2011年9月に行ったハンガリー渡航は、まぁ、いろいろなことがありすぎて、とても思い出深いものになった。何しろ出発の時からちょっと変だなーということから始まり、最後は、はちゃめちゃで終わったというものだったからだ。詳細は後ほど記載したいと思うが、ここまで盛りだくさんのトラブルに出くわすと、もう何があっても平気だと思ってしまう。
そもそも一度行ったことがあるブダペストに、また行くというと、きっと他の人から見たら「前に渡航したときに、とてもいい印象があったからだろう」とか「ブダペストが好きになったからに違いない」と思われるかもしれない。が、確かにその気持ちもちょっとはある。どちらかというと、この2つの理由は、今回の渡航の理由の20%くらいしかないと思う。たった7年くらい前に行ったばかりなのに、実はブダペストの街並みについて、すっかり記憶からなくなってしまっていたからなのである。たぶん、ブダペストへ渡航したあと、いろいろなところに行ったために、記憶が新鮮なものから順番に上乗せされてしまい、すっかりブダペストへの渡航についての記憶の印象がなくなってしまったからなのかもしれない。
そのあと、ハプスブルグ家に関して馬鹿みたいに書物を読み漁ったこともあって、読めば読むほどハプスブルグとハンガリーは切っても切れない関係だと知る。最初にブダペストにいったときには、確かに綺麗な街並みでパリやローマなんかに比べて雲泥の差で綺麗な場所だということを知ったし、それまで東欧だと思っていたハンガリーは実は中欧というのが正解で、中欧はヨーロッパの文化的にも中心地であったから、これだけ華やかなものが残っているんだというのをそのときには知ったが、なぜこの華やかなものがハンガリーに残っているのかは全然気づかなかった。後でハプスブルクのことでハンガリーに絶大な文化的な影響を与えたことを知れば、さらにブダペストに行きたくなるのは当然だろう。
その点考えると、ブダペストは本当に素晴らしい。やっぱり再訪してみてよかったと単純に思う。以前はなんの知識もなくブダペストに行ったので、見るものすべてが何がなんだか分からないで、わーわー言っているだけだったのだが、今度はちょっとは知識が入っているので、教会や建物を見るたびに、これがアノ本に書いてあったあのことかーというのがすんなり入ってくる。その知識との融合によって、より一掃、絢爛豪華な建物や建物の存在意義、そして文化的に継続している出来事というのが、一本のレールに乗って理解することができたのは有意義な経験だった。どこに行くにも渡航前にはそれなりにその土地のことを研究するが、大体の場合、旅行ガイドブックくらいしか読まず、あまり歴史的・文化的な点にまでは突っ込んで読み込んだことがない。できれば、観光地やレストランやお土産屋ばっかりを事前研究するのではなく、もっと視野を広げて訪問地を見てみるのが一番良いと思う。
宿泊に関しては、今回トラブルに出会ったために、本来なら1箇所だけしかない経験を、むりやり3箇所のホテルに泊まることになった。もともと、ハンガリー渡航の計画時に、ハンガリー全体に行ってみたいという希望もあったのだが、調べれば調べるほど、ブダペストに泊まっていればどこでもいけることがわかり、結局滞在中は全部ブダペストに泊まる事になった。もっとバックパッカーみたいに、あっちゃこっちゃに泊まるようなことを計画するんだったら、結局いろいろな都市で泊まることになるだろうが、それは重い荷物を持って移動するだけ嫌だと思ったので即効却下した。そのかわりにトラブル対応としてハンガリーとは全く関係ないところに追加2箇所泊まったことは、ホテル比較をするうえでは結構ためになったかなと思う。
