくらい日本人ばかりが多くやってくる場所だし、通りに面した看板を見ると、日本語ばっかりで、まるで歌舞伎町にでもいるかのような場所だ。バンコクの駐在員たちが接待をする場所としてもこの場所はよく使われているようであるが、できればもっとタイに相応しいところで接待をされたいと思う。といっても、屋台じゃイヤだけど。どこを見ても日本語の看板なので、日本語がここでは公用語のようになっているのが面白い。だから、バンコクにいるのに、あちこちから騒ぎ声で日本語が聞こえてきたのは笑えた。

パッポン通りは昼間は車が通れる普通の横道なのに、夜になったら、どこからとも泣く現れてきた移動式屋台が溢れてきて、それに釣られて人がわんさか溢れてくるところだ。ちょうど昔の士林夜市の通りと同じである。士林夜市のとおりは、1日中人が混んでいるのだが、ここは夜だけ混んでいる。たけどこのパッポン通り、名前がパッポンと変てこりんな名前が付いているのだが、これは人の名前。タイが今みたいに繁栄する前、タイ王室は街を整備したひとに、褒美としてその開墾した場所を与え、そして自分の名前をつけても良いということにしていた。葦だらけで運河だらけの街を政府主導だけでは開墾は無理だと考えていて、金がある人が自由に開墾してくれればそれで国は繁栄するだろうと考えたのだろう。そこに目をつけたのがパッポン一族。建設に必要なセメント工場を作って、それを建設会社に売ったことで一躍金持ちに成り上がった一族である。そのパッポン一族が作ったエリアだからなのだが、土地の発展が私有地として発展していったようなものなので、いまでは公道のような扱いになっているこの通りも、実は私有道路だからという理由から、夜だけは自由に商売をしてもいいような通りになったらしい。所によれば歴史ありだ。

このエリアは歓楽街であり繁華街ではあるのだが、バックパッカーのような人種がここに集まって、人間として堕落していく場所の最終地であったりするようだ。本国ではできないようなことをタイに行けばなんでもできるという、意味不明な妄想をもってやってくるような都会人たちや西洋人、そして日本人は結構イッパイいるんだろうが、タイだって1つの立派な国であり、そこに住んでいる人たちは精一杯生活しているわけだ。生活するために詐欺や盗みや売春をしてまで金を作ろうとしているのだろうが、それを下劣な人たちがやっていると勝手に決め付けて、金さえあればここでは許されると思い、自分たちの快楽のためにタイの現地の人を性奴隷化していったり、現地妻化させているのは多いのではないだろうか?タイは何でも受け入れてくれる場所であり、優しい国だから、これらの行為に対して文句を言わない。嫌なことだとわかっていても生活向上ができるのであればそれも仕方ないと思っているところは多いのだろう。しかし、金がある旅行者ばかりがここには来るとは限らない。金に困って、同じ外国人同胞から盗むをしたり騙すやつらもここには集まってくる。金持ってくる無知な外人を引っ掛けるのは簡単なことだ。そんな犯罪的な行為を自らやっている分にはまだいいが、麻薬に手を染めたり、もう本国に戻れる金が無いから、乞食でもやっているしかないというような外国人観光客もたまにはいる。自分たちもスカイトレインの駅に戻る途中の道端で、行き場所を失って、中身が入っていない鞄だけを抱えて、路上で寝ている西洋人を見かけた。きっとパッポン通りあたりにきて遊んでいたら、騙されて身包みはがされて棄てられたんだろうと思う。騙されるほうがここでは悪い。

タニヤ通りとパッポン通りは、タイの夜の顔が一番面白いところなので、行くならば昼間ではなく夕方以降に行くべきである。タイヤクザがどこまで絡んでいるのかしらないが、おそらくこの2つの通りで挟まれた地域は、マフィアが取り仕切っているところなんだろうが、そこにパッポン一族がどう絡んでいるのかが不明である。こういうのは夜の社会に詳しいひとたちがどこかで述べているとおもうので、そちらを参考にしたほうが良いのではないだろうか?

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