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安平古堡は台湾が誇るべき旧跡の1つであることがいえよう。台南に行ったら台南市内ではなく、絶対に安平まで足を運んで是非見に行ってみるべきである。ここに来ればいろいろと発見できることだろう。
そもそも安平古堡自体が「古堡」という名前が付いているとおり、日本語でいうところの城址である。ということは、ここは元々城として機能していた場所なのだ。安平古堡あたりまでは実は鄭成功の時代、海岸線であり、海からの外敵に対して防衛を張るための基地であった。その最初に作ったのが、台南にやってきて最初の植民統治をしたオランダ人である。オランダ人は、オランダ人でもゼーラント州からやってきた人たちが多かったことために、この城を自分達の地元の名前にちなんでゼーランジャ城と名前をつけたとのこと。でも、実はこの城は最初からゼーランジャ城と言われたのではなく、最初はオラニエ城だった。オランダのオレンジ公ウィレム王にちなんだ名前である。そして、城のすぐ傍まで海だったために、海に向けて大砲が打てるように、今でもその名残が城にある。
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さて安平古堡の建物に入る前に、やっぱり見ておくべきところがある。それは、階段下にある、煉瓦でできた分厚い城壁跡だ。この城壁の分厚さといったら、ちょうどぶっ壊れているところがあるので、そこから真横を見てもらうとわかるのだが、ちょっとやそっとでは壊せないなというのがわかるような作り方をしている。その城壁が、もともとは城を囲むように長く壁として存在していたのだろう。これは絶対見るべきである。ちなみにこの壁で使われている煉瓦は、オランダが当時統治していたインドネシアのバタヴィア(いまのジャカルタ)から持ってきている。
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さて、階段を上って鄭成功でも拝みに行こう。
しかし、その前に階段で気になるところを見つけた。確かにメインとなる階段のところは最近になって補修工事がされて綺麗になっている階段なのであるのだが、オランダ時代に作られたままの煉瓦が残っているところが実は存在する。ガイドにも実は書いていなかったのだが、タクシーのおじさんが教えてくれた。それは階段の一番低い部分で、煉瓦がすこし劣化しているように見えるところ、たぶん当時は草木でも植えていたのだろうとおもわれる、湾曲している部分で花壇にも使えそうな部分というのが、400年以上前からのものなのだそうだ。おぉ、そう見ると確かにこのあたりの一部だけは他と違うような煉瓦だ。ちなみに他の煉瓦の部分は、日本統治時代に整備されたものなのだそうだ。というのも、もともとは綺麗ないまのように綺麗な煉瓦の階段だったのだそうだが、別のところで記載したいが、億載金城を作る際に、清朝がここから煉瓦を分捕って、改めて利用したということから、日本統治時代まで実は荒れ放題の場所だったのだそうだ。なので、城壁も一部だけ残っているだけになっているのである。さすが、中国、他のものを残さず、略奪により自分の利益に利用する文化だ。
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階段を上ると、広いエリアに出てくる。ここでは、どこのガイドにも出てくる凛々しい姿で建っている鄭成功の石像に出くわす。まずはここで写真を撮りたいものだ。台南では市内のあちこちで鄭成功の像を見ることができるが、やっぱりここでの鄭成功像が一番綺麗な気がする。それも飾り気が無いし。
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さらに階段を上ると立派な簡素な建物が建っている。この建物、もちろんオランダ時代に建てられたものではない。オランダ時代にはここは城だったのだが、そんなのは清朝時代にすっかり荒れ放題になっていて、何にも使われていなかった。そのあとの日本統治時代に、ここを税関署として使うために建てられたものだ。正確に言うと、「安平海関長の公館」として使われたところである。単なる公館なので、建物の中はとてもすっきりしていて、あまり部屋の数は無い。また、こんな高台に建物を作った理由として、高いところから下民に対して命令や演説をする効果のために作ったのだという説明があった。
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台南は鄭成功で有名なところであり、鄭成功は母親が日本人であることから、鄭成功は日本人の英雄であるという論理を展開し、それまで荒れ放題になっていた安平古堡の発掘調査を整備を日本統治時代に行った。海から渡ってきた漢民族にとっても自分達の英雄でもあるが、植民地時代の台湾を治めている日本人にとっても鄭成功は英雄扱いしたのである。そして、安平古堡を整備するという名目は、植民地時代の施策として、台湾人の心と日本人の心をひとつにして共通話題にするために行われたと考えたほうがわかりやすいのだと思う。ただし、先述の通り、高台の上には日本式の家屋を設置し、あくまでもここが日本統治のところだと建設したのだと思われる。
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さて、日本家屋風に入ると、別に日本統治時代の名残が残っているわけじゃない。なかに展示されているのは鄭成功とオランダ総督との像でのお出迎えである。しかしこの像は本当に見えにくい。見えにくいというのは、せっかくこんな立派な像が陳列されているのであれば、もっと遠目でも見られるような場所に設置するべきなのだと思うが、なぜかこの像の前にショーケースが邪魔なように設置しているため、間近に見えるのは嬉しいが、全体を見ることができないのが残念である。
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さらに奥に行くとオランダと鄭成功軍の両方の兵器を紹介したコーナーにぶち当たる。オランダのほうは、ヨーロッパでよく見かける剣、盾、鎧と銃砲が見られるし、鄭成功のほうは中国らしい青龍刀や槍やら、三国志の世界から全然変わらない武器が展示されていて、東西の武器の比較としては、こんな狭い場所でできるのであれば、ちょっと面白いかもしれない。武器から考えると、やはりオランダ軍のほうが分が大きかったわけだが、なにしろ、相手は鄭成功軍で、ほとんどゲリラ的というかゴキブリのごとく殺しても殺しても次から次に同胞が戦ってくれるので、そのうちオランダ軍も徐々にではあるが弱体化するのは必然的だったのかもしれない。
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それから絶対見て欲しいとおもうのは、武器が置いている部屋とは違うのだが、別の部屋に飾ってあるフランドル系の画家が書いた絵画だ。鄭成功とオランダが戦っていたときには、レンブラントが活躍したフランドル系の暗そうな絵画が大流行した時代である。その本拠地であるオランダなのであれば、絵画の風潮も同じだろう。フランドル系として有名なのは、フランダースの家に出てくるアントワープ大聖堂に掛っている絵画だろう。安平古堡にある絵は、鄭成功軍からの降伏勧告を伝えるために派遣された牧師が再び鄭成功の元に鄭成功の部下と戻る場面を書いた絵である。もちろんオランダ軍は威信にかけて拒否。牧師である父親が鄭成功にこの結果を報告にいった場合絶対殺されると娘が父親にすがっている場面を書いているものだ。この絵画はとても説得力があり緊迫感があるものだ。
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ぜひ、ちょっと遠くても台南にきたら、この名所を訪問するべきだし、行かないのは台南に来た意味が無いと思う。
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