台南到着時には雨が降っていたので、最初はどこにも行かなくても良いかなとは思っていたのだが、せっかく夕方前に到着していたのにそのまま何もしないというのも、時間がもったいない。そこで雨が降っているのだが、近場の観光地に行ってみることにした。しかし、歩くのは嫌なので、タクシーで移動。晴れていたら歩くのも良かったかもしれないが、雨の中の移動というのは、靴も濡れるし、道を歩いているだけでも嫌になる。
そこで最初に行ったのは赤嵌楼である。別名プロヴィンティア。
タクシーで乗り付けたときには、天気が悪いこともあって、この駅から一番近い場所の名所にはあまり人が居なかった。なにしろ、こんなに天気が悪いときに歩いているほうが馬鹿だと天気のほうが笑っているような雨だったからである。
赤嵌楼の入り口で入場券を買ったあとは、いきなり広々とした庭と、その奥に、8つの石碑と赤いレンガつくりの建物が優美に建っているのが見て取れる。天気がよければ緑の芝に赤いレンガの建物はとても映えるのだろうと思うのだが、これだけ曇って雨が降っていると、単なる南国の建物にしかなんでもみえなくなってくるのも不思議だ。庭の東側のほうには、台南の英雄・鄭成功の銅像とその家臣が横に2体、そして正面にオランダ人が鄭成功に向かってお辞儀をしているという、オランダとの戦いの後の様子が見て取れる像がある。実は、こういう像は台南ではこれからどこでも見て取れるものだというのをこのときには全然気づかなかった。台南は鄭成功さまさまで成り立っている古都なのだということが良くわかる。英雄を奉りたてるのはとてもいいことだと思うが、どこに行っても鄭成功というのも、結構たくさん見ていると飽きてくる。が、最初に台南にきて、鄭成功というのがどういうものだったかを知るにはいいかもしれない。鄭成功については、近松門左衛門の人形浄瑠璃「国性爺合戦」の題材になった人である。倭寇のボスをお父さんに持つ息子だったが、漢民族の明王朝が倒れて、異民族の清王朝ができたあとも、最後まで清に徹底して抵抗したボスの生きかたが男らしいという意味で、いまでの台湾では尊敬されている人物だ。ここでは鄭成功について詳しいことは述べたくないが、この男のことは別途書きたいと思う。
さて、赤嵌楼の赤い建物の前に立てかけられている8枚の石碑なのだが、これは鄭成功とは全く関係が無い。台湾で起こった林爽文事件という事件について乾隆帝が褒め称えた詩であり、すべての石碑が亀の上に乗っていることから「石亀御碑」と呼ばれているものである。こちらの石碑の石は全部金門島の大理石で、彫刻された後に分割して運ばれたそうだ。ただ、石碑の前には植木があり、それが必然的に近づいて見てはいけないというような印にしているせいで、石碑の文字は何が書かれているのかは遠くからはよくわからない。現在残っている赤嵌楼の建物のほとんどは清朝のときに作られてもので、鄭成功が騒いでいたころのものはほとんど残っていない。しかし、建物の中に入って欲しい。実際の建物は2つの棟から成り立っている。入り口に近いほうを「海神廟」で奥のほうの建物は「文昌閣」といわれている。海神廟のほうは、数段の階段を上がったあと、一番最初に鄭成功の皇帝のような風貌の大きな絵画の(たぶん)レプリカが飾ってある。おそらく鄭成功に関する本を読んでいたら絶対にこの絵は挿絵として紹介されているだろうと思う有名な絵画だ。そして、壁には、鄭成功がオランダ軍を破るときの、鄭成功の軍隊がどのようにオランダ軍を破ったかを紹介した歴史の一幕を紹介した展示物が飾ってあるのは、鄭成功ファンとしては楽しめるとおもう。急な気の階段を上って二階にいくと、鄭成功が使ったといわれている石の枕が飾られているのがわかる。なんでこれだけ珍重のように飾られているのかよくわからない。そして、二階の展望台のようなところにいくと、隣に似たような建物があることがわかる。それが、文昌廟である。文昌廟のほうは、その名前の通り、受験や学問の神様である文昌帝君を祀るために立てられた。1階の展示場のところは特にこれといって目立つものは無いので、無視してもいいだろう。驚くべきことは2階の展望台のところだ。2階には、湯島天神や太宰府天満宮のように学問の神様のところでは、絵馬に自分の希望を書いて合格祈願をしているのをよくみかける。それと全くおなじような光景がここでは見られるのだ。この文昌廟で用意されている標準の絵馬で普通は書かれているのだが、そうではなく、自分の受験票のコピーやらを強引に飾っているひとも見かけたのは笑えた。
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