しかし、どうしても今回のトラブルに関してはシンガポール航空の対応がめちゃくちゃだったとしか思えない。食わせて飲ませておけば、乗客はとにかく黙るだろうという、いわゆる中華的な考えがここでも出ているのだが、こういう対応をするのは実は初めてではない。以前もシンガポールからヨーロッパにいく便が機材トラブルのために、3時間くらい出発が遅れたときがあった。シンガポールからヨーロッパに向かう便はだいたい出発時間が23時以降と決まっている。となると、空港のなかの店もだいたいが閉鎖してしまうのである。そういう状態では、乗客もなにをしていいのかわからないし、イライラしてしまうし、おまけに荷物検査をしたあとなので、勝手にゲートの外には行くことができない。閉鎖的環境では不満は爆発するのは当然なのだが、そこでシンガポール航空は、なんとゲート前に炊き出したいを急遽設けて、飲み物フリー、食べ物フリーという大胆な施策を施したのである。これをみたときに、ここは一体どこの避難民があつまる公園なのだ?とおもったのはいうまでもない。今回に関しても基本は同じで、出発が18時間遅れることになったということは、そのあいだの乗客を黙らせるために、なにか施策を打たないといけないのだが、そこは金持ち航空会社のシンガポール航空は、空港前のホテルを貸切にし、すべての乗客を泊まらせた。これはこれで立派だと思う。そして食べ物と飲み物についてもすべて無料にしたのは良いと思う。でもやっていることは炊き出したいの延長でしかない。だいたい地上係員の対応が不満だらけだ。何を聞いても「分からない」としか言わないのには参った。このあたりの不満はあとで書くことにしよう。マイルとか、係員が飲んでいたとかなどなど。
ブダペスト全体に話は戻すと、今回は結果的にあまりブダペスト以外の場所にいくことがなかった。行ったところはセンテンドレくらい。もっとほかのところに行くかなと思っていたが、思った以上に、ブダペストはいろいろ見所満載だ。ありすぎて困るくらい訪問するべき場所がたくさんある。シンガポールに居る友達が言うには「ブダペストなんかつまらなすぎて1日で飽きた」と言っていた。彼は買い物することだけが興味あることで、文化的な素養や教養が全くない。医者なのでそれなりに頭がいいはずなのだが、哲学的・思想的・文化人類的な分野については全くと言って興味がない。こういう人がブダペストに行くこと自体がナンセンスだと思うし、行くだけ無駄だろう。なにしろ、ブダペストはブランド物を買う場所ではない。文化程度の高く、民度の高い住民の闘争と独立のこれまでの過程を知るための場所である。脳みそゼロで、「パリってロンドンだっけ?」と言っている馬鹿女が行くような場所ではないのだ。
アジア騎馬民族としてヨーロッパにやってきて、キリスト教を受け入れ、トルコとハプスブルグとソビエト共産主義に侵略されながらも、昔ながらの民族文化を常に保持しており、そして、どっかの大国主義の国のように、後世にも変わりなく文化を継承して行こうとしているのがハンガリーである。どっかの大国主義の国のように、常に世界の中心でいなければならないというような高飛車な態度をこの国の人はまったくしない。もちろん歴史的にはかつてハンガリーは大帝国を組んで領土を拡大させたこともあるが、それはそれ。昔できたから今もできるなんていうどっかの高飛車な国とは全く異なる。それがハンガリーである。
今度こそ、南部都市のペーチュや北東のワイン地域のほうには行ってみたいと思う。しかし、ブダペストの居心地よさと、文化程度の高さの気持ちよさにまた浸ってしまうような気がする。なにしろ、ハンガリーの人たちは人が良い。だますというようなことを考えたことがない。騙されたから他人を騙すことで、人生の中の損得をチャラにしたいというどっかの国の人たちとは考え方が全く違う。
それにしても、ブダペストに限らず、あちこちで韓国人をたくさんみかけた。映画かドラマでハンガリーが舞台になっていたのだろう、その影響で異様に韓国人をみかける。そして、韓国人はバカだから、展示物に対しても勝手に落書きをして、自己主張をする。民族博物館でアジア地域の地図に、ハングルと英語で落書きをしているのを見たとき、こいつらはどこに行ってもダメなやつらだと本当に思った。ハンガリーに観光に来ている韓国人をどうしても同じアジア人として思えないし、むしろ毛嫌いが余計増した気がする。
単純にハンガリー訪問をしただけだったが、いろいろな体験と考えさせられる旅になったとおもう。変わらないのは、やっぱりハンガリーは良い印象だけが残っており、また機会があれば来たい場所の1つだということだ。何度同じ場所に行ってもハンガリー、ブダペストは良い。それは良い文化が残っているからなのだと思う。
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