2013/05/11

ファドとは

ファドはポルトガルにおける日本の演歌に相当するとよく言われているのだが、個人的にはちょっと違うと思う。社会の底辺の人が自分の立場を表現したり思いを、詩や曲に乗せて鬱憤を晴らしているというものに近いような気がするし、それを聞いた似たような境遇の人が、苦しいのは自分たちだけじゃないんだと同情や同調をするための曲なんじゃないのかな?という気がする。日本の演歌がどのような経路で一般大衆化したいのかもしれないのだが、ファドについても、徐々に飲み屋で歌われていたのが広がって行ったんじゃないのかなという気がする。

勝手な想像なのだが、映画「銀河鉄道999」のトレーダー分岐点というところで、鉄郎が機械伯爵を殺すために意気込んだのはいいが、途中にあった酒場で、ギターを弾きながら歌っている女の人の曲に、その場にいた勇ましい男たちが泣いて静香に聞いているという場面がある。そんな曲としてファドというのが一番似合っているじゃないのかなという気がするものだ。

ポルトガル語に「サウダージ」という言葉がある。これは日本語にすると哀愁や郷愁のような言葉に訳されるようだが、実際にはもっとポルトガル語話者にとっては奥が深いものがあるらしく、適切な日本語には訳せないという話も聴いたことがある。その言葉に表せないものを曲という形で表現されたのがファドというわけのようだ。

リスボン市内であれば東部にる古い町並みが残っているアルファマ(Alfama)あたりにたくさんのファドを聞かせてくれる酒場がある。だいたい開店時間が夜の10時ごろからというから、ご飯を食べて、そのあとのみに行くというときに行くと丁度いいだろう。そしてファドの歌声は夜中の12時ごろに始まるというから、良い子や早寝のひとにとっては全く場違いのところに違いない。だいたい観光客もこのファドを目当てに寄るんも町に出くわすということが多いので、ぷらっと行けばどこか入れるだろうとおもっていたら、結構「満員だから無理」と追い返されてしまう場合も多い。特にリスボンは観光地だ。予約をしていたほうが無難なことは確かだが、ただ、どこの店に行けば良いのかというのは、歌舞伎町の飲み屋のどこに行けば良いのかと聞かれると皆さんはどう答えるかというくらい難しいものだ。有名な人が出演するというところを抑える必要があるかもしれない。

ファドの歌手として有名なのは、日本でも結構知られているアマリア・ロドリゲス(Amalia Rodrigeus)という女性歌手。伝説的歌姫として称されており、ポルトガルでは英雄にされているひとりだ。サン・ヴィンセンテ・デ・フォーラ教会にも彼女の慰霊が一部納められているところであるので、たぶん一度は誰かということに遭遇することもあるだろう。アマリアの歌はいまでは普通にYoutubeでも観て聞けることができるので、ファドってどういうものだろうというものを聴くには良い練習台かもしれない。

でもやっぱりファドは男が歌うともっと涙が出てくるような思いにふけられるらしい。序性が歌うと、「男に棄てられてぇ~、あたしは1人で生きていくのよー」みたいな石川さゆりの世界になってしまいそうなのだが、男が歌うと、女や仕事や海のことをテーマに歌うので幅が広がるようだ。ファドの店に行くことは無かったのだが、たまたま昼間に歩いていたら、レスタウローデスひろばのところに、ファドの喉自慢大会が開催されていて、素人のひとたちが歌っているのに出くわした。それもマイク最大ボリュームで歌っているから、遠くのほうまで聞えるというもの。これがファドかーというのはそれを聴いてよくわかった。

コインブラはファドの発祥地の1つだとされている。しかし、ここの特徴は、歌手は男しかいないことと、歌手は全員コインブラ大学出身の人で、黒いマントを着て歌うというのが正装のようである。そして歌う内容は、生きていることが辛いんだーというような労働者階級の悲惨さを歌ったものではなく、単純に好きな女がいるんだと捧げるような明るい歌しか歌わないというのが特徴のようである。日本で仕事に疲れた人が聞くのであればリスボンの酒場で、もっと明るい歌を聴きたいならコインブラのほうがいいかもしれない。

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