2010/09/08

台南にある日本建築

台南にはたくさんの日本統治時代の建物がいまでは第一級史跡として残されている。現に本でも戦前の建物というのは本当に少なくなってしまったのだが、台南にはいまでも綺麗に保存されている場所がたくさんあるので本当に吃驚する。歴史と文化に対する先代たちの意向というのはここでも強く残っているんだろうなということを感じた。多少は修復工事をして現在に至っているのだが、どの建物も、現役として活躍をしており、どれもこれもが名所になっている。特に7つの道路が円環道路と接している場所の、各交差点に存在している建物はほとんど日本統治時代に建設されたもので、いまも町の重要な建物になっているのが素晴らしい。

タクシーのおじさんとしては、こういう日本時代のよい物件をたくさん紹介したくてたまらなかったらしい。安平から台南市内に戻ってきたときには、最初は孔子廟あたりにいってもらいたいとおもっていたのに、タクシーは勝手にまずは台南地方法院に向かった。タクシーのおっさんがここをまず最初に行こうとした理由はあとからわかった。台南地方法院の建物は、台北にある台湾総督府と同じくらい台湾三大建築の1つと揚げられるほどの名建築物であり、大理石をふんだんに使ったバロック様式の華麗なる建物だからである。残念ながら訪問したときは改修工事を行っている最中だったので中に入ることはできなかったのだが、どうやらここはいまでは司法博物館として使われているらしい。次におっさんが連れまわしたのは、今でも綺麗に残っている忠義小学校の講堂である。忠義小学校の敷地自体が実は台南神社が存在した跡であり、蒋介石の妻である宋美麗がめちゃくちゃ日本嫌いだったため、台湾全土に有る神社という神社を徹底的に破壊したことから出来上がった新地を、小学校のために利用したというオチである。しかしながら、ここの講堂だけがなぜ残ったかというと、それは戦前には珍しいコンクリート造りだったからであった。そして、台南神社だったときには、この講堂は武徳殿と呼ばれており、現在でいうところの武道館の役割をしていたところである。つまり、武道を通じて日本的精神を養うための場所だったということだ。大日本武徳会の台南支部があった道場というところだろうか。それから絶対見るべき場所は、現在、台湾文学館として使われている旧台南州庁だろう。この煉瓦造りの濃厚さは、台南地方法院と同じ森山松之助である。中に入ることはこのときには無かったのだが、ぜひ入館できる機会があるのであれば、入ってみたほうがいいと思う。中のつくりは、一瞬東京駅丸の内北口のような雰囲気を感じるはずだ。他にもたくさん7つの道路が交差する場所には見所満載の日本建築がごろごろしている。それを探索しているだけでも1日が経過してしまうんじゃないのかと思う。

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