2011/10/09

くさり橋(ブダペスト)

ブダ側のクラークアーダーム広場(Clark Adam Ter)とペスト側のルーズベルト広場(Roosevelt Ter)の間を結んでいるドナウ川に掛かる橋は、これも世界遺産になっている「くさり橋 (Szechenyi Lanchid)」または「セーチェーニ鎖橋」である。それまで、ブダ側とペスト側を接続するドナウ川に掛かる橋は存在せず、両岸は船でしか行くことが無かった。ハンガリー伯爵であるセーチェニー・イシュトヴァーンが身内に不幸があったとき、対岸へ向かう際にドナウ川が凍ってしまって船が出せず、とうとう葬式にも参列できなかったという悲しい出来事があったため、これを期に、両岸に橋を架けようということで建設された思い入れの強い橋なのである。ブダ側のほうにイギリス風の名前の広場があるのは、この橋の建設のために設計をしたイギリス人建築家のクラーク・アダムに由来。
この橋に関する話は結構いろいろあり、1つめは、ウィーン革命が起こったときにはまだ橋は建設中だった。1848年の革命のときに、結局ハンガリーは敗北することになり、1849年の完成時点で橋を最初に渡ったのは、ハンガリー側の責任者を射殺するためにやってきたオーストリア軍だったというのが最初の悲劇。2つめは、第二次世界大戦の時に、形勢不利になってきたナチスドイツ軍がブダから撤退する際に、ソ連軍の追随から逃れるために、橋を爆破して不能にしてしまったこと。3つめは、1989年のソ連崩壊のきっかけになったハンガリー民主化のときの運動で、民衆が集まって大きな波にした思い出の場所だ。
それだけ思い入れが強いセーチェニー鎖橋、是非、歩いて渡って欲しい。すべて石造りの橋はその重厚な趣は、自由橋と違ってどっしりしたものを感じられる。橋の入口にはライオンの顔の石像が左右および両岸の4箇所についている。三越ではない。そして、橋は両側2車線の道路と、両脇は別に歩道がちゃんとあるため、交通量が激しいこの橋を車を気にせずに歩けるのは嬉しい。たまにローラースケートを履いたバカや自転車に乗ったバカが歩道を走っていたりするのが鬱陶しいと思うときがあるが、そいつらだけは気をつけて。
橋からはブダの丘の上に建っている王宮が見える。天気がいいと本当に良い光景だ。エリーザベドがハンガリーの気質と雰囲気を好きになったというのはこの光景を見るととても理解できるような気がする。

0 件のコメント: