2013年のゴールデンウィークは、ヨーロッパの南西端にある不思議な国・ポルトガルに行ってきたので、短期間ながら滞在した印象を記載したいと思う。
それまで自分が持っていたポルトガルのイメージとしては、日本の歴史上、初めて西洋の国が日本に接してきた国であり、日本にキリスト教と銃と洋菓子を持ってきた国であるし、スペインと並んで世界を二分にして支配していた国であったという歴史の面から活躍したところだろうが、現代はどうかというと、ポルトガルという国が存在していることは知っていても、なにも活躍する場が無いし、たまに名前を聞くとなると、ワールドカップのサッカー大会のときに出てくるか、あるいは、PIIGSといわれる財政的にあぽーんとなっているヨーロッパの列国のうちの1つとしてクローズアップされるときしかなく、そのほかは全くと言っていいほど話題にもならないところだ。
だいたい同じイベリア半島にある国であるにも関わらず、なぜ4/5の地域はスペインなのに、1/5の地域はポルトガルのままになったのかという歴史の経緯もわからないし、ヨーロッパでは大陸はどこにいってもハプスブルグの血は感じるところができるのに、このポルトガルには全く感じられないのはなぜだろうと、いろいろ不思議に思うようなことはあった。
ツアーだとスペインと十把一絡げに括られるポルトガルに、個別にポルトガルだけにフォーカスをあてて行ってみようと思ったのが今回のきっかけだが、大きなきっかけは特に無く、いろいろなポルトガルに関する本を見ていると、よくわかんない国だなと思うようになったので、実際に行ってみたくなったのだ。
ポルトガルに行くにはポルトガルのナショナルフラッグで行くのは当然でしょうーと思ったので、経由地のロンドンからTAPポルトガル航空でリスボンの空港に到着。よく朝から、まずはリスボンとその周辺の地域について観光しに行ってみて、いろいろ気づいたことがある。
ポルトガルはリスボンを筆頭に、世界遺産になっているところがめちゃくちゃたくさんある国である。それだけ見所や後世に残すべき遺産とする有形・無形の文化的価値があるということだ。実際にちょっと歩いただけであちこちに世界遺産のオンパレードのように存在するということは、それだけ価値があるものが残っているということである。しかし、立派な建物も全部が全部世界遺産になっているかというとそうではない。レコンキスタを経過してそれでも存在していたものについては世界遺産になっているのだが、18世紀中旬に起こったリスボン大地震によって壊滅的な被害が起こり、そのあとに建てられた建物に付いては、残念ながら世界遺産対象にはなっていない。とはいいつつも、建物はぶっ壊れても、存在していたときの建物と連携する精神的よりどころのようなものについてが現代でも強く残っているものは、准世界遺産という称号があるのかしらないが、それ相応の価値があるものとして、観光ガイドや市の公式案内のところにはちゃんと掲載されてものだ。
じゃ、立派な建物はいつ頃建てられたものかというと、それはマニュエル様式が出てくるようになる16世紀頃のものだ。その頃のポルトガルは、山師のような有象無象が我にも資金を出してくれと、国王に対してあれこれプレゼンの応酬を行い、それに勝ち残って資金を得た山師たちが海外に出かけて、海外からヨーロッパでは手に入ることができないようなものをたくさん持ち帰り、それをヨーロッパ中にいろいろな手段を使って売りまくったおかげで稼いだ金で造ったものばかりだ。だいたいポルトガル自体が、国家の形成から行って、商人がメインで海洋貿易を中心に活躍していたところに、庶民では国家は体が持たないからという理由から、無理やり国王を商人が担いできて擁立したというところからはじまるくらい、実はこの国は商業国家である。隣りのスペインが、もともとは4つの王国だったところが絶対王政国家の競合から1つの統一したという経緯があるのとは全く違う。なぜなら競合があるということはそれを1つをまとめるためにはどうしても軍備による統一が必要になるのだからだ。それは混乱期の中国と同じだ。
