2013/05/11

サン・ロケ教会(リスボン)

ケーブルカーのグロリア線を上ったところにある教会がサン・ロケ教会(Igreja de São Roque)があるのだが、リスボンに来たら、日本人なら絶対ここに来なければいけない観光地の1つであろう。その理由は、ここがかの天正遣欧少年使節が、ローマのサンピエトロ寺院にいくために、日本からやってきて最初に宿泊として1ヶ月滞在した教会だからである。

天正遣欧少年使節というと、日本史を習っていたら絶対に出てくるところだが、意外にさらーっと教科書は流してしまうために、日本史全般から考えるといまいちインパクトに欠ける時代なのだが、実際にその当時の人物になって考えてみると、キリスト教が、狂信的宗教集団のイエズス会に属していてザビエルによって日本にもたらしたあと、九州の各地にキリスト教を国教とする大名が大量に出てきて、その将来幹部候補になる予定だった少年たちがポルトガル人と共に、耳では聞いていた先端的(この言い方が西洋偏重主義のひとがよく使う言葉なのだが)世界へ連れて行かれて、最初に連れて行かれたこのサン・ロケ教会にやってきて、視覚的に圧倒されたのは、容易に想像できる。ローマ・カトリックの狙いは、正教会とは異なって年々ド派手に教会を作り変えていったのは、無知な人にキリスト教っていうのは素晴らしいし、なぜこれを知らないのだというのを視覚的に圧倒させるために演出していったのはよく知られているが、まさしく、東洋の島国にいた田舎者にとってはこの金銀煌びやかで、何年も聞いて教えられたキリスト教の教会を生で見られたことと、荘厳である上に静寂で、たまにキリスト教の僧侶によるお経が低音で行われたら、もうメロメロになるのは当然だ。東洋の田舎者と記載したのは、西洋の人間から観た考えではあるが、当時の西洋人も自分たちのほうが先端的で、東洋人は野蛮人であるし未開の地だという認識があっただろうから、キリスト教を持ち込むことが近代化することという意識でいたに違いない。実質は、日本や中国のほうが精神的にも技巧的にもすべて先端的であったのだが、その繊細な作品と思想について、自分たちのほうが先端的だと思っていた西洋人にとっては絶対に認めたくないものだったに違いない。だけど、貿易の面では、繊細で優美な漆器・陶器・金細工のような作品類は、西洋に持ち込まれて、高値で貴族間で取引されていたのは有名だ。だけど、決して仏教や儒教を西洋に持ち込むことはなかったのは、自分たちが宣伝しようとしていた教えをなぜ棄てるのかと本国で袋たたきに合うことからだ。

話は脱線してしまったが、現代人で各国の教会を見てきたのだが、ここサン・ロケ教会については、もう唖然呆然とするくらい素晴らしく、もう立ち止まって前から後ろから上から下まで何でもかんでも目に入るものはすべて、溜息が出てしまうくらい素晴らしいデザインと贅沢なつくりをしている。おそらく天正遣欧少年使節の少年たちもこの教会をみたときには、「ぱらでぃそにキター!」と思ったに違いない。そして、大本山のヴァチカンはもっと素晴らしいところだ、教皇は素晴らしい人だというのを、ポルトガルに来る間の航海中も宣教師に宣伝されていたのであれば、ヴァチカンのサンピエトロ寺院を想像しただけで、もう卒倒してしまうくらい妄想ゆんゆんだったに違いないだろう。
 
 
 
 
 
 
教会の両側の壁も全部マリアやキリストおよびその弟子たちを祀った彫刻で出来上がっており、それらを1つ1つ見ているだけでも、時間の経過を忘れてしまうくらい素晴らしい。なんといっても、全部が全部派手なのである。歌舞伎の中でも派手さを追求したスーパー歌舞伎を建築と宗教で見せられたのと同じ感じだ。どんだけ当時の金を使ってここまで作り上げたのだろうと本当に不思議に思うし、宗教の力って金集めも含めて怖いなーと改めて知ることになる。

なんか面白いのは、実物の宣教師を似せた宣教師像をたくさん散りばめて、偉人たちがみなさんを見守ってますよーというのを演出しているところだ。こういうのは他の教会では見たことが無い。
 
そういえば、サン・ロケ教会の前の広場を歩いていると、もともとこの教会の傍には路面電車が走っていたという名残があるのもわかるのだが、いま路面電車を走らせたら絶対脱線するねというような場所があったので、記念で写真を撮っておいた。
サン・ロケ教会(Igreja de São Roque)
URL:http://www.museu-saoroque.com/
Open : 10:00 - 18:00 (木曜だけ 14:00 - 18:00)
Admission Fare : なし
Holiday : なし

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