地下鉄・青線で Restauradores 駅で降りると、いくつかの出口があるので、地上にでるとそこがどこだかわからなくなる。しかし、全く困ることは無い。なぜならこの駅があるリベルダーデ通り(Avenida da Liverdade)はテージョ河に近づけは近づくほど坂道が下がっていくようになっているため、地上にでたときにどちらが下りかというのだけ分かっていれば、大体の方向が分かる。自分たちも最初にこの駅で降りたときには、ロシオ駅に近いほうではなく、Avenida 駅に近いほうに出てきてしまったために、そのまま下って広場のほうに迷わず行くことができた。
広場に行くと、分かりやすいくらいのオベリスクが立っているのが見える。これはポルトガルが一時的に王家の断絶によってスペインによる同君連合が60年続いたあとに起こった独立を記念としたもの。60年の同君連合の間に、最初は軽い連合だったのに、徐々にスペイン側が専制政治になっていたこともあり、ポルトガルが単なる1つの地域に地位がおち、スペイン本国のあらゆる面での代わりをポルトガルが肩代わりすることになりはじめたことによるポルトガル側の不満が爆発したことによるのが原因。スペインの圧制に苦しむなら、またポルトガルにも王制を独自に立てようとする動きが出てきて、結果的にポルトガル王政復古戦争(Guerra da Restauração)が起こるのである。元々ポルトガルを統治していたのは、市民より推されて王になったアヴィシュ家であるが、お家断絶になったあとに親戚関係にあったブラガンサ家がこの戦争後に王家としてポルトガルに君臨することになり、これがポルトガルが王国を辞める1910年まで続くことになる。国という点ではなく、王家同士の戦争と言う意味では、当時のスペインは、スペイン・ハプスブルグ家となる。オベリスクは彫刻家のシモエス・デ・アルメイダとアルベルト・ヌーネスによって「独立」と「勝利」を意味するシンボルとなっている。
広場自体に戻してみると、この広場が基点となって結構いろいろな場所にいくことができる。まずは、国鉄ロシオ駅はこの広場に面したゴツイ建物として堂々と建っているところだ。それから河側を向いて、左に曲がれば常に人がいっぱいいるロシオ広場に遭遇する。ロシオ広場をみると、まるで陸上競技場のアリーナのような形になっており、これはローマのナヴォーナ広場と似たようなものだと思われる。このロシオ広場からはジェロニモ修道院のほうにいく市電に乗る場所だ。
レスタウラドーレス広場という名前、最初に聞いたときには「レストラン」という言葉になにか関係するのかと思っていたのだが、全く関係ない。帰国するまで実はこの広場の名前を覚えられずに、友達にすっごく馬鹿にされた。レスラウラドーレスという名前だけを見るとわけがわからないが、ポルトガル語の「Praça dos Restauradores」という言葉の一部をとっているわけであって、元々を英語の「restoration」という言葉から来ているものであって、決してご飯屋さんではない。が、この広場の周りは広場に面しているところ、それからちょっと奥に入ったところにいけば、もう腐るほどたくさんレストランがあるので、どこに入ったらいいのか本当に迷うくらいある。だから、別に「レストランがたくさんある広場」と覚えても良いんじゃないのか?と個人的には思う。ちなみに、メーデーの5月1日になると、結構多くのレストランが休みになる。このときにはレストラン難民になることがあるので、事前にそのレストランが5月1日には営業が行われているのかどうかは調べておく必要がある。個人的には困ったときにはこの広場の周りにやってきたほうが良いだろう。なぜなら、観光客目当てにレストランが営業を行っているところも結構あるからで、この広場に来ればたぶん難民状態からは解放されるだろう。
しかし、人が集まるところは概してそれを目当てにする訳の分からないひともたくさん集まってくるところでもあることはよく心に刻んでおくべきだろう。ポルトガルは決して裕福な国ではない。「ポルトガルの印象」のところでも述べたが、500年以上前の遺産によってなんとか経済として食いつないでいるところであるため、住んでいるひとが誰もが裕福なシンガポールのようなところは全く異なる。観光客はもちろんたくさん居るため、それを目当てに商売している人たちも結構いる。そして、さらにそこからおこぼれを貰おうとしている人もいる。それが浮浪者であり、薬物売りのやつらだ。浮浪者といっても、「金くれー」と道路に座って「おねがいしますー」と言っているようなひとのことを言う。何しているのか分からないような人で、ふらふらしているひとはたぶん結構いるんだろうが、見た目では分からない。ただ、座って金くれーという人は本当にこの広場にはたくさんいる。それを見るたびに、慈悲のこころが芽生えてくるかというと全く皆無だ。むしろ、お前らは楽してなんで金を貰おうとしている?と怒りのほうがこみ上げてくる。だから、ポルトガル語で「金クレー」と言われても「おまえがわしにくれたら、その分け前をやる」と日本語で返すことにしている。どうせお互いに言葉がわかんないんだから、それくらい言っても迷惑にならないだろう。
そういえば、この広場に面したところに観光案内所が存在する。いつの時間もこの観光案内所は満員であるのだが、地図をもらうんだったらここに行ったほうが良いし、あとで述べるリスボンカードを買うのであれば、この観光案内所に行かないと買えない。ガイドの中には「国鉄駅でもリスボンカードは買える」と書かれているのがあるのだが、実際には買えない。実際に国鉄駅で買おうとしたら「観光案内所で買ってくれ」と拒否された自分が断言する。
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