15世紀から16世紀のときに世界貿易で稼ぎまくった金で作った建物は、どれもこれもめちゃくちゃ豪華で、金に糸目をつけずにジャンジャン使えるだけ使って建てましたという建物ばかりである。それも品がないキンキンギラギラしたような金箔・銀箔でコーティングしているというわけじゃなく、大理石をメインとして作っているということは、ギリシャ・ローマ文化を継承し、キリスト教文化圏であるということを世界に知らしめたいという思いがあったのかどうかはわからないが、いずれにしても素材と彫刻に金はかけているというのがよくわかるというものだった。
言い換えれば、500年も前に作られた偉大な建築物や遺産が、現代のポルトガル人が生き残るために最後に使っている貯金であり、それを500年間かけて徐々に食い続けてきたという感じに見えた。いま同じようなことをポルトガルにやってみろといわれても、あの国にはそんな国力もないためまず無理。しかし、500年前の遺産があまりにも偉大すぎるために、それを見るために世界各地から観光客がやってきており、その観光客が落とす金でポルトガルの人たちは生きている観光国家に成り立っているのだろうとは思う。
じゃ、金儲けするような場所がないのかというと、確かにシンガポールのような金融国家でもないし、日本やドイツのように技術の巣窟のような場所でもないため、荒れぶれているところかとおもったら、そうでもない。実に街並みには綺麗である。なにしろ、マカオに行ったことがある人であればわかるが、マカオの道路は石畳になっており、その石畳は他のヨーロッパ都市とは異なり、細かいキューブ上の石を敷き詰めて、模様を形成しているというのを見たことがあるだろう。あのマカオの宗主国であるのがポルトガルで、ポルトガルはどこの町も同じようにモザイク模様を道路にも作るようにしているのは、これは現在にも引き続いて行われているというところがすごい。今では車が走る場所の多くはアスファルトになってしまったのだが、歩行者専用の道については、モザイク模様の道路になっているところが素晴らしい。しかし、あのモザイクの模様は、機械でやっているわけじゃなく、アフリカ系の移民または違法入国労働者によって作られているのを目撃した。昔ならたぶん奴隷をつれてきて、奴隷にやらせていた仕事なんだろうと思う。人の手によって創られているので細かい作業が出来るのだろうと思う。
風景についてもう少し述べてみたいと思う。ポルトガルについていえば、海洋国家として成長していった国家のために、海とは切っても切れない国・都市であったようだ。だから、そこに住んでいる人たちも海にかかわる産物は日本と同様に大いに食しているようだった。特にタラについては名物。スーパーに行くと、タラを乾燥し、塩漬けにしたものがめちゃくちゃたくさん売られているのが目に入った。これはどこのスーパーを覗いても同じで、それだけタラはたくさん食べられているものだ。それにやっぱり美味しい。東京の人間から見れば伊豆や熱海で海のご馳走をたくさん食べているときに、すごい感動を得るということがあるとおもうが、あれをポルトガル全土で感じることができるというものだ。ご飯については、別途、違うコラムで記載したいと思う。
さて、ポルトガル人全般としてはどうなのかというのを個人的な印象として書きたいと思う。
南欧の人たちの印象としてはイタリア人を筆頭に、常に天候が良いからということもあるのだろうが、陽気で煩く落ち着きが無い人ばっかりだと思っていた。イタリアとスペイン、そして南仏はちょっと気取っているので除外だとしても、その延長のところにあるポルトガルも似たようなものだと渡航前には思っていたが、まるっきり全然違った。日本人となんとなく似ていて、全体としてはおとなしい人たちだと思った。でも、やっぱりサッカーの試合となると、これが一気に盛り上がるのは仕方ないのか、リスボンの地元のサッカーチームが勝ったときには、メインどおりのところでは大騒ぎが始まった。いつも朝や夕方に地下鉄に乗ったときに、おとなしく電車を待っているし、我先にと他人を押しのけて乗ろうとする人は居ないし、空いている席を目ざとく見つけて、誰よりも先にその席をゲットするためにダッシュする人も居ないし、ダッシュするようなひとはどちらかというと外国人観光客のほうだということが感じられた。だから、サッカーの試合のあとの馬鹿騒ぎの様子をみたとき、とても同じように生活しているひとたちとは全然違うのかと思っていた。
