2011/10/09

コシュート・ラヨシュ広場(ブダペスト)

ブダペストの国会議事堂のほうばかり目を奪われると、実は国会議事堂の前に広がるコシュート・ラヨシュ広場にある、ポツポツと点在している見るべきところがあるので、それを見逃してはいけないと思う。

まず広場の北側にいる銅像は、ハンガリーの政治家であった、コシュート・ラヨシュ(Kossuth Lajos)。この人は、ハンガリーにいると、あらゆるところでその名前が出てくる。だいたい「ラヨシュ」という名前は一般的な名前なのかわからないが、結構ハンガリー人名前一覧としたときにたまに出くわす。そのコシュート・ラヨシュは1848年のオーストリアからの独立運動の際に最後までオーストリア政府に抵抗した首謀者であり、最終的にはミラノへ亡命することになってしまった人。独立のためには何事にもいとわないというマジャール精神はここにありだ。
ただ、コシュート・ラヨシュよりも先にオーストリアからの独立に対して立ち上がった人が、広場の南にいる。それがラーコーツィ・フェレンツ2世(II. Rákóczi Ferenc)だ。彼の銅像は騎馬像になって、その姿はいまでも馬ごと走り出しそうな勇敢な姿をしている。彼はトランシルヴァニア公の称号をもつほどの貴族出身であったが、オーストリア=ハプスブルグ家の領土になっていたハンガリー全体をオーストリアから独立させるために立ち上がった人である。ラーコーツィ・フェレンツ2世の生涯についてはウィキペディアや他の書物を見てもらえばいいと思う。あと、たぶん音楽をしている人にとっては「ラーコーツィ」という言葉を聞くと、あれかな?とおもう曲があるはずだ。そう、作曲者不明だが有名な「ラーコーツィ行進曲」である。ラーコーツィ・フェレンツ2世が大変お気に入りだったらしいが、そこから曲名が付けられたという。
それから忘れてはいけないのが、広場に面しているところではないのだが、広場からちょっと南東に離れたところから国会議事堂を見つめている銅像がある。ハンガリー動乱のときに処刑された政治家、ナジ・イレムの像である。橋の上から国会議事堂で民主化とソ連からの影響脱退を望んでいた政治家の悲しい思いは、ここの銅像をみると泣けてくる。しかし、ナジ・イレムの銅像の傍に浮浪者がいて、その浮浪者が、ナジ・イレムの写真を撮ろうとすると、おまえは関係ないだろうと思うのだが、勝手にチップを要求してくる。完全に無視して良い。こういうハンガリー人なのかそれともルーマニア人なのかなんだかわからないが、そういう観光客の気持ちを害する人が存在すること自体がいやだ。

以上は銅像だが、国会議事堂の前に不思議な旗がはためいているのに気づくだろう。これは、ハンガリーが共産圏の中に組み込まれてハンガリー動乱の時まで使われていたハンガリー国旗に対する反抗心のための象徴である。以前の国旗は今のハンガリーの三色国旗の真ん中にソ連の国章が書かれていたのであるが、ソ連からの影響脱退のために、反ソ連を象徴するこの部分をブッタ切りして、ソ連死んじゃえ!と民衆が一体化したことシンボルがこの旗。だから、いつまでもあのときの民衆の蜂起した力を忘れてはいけない、完全に独立するためであれば血を流してでも得なければならないものであるということを忘れてはいけないというものだ。だから、いつまでもこの国会議事堂の前で、新国旗である今の国旗に換えてはためかせているわけではなく、ハンガリー動乱時期に使っていた旗を使っているのである。風がちゃんと吹いていると、その開いている穴のところが良くわかるのだが、はためている旗の写真を撮るのは難しい。

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