ワット・プラケオを観た後、チャオプラヤー川を渡った対岸には、対岸の桟橋からも見えていたワット・ラカン(Wat Rakhan)というのが見える。もうほとんどワット・ラカンを訪問するためだけに作られた渡し舟に乗っていくと、対岸の桟橋から寺までは1本道。道中は、参拝に来る客を狙ってたくさんの出店が出ているのだが、どいつもこいつも、参拝客を金づるにしか見ておらず、なんだか鬱陶しくさえもある。
ワット・ラカンは現王室の初代国王のラーマ1世が王位に就く前にすんでいたことがある場所に建てられた寺院であり、ラカンとは鐘の意味を持ち、寺院の周りは鐘つきの場所がいたるところにあるのである。寺院にやってくる人たちの多くは、自分たちが苦労している病を治してもらいたいという気持ちで来ている人たちが多い。そして、生き物に対して徳を積めばご利益があるということを信じているために、それを目当てに、桟橋に話が会いになっている鯉だか鮒だかわかんないような大量の魚にえさをやっている人がめにつくところがここである。しかし、エサをもとめて集まってくるのは魚だけではなく、おこぼれを貰おうとしている鳩もいるので、傍から観ていると、ほとんどヒッチコック映画の「鳥」かとおもうくらいのおぞましい光景である。しかし、これが臭い。本当に臭い。川のニオイが臭いというのもあるのだが、それにもまして、鳩と魚の独特のにおいが混在してもう臭いのだ。これでは絶対鳥インフルエンザは流行するのは当たり前だろうとは思った。
さて、寺院のほうに戻してみたいと思う。
寺院の中は参拝者がなんやら本堂に祀られている像に向かってお祈りをしている様子が観られた。写真を撮りたかったが、監視員みたいなのが眼光を光らせていたので、撮らずじまいだったのだが、参拝者はここではみんな正座をして祈っている。仏教が身近だなーとおもったのは、高校生が学校の帰りにこの寺院によって、ちょっと祈って、そのまま何事も無かったかのように立ち去った姿をみたことだ。それだけ生活に仏教が根付いていることなのだと思う。微笑ましい光景だとおもった。それに、やっぱり寺院は広いので、こう蒸し暑いところだと、風通しがいい寺院は良いオアシスとして使われているのかなという気もした。
寺院の境内にあるカラフルな鐘は、誰でも鳴らすことができるものであり、頻繁にカンカン鳴らしているのを聞くことができる。日本だとこういう鐘はあんまり鳴らすと迷惑がかかるかなという気が引けたりするのだが、タイでは全く関係ない。鳴らして良いというものは鳴らす。そういうところだ。チベット仏教のところにあるたくさんのマニ車を回すような感覚で、たくさんの鐘を打ちまくって立ち去るという人が多い。それも良い音がなるのだ、この鐘が。香川県に独特の石「サヌカイト」と呼ばれる叩くととても高音の綺麗な音が出る石があるのだが、あれで作られたのかなと思うような音が出るのが良い。
寺院の鐘のほかに、個人が寄贈しているのかよくわからないが、少々小ぶりの鐘が釣り下がっているのもある。これも自由に参拝者は鳴らすことができるのだが、どうも鳴らすのに気が引ける。でも、叩くとなにか吹っ切れるという感覚も好きだ。
寺院とその取り巻きの世界がまるで金持ちビルが、スラム街に建っているというような感じがするのはなぜだろう。周りがあまりにも汚すぎる。ここには長居は正直したくない。へんな病気になりそうだ。病気を治したい人が集まってきているという、負のオーラが集まっているというのもあるかもしれないが、それよりも、魚と鳩の臭さには参った。健康な人も病になりそうだ。
ワット・ラカン
開館は:日の出から日没まで。
参観料:無料
休日:なし
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