人のことではどうしても触れないといけない点がある。それは浮浪者のこととアフリカ系の移民または不法入国者のことだろうとおもう。浮浪者についていえば、さらに物乞いと路上生活者の点にわけて述べないといけないと思った。日本では物乞いと路上生活者の関係は、路上生活者のなかに物乞いが包含されるように思われるが、実はポルトガルはそうじゃなく、物乞いは人が多く集まる広場には「わしに金くれー」とこちらが理解できないポルトガル語で金を欲しがっているのを良く見かける。だけど、それにいちいち答えているようなポルトガル人も居ないし、外国人観光客も居ない。路上生活者は、昼間はどこにいるのか本当に分からない。新宿西口では昼でも夜でもなにもせずに道路で死んでいるかのように寝ている人が多いのだが、リスボンもその他の街もまずは昼間から寝ている人はいない。たぶんそういう寝方をしている人は、酔っ払っているダメ人間か、死人かのどちらかと思われるからなのだろう。路上生活者を見るのは日が暮れたあとに見られる。定位置があるのかどうかわからないが、それぞれの人がゴミのように丸まって寝ているのを見かける。ただし、ポルトガルが暖かい国だからかどうかわからないが、日本の浮浪者のようにダンボールマンションを作って、そこで個室化した中で寝るということはまずしない。ダンボールマンションを作るのが面倒くさいのかしれないし、昼間に移動している間に誰かに取られるから作らないということもあるかもしれないが、彼らは身1つで横になっているだけなのだ。
あと黒人に関して言えば、人が集まるところには必ずといっていいひと、黒人が溜まっている。泥棒の相談なのかそれとも単に職がないために屯っているのかどうかは不明だが、リスボン市内の広い広場を歩いていれば、まぁ、2~3人のヤクの売人に捕まる。だいたいそいつらは黒人だ。マリファナは無かったが、だいたいがハシシだったし。要らんわー。だいたいこの黒人たちはどっからきた奴らなのか?黒人は実はかつての植民地のブラジルにも結構いる。でも、景気がよく経済成長著しいブラジルから、なんのメリットも無いポルトガルにやってきて、違法のようなことをやるには、成果が無さすぎると思われるから、たぶん南米からのやつらじゃない。別途これも述べたいと思ったが、ポルトガル航空はアフリカの特定地域との定期航路が就航している。かつてのポルトガルの植民地ととても関係が深い。そういう地域に居ても生きていけるかどうかわからないので、ちょっとは洗練しているヨーロッパにわかって、とりあえずかね稼げれば良いやとおもって来ている奴なんだろうというのは想像できる。
そして、たぶん緊張がないからかもしれないが、おそらくポルトガル人の誰ひとりとも、国家的には債務超過になって久しいので、ポルトガル人も麻痺しているのかもしれないのだが、どちらかというと、「あっ、国ってそんなに借金があったの?へー」とこれまた日本人が日本国家の借金に対して全く興味を持っていないのと同じように思っているようだった。だが、滞在中にポルトガル政府は48億ユーロの歳出削減をすることを決定したニュースが流れていたが、それをみたとき1桁少ないんじゃないのか?と実は思ったくらいである。
それと、交通網は非常に発達しているので、バス・路面電車・地下鉄・国鉄を乗りこなせばだいたいいけない場所はないだろうし、そういう公共交通機関に1日乗っているだけでも、はとバスツアーのようにうろうろすることができるため、その車窓からのすばらしい絵になる風景を覗くのも良いんじゃないだろうか?ただ、地方へいく電車の車窓は、本当につまらない。なにもないからだ。土地が無駄に余っているというような印象もある。
また、リスボンだけに限って言えば、リスボンは実は海に面した都市ではなく、大きな河口に面した都市であるのだ。目の前に広がるのは大西洋ではなく、テージョ川。上海も煮たよな土地の形成になっており、上海も東シナ海に面している都市ではなく、揚子江の河口に発達した都市であるのだが、それと本当に良く似ている。インド洋・大西洋を通ったあと、大航海時代は、テージョ川をさかのぼってくるときに、船乗りたちは「帰って来た~」と思ったに違いない。それを受け入れてくれるだけの大きな心はテージョ川にはあると思う。
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